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<在りし日のインスパイヤー。彼にとって小生はいい乗り手ではなかったが・・・>
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<長年慣れ親しんだ、“この眺め”は二度と見ることができない、と思って撮った。>
先月末。17年間乗り続けたホンダのインスパイヤーを廃車にした。“愛用”したとまでは言えないが、17年間という時間が作ってくれた思い出は数多い。いつも家のガレージに置いてあったものが無い、というのはまことに淋しいものだ。
クルマというものは便利であるし、それを所有する喜びというのも認める。また、日本経済には欠かせない商品であり、クルマ関連の会社に関わる企業は何百何千とあり、そこからもらうサラリーで生きている日本人は、家族も含めれば何百万といるだろう。クルマ産業は日本にとって重要な基幹産業である。
ただ、“クルマ”がもたらす弊害も多い。ざっと思い浮かべるだけでも「健康」「社会」「環境」「家計」に悪い影響を与える。
まず、健康問題。クルマに頼る⇒運動不足⇒身体能力の低下、メタボ。クルマという存在がいかに人間という“動物”をその本来の身体能力を低下させ腑抜けにしているか。足の悪くなった老人がクルマを頼りにするのはわかるが、子供から壮年までの健常者が、暑い、寒い、カッタルイ、雨だ、花粉だと言ってはクルマを使ったり、送迎してもらったりでは“動物”としての能力が衰えてしまうのも無理は無い。
次に社会問題だ。クルマがあまりにも日常不可欠な商品になりすぎていることからくる数々の社会的問題は深刻だと思う。交通事故や交通渋滞などの社会問題はもちろんであるが、クルマ依存からくる、社会性の無い人間の増加ということも無視できないのではないか。幼い時から一家共々クルマで移動して育つと、社会的訓練が十分にされず、世間をはばかるとか“恥”というものを気にしなくなるのではないか。電車の中で平気でペタンと座る奴、音漏れしまくり、ジャガジャガ音楽を聴いている奴、化粧をする奴、ものを食う奴等の根源がここにあるような気がしてならない。
環境問題は大きい。ガソリンを燃料にしている構造上、クルマの数や使用が多ければ多いほど環境に悪いことは間違いない。二酸化酸素排出量だけでなく、地球の限りある資源の食いつぶしという面でも大きい。今後、人口の多い中国やインドでクルマの需要が高まってきたら、その影響は計り知れない。そんな中、インドのタタ社は25万円のクルマの発売を発表した。それに対抗して大手の日産、VW、GMが安いクルマを共同開発しているという。環境悪化に拍車がかかる、と今から懸念されている。
家計問題。いいことの無い商品にしては金がかかりすぎる。大方は借金やローンを組まないと買えない。(25万円クルマが普及すれば別だが・・・)クルマ所有にかかる金をもっと自己実現の為に投資すればどれだけ、人間性が磨かれるか。
ま、というようなことを以前から考えていた。他人はともかく、そう思うなら自分からやってみよ。ということで、この度、車検を機会に廃車に踏み切った。
今後の交通手段は“歩き”と“自転車”だ。これで、時間的、距離的、体力的に不都合な時には適宜公共の交通機関(鉄道、バス、飛行機など)を使う、というスタンスだ。公共交通機関が主ではない。あくまでも、歩きや自転車が主でその補完として公共交通機関を使うのである。
例えば、家から30キロ離れている会社に毎日、自転車で通う訳には行かないので、電車を使う。その代わり、体力、時間の許す範囲は自転車または歩きで行く。といった具合だ。
(最近当ブログで“自転車通勤”の話題が多かったのはこのためである。)
この生活形態を「人力生活」と呼ぶことにした。これは単に交通手段の人力化にとどまらない。料理などもレトルトに頼らず、自分で作るとか、クリーニングに出さず、自分でアイロン掛けをするとか。「自分のことは自分でする」という生活に切り替えていくことを意味する。
“酒”も自分で作ってみっか。
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