SF映画の名作「ブレードランナー」を観たのは
多分、もう20年以上前だっただろう。
佐治と一緒に、ビデオで観たんだったと思う。
そのずっと後に原作者のP・K・ディックのファンになったので、
ふと、今の俺の目で「ブレード・ランナー」を観たら
どう見えるのだろう?と思い、
DVDを借りてきて再見した。
「ディレクターズ・カット・完全版」である。
・・・・・・こんな話だっけ?
原作である(はずの)
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
とだいぶ違う・・ってか全然違う。
しかしアンドロイド(レプリカント)達が何とまぁ
・・・「パンク」だこと。
”「サイバーパンク」の代表作”とかって言われてるし。
2019年のロスアンゼルスはほとんど大阪か上海だ。
アメリカはアジア人や漢字文化に完全に侵食されていて、
レプリカントたちは妙にパンキッシュで、全員白人なのだ。
思うんだが「パンク」ってすごく白人的だ。
日本人にはどうやっても似合わないような気がする。
「パンク」って、アジア的なものから
いちばん遠いものである・・ような気がする。
「マッドマックス」もそうだったのだけれど、
”
近未来の不良”ってパンクのイメージだったのだ。
「北斗の拳」の悪役とか(笑)。
それはロックの一大ムーブメントであった
あの「パンク」とは関係ないように見える。
その「パンク・ロック」も、
イギリスにも、アメリカにも、一瞬しか存在しなかった。
残っているのはスタイルだけだ。
21世紀の今も、低脳な不良たちは「パンク」なんかではなく
「ヤンキー」スタイルのままだ。
俺たちも、土着的なアジア人のまま。
でもそれは悪いことではないと、
今は思うのだ。
映画は小説とは別物だったけど、
それはそれでよかった。
ディックはこれを見て、どう思っただろうか。
公開前に亡くなってるみたいだから、
きっと・・完成版は見てないんだろうなぁ、