イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「FACTFULNESS(ファクトフルネス)  10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」読了

2022年06月23日 | 2022読書
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド/著 上杉周作、関美和/訳 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)  10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」読了

この本は医師が書いた統計に関する本である。「10の思い込み」と書いている通り、
日頃から見ているニュースを正しく見るためには思い込みのうえでデータを見ていてはいけないというのである。

これはまさにそのとおりで、わが社の役員から、つい最近もメールとともに数字ばかりが入った表計算のシートがメールで送られてきた。僕はただの傍観者でしかないのでそれを基に何か議論に参加するというものでもないのだが、この人の言っていることとこのデータはきちんと整合性が取れているのかどうかと疑わしいなと思ったのでもっと見やすいようにグラフに加工してみた。



そもそも、クライアント相手にプレゼンするのに数字を羅列した表を見せて説明するということ自体がおかしいと考えないのがおかしいとも思うのだ。
そのメールの内容の一部はこんなものであった。
『いつもお世話になりありがとうございます。
OOOOOO事業開発部担当の××でございます。
期間中の○○来館者と、△△来館者、期間の大阪府コロナ感染者の比較表です。・・・・・今回の前半と後半の感染状況と△△の来館者には明らかに関連性が見て取れます。・・・・』
赤い点線がコロナ感染者数の推移で△△の来館者というのが緑の線だ。△△というのは同じ建物に入居している大型商業施設である。
曜日で来館者数が上下するので移動平均をとってプロットしてみると、△△への来館者というのはこの期間では感染者が増えようが減ろうがそれに対しては大して影響されなかったというのがよくわかる。残りの2本の線は僕が関わっている観光施設○○の来館者だ。こっちは感染者の減少とはあきらかにリンクしている。
△△と観光施設では規模が大きく違う(このグラフはその規模の差を修正して人数の変化を比較しやすくしている。)ので元々来館者が多いのだという先入観と、この役員としては、「感染が落ち着いて△△への来店客が増えている。その商業施設とはコネがあるからいろいろ働きかけて宣伝や送客をしてあげる。」といい顔をしたいがためにクライアントに言いたいわけだ。
まさにこの本のとおり、「思い込み」なのである。
僕も露骨に「あなたの分析はおかしいのではないか。」とは言わないけれども、こんな数値の変化がヴィジュアルで見ることができますと返信をしてしまうから上司に嫌われてしまうのだろうとこの本を読みながら思ったのである。

この場合、感染が落ち着いても商業施設は客数が変わっていないということは感染前も感染後も来る人は同じ人ばかりでそういう人は元からこの観光施設には興味がないということだ。もともと小売り業界では斜陽産業の部類の業種で、相当なロイヤリティをもった客しか来なくなってしまっているのだから普通ならそういう結論はすぐにでてくる。そうは思いたくないというのも人情ではあるが、それさえも思い込みである。
客数を増やそうと思うのならもっと別の市場にアプローチすべきだし、興味がない人を無理やり振り向かせようとするなら、ふたり目無料くらいのサービスをする必要があるということだ。

そして、この本にはそういった思い込みのパターンが10個取り上げられている。
主要な著者であるハンス・ロスリングは医師ではあるが、長い期間のアフリカでの診療活動から、経済発展と農業と貧困と健康のつながりについて研究するようになった。そこで感じたことは、様々な援助策や政策を決めているリーダーたちでさえ知識不足と思い込みで間違った認識のもとにそれらをおこなっていて、それでは資源を無駄遣いするだけでなく、貧困にあえぐ人たちを救うことができないと考え、財団を立ち上げ「事実に基づく世界の見方」を広めるという活動に従事した人であった。そのリテラシーの目を「ファクトフルネス」という言葉で表している。そのために統計資料を重視しているのである。
この本は特に、筆者の経験から、いまだ発展途上になる国々の現状を例に挙げながら論が進められてゆく。世界の国々の豊かさをレベル1(貧困)~レベル4(裕福)に区分けし、例えば、世界中の1歳未満の子供が何らかの感染症の予防接種を受けている人数は全体の80%もあるそうだが、おそらくほとんどの人は世界の人口の半分くらいは貧困層だという思い込みからこういう質問を受けるとレベル4のほとんどの国のリーダーたちはもっと低い接種率であると考えている。世界で貧困ではないひとはすでに全体の91%まで増えているのが今の世界の現状である。
そんな人たちが適切に資源の投入をできるわけがないというのが著者の考えだ。そしてそれは様々な思い込みが原因であるというのだ。それが10個の思い込みなのである。
どんな思い込みがあるのかというと、
①分断本能「正解は分断されている」という思い込み
②ネガティブ本能「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み
③直線本能「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み
④恐怖本能(危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう)という思い込み
⑤過大視本能「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み
⑥パターン化本能「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み
⑦宿命本能「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
⑧単純化本能「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
⑨犯人捜し本能「誰かを攻めれば物事は解決する」という思い込み
⑩焦り本能「今すぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
という10個である。
なるほど、言われてみれば僕にも心当たりがあるものがたくさんある。
例えば、もう、10年近く前だろうか、中国のひとというのはこんなに現代的な生活を送っているんだと驚いたり、これはつい最近だが、国民一人当たりの所得は日本より韓国のほうが多いのだということにも驚いた。
これなんか典型的な分断本能ゆえの思い込みであった。
まだまだある。CDってずっと売れているものだと思っていたらレンタル屋さんにも置かれなくなっていたのを見て驚くのは直線本能のゆえだろう。
この本は、世界の情勢を正しい統計資料と正しい目を持って見ていきなさいというものだが、身近なところにいくらでもこのような例が転がっているのである。

世界情勢を憂うほど奇特な人間でもないし、もとより会社の未来を憂うこともない。しかし、あんなメールを読んでしまうとこの会社も先は知れているなとか、相手の会社にはかなり見下されているのだろうななどとは思ってしまう。
この役員はこの10個の中のどんな本能の思い込みをしたのだろうかと、あれこれ考えてみたのだが、本能以下のアホさ加減だから当てはまるものが無いんじゃないだろうかと思ってしまう。しいて言えば、こう言っておかないと後にストーリーが続かないと思い込んでいるという点では7番の宿命本能というところだろうか。
だからなのだろうが、景色が売り物の施設で、エスカレーターを昇ってきたらいきなりウルトラマンが見えるというようなレイアウトをよく考えたものだとも思うのである。これには呆れてしまった。




もうすぐ参院選がある。野党の人たちはこのままではこの国は大変なことになると連呼するわけだが、そういうことも4番とか10番みたいな思い込みだけで言っているのかもしれない。いざとなれば自分たちもなすすべを持たないのに・・。もっと具体的に数値を出して説明をしてほしい。あなたの政策にどれだけお金がかかって、そのお金はどこから生まれて、誰がどれだけ助かるのか、それが知りたい。アホな候補者は「汗をかきます。」としか言わない。人間は何もしなくても汗をかくのだ。汗をかかなければ死んでしまうのだ。

ウクライナの戦争で何もかもが値上がりしているが、他の国ではもっと急激に物価が上がっているそうだ。(これもニュースの受け売りにすぎないし、その国の所得の伸び率も知らないのだが。)それに比べれば日本の上昇率は穏やかで、直近の物価高を憂いて自殺した人がいたというようなニュースを聞かない。そうなってくると、日銀の黒田総裁が言った、「値上げを受容している。」という意見もとんでもない発現ではなかったのかもしれない。もちろん、ミクロ的には僕自身、この値上がりは困ったものだと思ってはいるし、このままでは釣りに行く回数を減らさねばならないと思い始めてもいるのだが・・。
そうなのだ、この本に書かれていることもすべてはマクロ的な見方であるということも忘れてはいけないということでもある。
ただ、その話は本当にそうなのかと疑う心は確かに持ち続けなければならないのは確かなことであるというのには納得するのである。
ウチの役員さんもそんな気持ちになってくれないものだろうか・・。

この本を読んだきっかけというのは、翻訳者のひとりである、関美和という人が訳した本を読みたかったという理由からだ。かなり人気のある翻訳者らしく、翻訳した本はどれもベストセラーになっているそうだ。この本も貸し出し予約をしてから2ヶ月ほど待ってやっと借りることができた。
内容が容易であるというのもあるのだろうが、翻訳書としてはかなり読みやすい本であったのは確かだ。

そして、統計学というものの面白さというのもよく分かった。わが社の数値分析でもそのとおりだが、簡単に統計を取るだけでも言っていることと全然違うというようなことを見つけられてしまうというのは面白い。大学時代、「経済統計学」という授業があり少し興味をもっていたのだが、教授が厳しい人だというので選択をしなかった。今思うと残念なことをしてしまったものだ。あの頃からひたすら楽をしたいと思っていたらしい。

次に生まれ変わったら絶対に経済統計学の授業は受けようと思う。
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