イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「火の賜物―ヒトは料理で進化した」読了

2022年06月20日 | 2022読書
リチャード・ランガム/著 依田卓巳/訳 「火の賜物―ヒトは料理で進化した」読了

この本は人類の進化について書かれているのだが、ダーウィンの自然淘汰説から導かれる進化の理由というのは、環境の変化に対応できた種だけが生き残ることができるというものだけれども、原人がヒトに進化したのはヒトが「料理」を覚えたからであるというのがこの本の趣旨である。
ヒトの直系の祖先はホモ・エレクトスと言われているが、それまでの猿人、アウストラロピテクスやホモ・ハビリスとの違いをあげてゆくとこんな感じだ。
小さな顎、短い腸、大きい体、大きい脳。そんな感じだ。脳の大きさというのが最大の違いだが、その要因になったのが「肉食」だという。この頃から我々の祖先は肉を食べ始めたという。
それまでは樹上生活をしながら、消化しにくい植物を食べていたので、植物をすりつぶすための大きな顎と消化のために長い腸が必要であったという。
肉というのは、カロリーが高く、タンパク質も豊富だ。それを食べることによって、体が大きくなり、肉を手に入れるために協力し合い、それが知能を発達させてきたというのである。
そして、植物を食べるよりも消化が早いから腸が短くなる。
僕の家の食卓にはあまり肉が上らない。特に牛肉は皆無といっていい。だから体力と知力がないのだとこの本の冒頭ですでに納得してしまったのである。

それまでがホモ・エレクトスの進化なのだが、さらにホモ・サピエンスに進化するための原動力になったのが「料理」だったというのである。
人類(の祖先も含めて)火を使ったという証拠が残っているのは約79万年前だというが、それ以前の地層からも焚き火のような跡がみつかることもあるので、不確かだがもっと古い時代から人類は火を使っていた可能性がある。それがホモ・エレクトスの時代なのである。

肉も植物もだが、そのまま食べるよりも組織を破壊するともっと消化吸収がよくなる。それは石器を使って食材を叩くという作業なのであるが、そういった作業の途中、肉を叩き損ねて石と石がぶつかったときに火花が散る。それが焚き火の最初であったかもしれないというのには興味と共感を得る。初期の、焚き火の痕跡と間違いなく考えられる場所にはたくさんの火打ち石の化石(石も埋もれていると化石というのだろうか・・)が残っているそうだ。
僕も最近、火打ち金と火打ち石を使って火を熾すことを覚えたが、彼らもきっと、火を熾すということの楽しさを知ってしまったということなのであろう。

火を使い、食材を加熱=料理するとどんな効果を得られるか。そしてそれがヒトの進化にどんな影響を及ぼしたか。
その端緒は消化吸収がさらによくなったということである。それに伴いホモ・エレクトスはもっと腸が短くなってきた。加えて、消化に要するエネルギー量も少なくなった。現在のヒトの基礎代謝と同体重の動物の基礎代謝にはそれほどの違いはないと考えられている。消化に要するエネルギーが減った分、それがどこに回ったかというと、脳に回すことができたという。ヒトの脳の重量は体重の2%しかないけれども、基礎代謝の20%は脳が使っているというほど脳はエネルギーを使う。使えるエネルギー量が増えたことで脳は大きくなってゆく。

また、消化に要する時間も節約できるようになった。それは獲物を探して行動する時間が増えたということである。植物を生で食べる動物が食事に費やす時間がいかに長いかということは極端な例かもしれないが、牛をみればわかる。しかし、そこには料理を作ってくれる人の存在が必要になるということでもあった。いくら料理をすることで消化する時間が節約できても料理をするには手間がかかる。そして、ホモ・エレクトスに比べて体躯が大きくなったヒトはそれなりにエネルギーを必要とする体になってしまっていた。一日中獲物を探し、ねぐらに帰ったときにすぐに料理を食べて翌日に備えるということが一番効率のよい生活だったのである。

そこで分業というものが生まれる。体力的に非力な女性たちは料理をしたり、集落の周りで食料になる植物を採ったりするようになった。この植物たちも確実に獲物を獲れるとは限らない環境では貴重な食材にはなったのである。
こういった、性別による分業、男女が異なるやり方で補完的に生活を送るという行為が結婚へとつながる。動物というのは常に奪い合うものである。そこで、体が弱く奪われやすい食料を持った女性は誰かに守ってもらわないと安全に生活ができない。その安全を担保するために結婚という形態が生まれたというのである。もちろん、その頃にはすでに集団で生活をするという形態も出来上がっていたので集団で安全を担保するという方法もあったのだろうが、より安全を確保するためには特定の男女が結びつくほうがよかったのである。
結婚という形態は、男が自分の遺伝子を確実に残すためのものであるというふうに思っていたのだが、実は、そこにはエネルギー問題というものが絡んでいたという発想が面白い。
しかし、料理が男女の結びつきを促進したのであるが、女性にとっては男性の権威に対する弱さを飛躍的に増大させることにもなった。「淑女(レディ)」という言葉は、”パンをこねるもの”という意味から来ているし、「主人(ロード)」という言葉は、”パンをもつもの”という意味からきているという。
つまり、男性のほうがより大きな利益を得、女性に男性優位の文化が新たに押し付けられるという従属的な関係ももたらしたのである。料理は男性の文化的優位という新しい制度を作り出し、永続化した。筆者はこれを決して美しい図式ではないという。

そういうことをふまえて、もし、結婚がエネルギー問題から発生したと考えると、現代の結婚しない男女というものがその裏返しとして必然的なものであるということが浮かび上がってくるように思う。
安全な世の中になり、男に守ってもらう必要がなくなれば女性としてはわざわざ男性に料理を作ってまで守ってもらおうとはしないだろうし、男性も、外食できるところがあればそこで食べればひとり分の食費だけ稼げば済むのだからあくせくして働かずとも楽ができる。
お互いに楽になるのだからわざわざ共同生活をする必要はないということだろう。自分の生活を考えると、奥さんに対して僕の権威を増大させているということなど全くなく、むしろその逆じゃないかと思っているが世間一般ではそうでもないらしいが、こんな理屈を考えていると、田辺市に住んでいた日本で最高齢助産師という人が語った言葉にも納得がいく。


日本政府は人口減少対策にいろいろなことをしてお金も使うことを考えているようだが、こういった進化論的な観点、すなわち、国民も生物であるというところから考えてゆかないとまったく何の効果も発揮しないのではないかと思う。
以前にも書いてみたことがあるが、やはり、コンビニが国内に2万店もあるということを何とかしなければならないのじゃないだろうか。
まずは離婚をした男女と結婚しない男女のコンビニ利用頻度と既婚者のコンビニ利用頻度の比較をしてから政策を立案しなければならないはずである。
少なくとも僕は完全に奥さんの料理に支配されているというのは間違いがない・・。

もちろん、こういった共同生活の解消ということもヒトの進化のひとつであるとするならばそれは仕方がない。地球に生物が生まれて40億年だそうだが、いまだかつて絶滅を経験していない生物はいないという。ヒトも生物ならいつかどこかの時点で絶滅する運命であるのならこれからがその始まりかもしれない。

しかし、男女の関係は料理が決めたというのもひとつの仮説にすぎないのも確かである。だって真実は過去にしかなく、それを確かめることは永遠に不可能だからだ。この説も確かにすごく説得力があるけれども、例えば、ヒトの体に毛がない理由はどういうふうに考えられているかということについても様々な説がある。
この本では、火を使えるようになったので体毛を頼りに暖を取らなくても済むようになったからだと書かれているが、以前に読んだ説では、獲物を狩るために長距離を移動する必要が汗を効率よく発散させる薄い体毛を生んだと書かれていた。この前見たテレビでは、集団生活するようになり、シラミやダニに悩まされそれを防ぐために体毛がなくなったと言っていた。
こうやってひとつのことに対して様々な考えがあるのが考古学であるのだからひょっとしたらこの料理説も実は事実と異なっているのかもしれない。と、いうよりも全ての説が複合的に組み合わさって今のヒトの姿があるというのが正しいのかもしれない。
そうすると、ヒトの絶滅の運命というのも違った方向に行くのかもしれないとも思うのだ。



コメント
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