イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2021年09月13日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:小潮4:22干潮
釣果:タチウオ11匹 ツバス1匹


今日は洗車をしようと思っているのと、タチウオの燻製作りの仕込みをしようと思っているので朝一タチウオだけを釣りに行くことにした。
しかし、これは戦術的な勝利を前提に戦略を立てるというまったくおかしな戦略理論である。こんなことを考えるのは牟田口中将か僕くらいのものだろう。ただ、僕はいくらか思いとどまって、ソミュール液を作ってから釣りに行くというような暴挙だけでしていないのである。

今日は大きい方の船で出撃。船のローテーションということもあるが、仕掛けと魚のさばきをよくしようと思うとやっぱりデッキが広い大きい方の船のほうが便利なのである。

日の出の時刻は知らない間に午前5時41分にまで遅くなっている。これは後から知ったことで、日の出時刻を午前5時10分くらいだと思い込んで港にやってきてしまった。なので、午前4時過ぎではまだ真っ暗だ。
仕方がないので微速で出港。



タチウオは陸っぱりでも好調なのか、平日の始まりの月曜日でさえ護岸沿いに電気ウキがたくさん漂っている。



青岸の前から仕掛けを流し始めるがアタリはない。これは偶然か何かの必然かはわからないが、南海フェリーが入港してくるとアタリが出始める。今日の入港時刻も午前5時10分。ちょうど「かつらぎ」が真横を通ったときだった。まるでスイッチが入ったようにアタリが出始めた。しかし、今日はアタリの出る海域はかなり狭い。青岸の先端と新々波止の間の一番狭い海域だけだ。そんなに小回りが利くわけではないので大回りをしながら行ったり来たりを繰り返す。
しかし、それもわずかな時間だった。20分ほどでアタリが途絶えてしまった。もう少し釣らないと燻製の分と叔父さんの家の分と、前回は定休日であった「わかやま〇しぇ」のおじさんへの差し入れの分が確保できない。昨日の雨で棚が深いのかもしれないと錘を重くして臨むがやっぱりだめだ。もう1回流してダメだったら禁断の仕掛けに替えようと泣きの1回を流してみたがやっぱりダメだった。仕掛けを回収してみると、最後尾の鉤にタチウオの頭だけが引っかかっていた。



ああ、そりゃあ、これでは釣れないわ・・・。
5本の鉤のうちの1本はすでに水糸が外れてしまっていたのでこれは仕方がないと思っていたが、それに加えてもう1本が死んでいるとなるとアタリが出る確率は減ってしまう。ましてや仲間の生首がくっ付いているような仕掛けには魚が怯えて食いつてこないだろう。
確かに途中で、アタリがあってすぐに軽くなってしまったことがあった。ただ魚がバレただけだと思っていたら生首だけが残っていたらしい。その時にきちんと点検をしておけばあと4、5匹は釣れたはずである。
しかし、指3本ほどとはいえ、タチウオの身体を食いちぎっていった仲間はどれくらいの大きさのものだったのだろう。尻尾や体の後ろ3分の1が喰われているというのはよくあることだが、首だけというのは初めてだ。けっこう大きいやつもいるのだ。

禁断の仕掛けを流すため新々波止の南側へ移動。台風14号のうねりはすでにやってきているらしく、大きく海面が上下している。



いつもなら赤灯台の前くらいでアタリが出るが今日はアタリがない。うねりが怖くて防波堤から距離を取っているのが悪いのだろうか・・。
とりあえず新々波止1本分を流してだめだったらそのまま帰ろうと流し続けると沖の一文字との交点の海域でやっと魚が掛かった。いつもくらいの大きさのツバスだ。

これを取り込んで今日は終了。
叔父さんの家にもっていく分はないが、「わかやま〇しぇ」のおじさんへの差し入れはできそうだ。
ここのおじさんたちも面白い人たちで、ひととき釣りの話をして冷凍コロッケを購入。朝早くからやってくる怪しい釣り人を怪しいとも思わずに話に付き合ってくれるのだからありがたい。
今日は「これ、もって帰り。」といって、小さなパックに入ったのりわさびドレッシングというのを100個ほどくれた。これは意外と美味しかった。



家に帰って燻製の仕込み。5匹分を仕込んだが、今年はサイズが小さい。うまくできるだろうか・・。




ハバネロとパソコンの後日譚だが、今年はハバネロで作ってみたオリーブラー油がすこぶる美味しい。
きっと韓国トウガラシでつくったやつよりも上を行っている。干しているときにも思ったが、旨味というのだろうか、なんだかねっとりとした雰囲気の香りが強いのだ。僕の奥さんはそれを、「油のようなにおい」と表現していたが、もう一度嗅いでみたくなるような匂いなのだ。ただ、あんまり鼻を近づけると強い刺激も襲ってくるのであるが・・。
だから、出来上がったオイルはオリーブの香りよりもハバネロの香りが勝っている。韓国トウガラシではあきらかにオリーブオイルの香りのほうが強かった。
辛さも韓国トウガラシのオイルを凌駕しているが、この辛さもグッときてサッと引いていく感じで後に残らない。韓国トウガラシのオイルは舐めてみても唇のまわりが長い間ヒリヒリするのだが、それがない。カプサイシンと一口にいってもいろいろな種類があるのだろうか。
前に読んだ本には、原産地の南米ではトウガラシをゆでたりしながら辛みを抜いて出汁がわりに使っているのだと書かれていたが、さすがにそれはないだろうと信じられなかったが、ハバネロを食べてみるとそれはきっと本当だと納得させられる。韓国トウガラシとハバネロを比べるとハバネロの方があきらかに原種に近いはずだ。きっと東のほうに伝播している途中で旨味はどこかへ消えてしまったのだろう。もしくは、東アジアにはもともと別の旨味文化があったので、辛みだけを利用したいアジア人は旨味のないトウガラシを選別してきたのかもしれない。
トウガラシの世界は奥が深いのだ。

パソコンのほうは、返送してから3日ほどで戻ってきた。素早いというかなんというか、見積もりのメールが届いて、了解の返信をしたら2時間ほどで送りましたというメールがやってきた。

送られてきたパソコンを見てみると、ノートパソコンのほうは確かにキーボードが入れ替えられていた。前のキーボードは文字が擦り切れてしまっているほど酷使されたものだったが、今度のやつは見た目は新品のように見えるほどきれいだ。それに、キーボード面のパネルも交換されている感じがする。まあ、気持ちはよくなった感じがする。



デスクトップのほうは、これは完全にモノ自体を交換しているようだ。修理されるのか、交換されるのかどちらだろうと思って筐体にマジックで印をつけていたが、それが消えてしまっていて、筐体に付いていた傷の位置も違っていた。ついでにウインドウズも初期化した状態になっている。ノートは設定がそのまま残っていたのですぐに使い始めることができたけれども、デスクトップはいちからやり直しだ。もとの写真データを入れたりメールの設定、ブラウザのURLやいつも使っているアプリケーションのインストールをしながら2日がかりでやっと使えるところまで戻すことができた。

まだまだ、不安が残るがとりあえず潰れるところまでは使ってみよう。せめて5年は持ってほしいと思うのだが・・。

洗車をしていると、屋根の上に傷とくぼみを見つけてしまった。なんでこんなところに傷がついているのかと悲しくなったが、思い当たる節はいくつかある。山の中の細い道を走っていると、木の下にぶら下がっている枝などがよく当たる。車高が2メートル近くあるので仕方がない。生石山で数回、信楽で近道をしようとして1回。そのどれかの衝撃の末なのだろう。貨物車でありながらきれいにきれいに乗ってきたのに悲しいことだ。
身体でも物でも必ず時間が経てば古くなっていく。これは自然の必然なのである。だから中古でいいやとなるのだが、中古は壊れやすい。
釈迦の教えのなかに、「五蘊盛苦」という言葉が出てくるが、まさに僕はこの苦の真っただ中にいるのである・・。
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