イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「もの忘れと記憶の科学」読了

2022年06月26日 | 2022読書
五日市哲雄/著 田中冨久子/監修 「もの忘れと記憶の科学」読了

何度もこのブログには書いてきたが、とにかく物忘れがひどい。それは年齢が進むにつれてひどくなってきたというよりももっと若い頃からの症状であった。
そもそも、このブログを書き始めたきっかけというのも、あまりにも記憶力がなく、いつ、どんな魚を釣りに行ってそれが釣れたかどうかということや、どんな本を読んだかということをまったく覚えていることができないので忘備録として残しておこうと思ったのが最初だった。
一番愕然としたのが、一度読んだことがあった本を、それと知らずにまた買って読み始め、最後のページをめくるまで前に読んだことがある本であるということに気付かなかったことだ。
今年のコゴミ採りでは採ったコゴミを現場に置き忘れてきたという失態も演じてしまった。

それだけではない、釣りに行くときにはとにかく忘れ物をする。最大の忘れ物は磯釣りに行って磯竿を持っていくのを忘れたことだ。忘れたというか、赤い袋に入った竿をロッドケースに入れて出かけたら、それは船用の竿であったという間違いだったのだが、これも、ひとつの記憶まちがいだろう。僕のブログの検索窓に「忘」という文字を打ち込んで調べてみるとおそらく無数の書き込みがヒットするに違いない。
そして、そんな日に限ってなぜだか魚が釣れてしまい、忘れてきたものがないので難儀するというパターンに陥るのだ。
ひとの名前も覚えられない。社内でよくすれ違う、一昨年一緒に仕事をしていた人の名前さえ思い出せない。まあ、あの頃の記憶というのは思い出したくもないので思い出せないのだろうとも思う。ずいぶん前、30年近く前だろうか、すごく世話になった上司の名前を古い記憶は呼び起こせるかとこの本を読みながら思い出そうとしたのだが、相当恩義を感じていながらも思い出せなかった。電車に乗っているときに不意に思い出せたのは幸いであったが・・。
こんな調子なのである。

僕がもっと記憶力がよかったならば、もっといい大学を出てもっとお金を稼いでもっと裕福な暮らしをしていたに違いない。100円でオイル交換を済ますために2時間も待つことはなかっただろうと、人生は不可逆だから何とでもいえるのだが、自分の無能さを憂うのである。

このタイトルの本を見つけた時、ひょっとしてこれを読めば僕のそういった性質を今からでも改善できるのではないかと期待したのである。


本の最初はギリシャ神話に出てくる記憶を司る女神「ムネーモシュネー」から始まる。ムネーモシュネーはゼウスとの間に9人の娘を産んでいる。「ミューズ(文芸、芸術を司る神)」「カリオペー(歴史や英雄詩を司る神)」「メルポメネー(悲劇・挽歌を司る神)」「エウテルペー(抒情詩を司る神)」「エラトー(独唱歌・舞踊を司る神)」「テルブシコラー(合唱・舞踊を司る神)」「ウーラニアー(天文・占星術を司る神)」「タレイア(喜劇を司る神)」「ポリュムニアー(幾何学・修辞学・瞑想・農業を司る神)」であるが、こういう神様が存在すると考えられていたということは、古代ギリシャの時代から、記憶こそが精神の創り出すあらゆる事の基盤であり、諸学問の根源と考えられていたのである。だから、記憶力のない僕はポンコツなのだとこれはこんな時代から定められていたということになるのである。

人間の頭の中でおこなわれる記憶というものは、いくつかに分類されて考えられている。”頭の中”と断りをいれているのは、例えば、文字を書くこと、これも記憶の一部であり、コンピューターのメモリーに様々な情報を保存するのも記憶の一部であるからだ。
分類の方法は大きく分けて保持時間で区分する方法、記憶するものの内容によって区分する方法がある。

保持時間での区分は三つ。
ひとつ目はごく短時間記憶する「ワーキングメモリー」。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。保持時間は数秒から数十秒である。日常生活での言動は主にこの記憶が利用されている。情報処理能力が含まれることから記憶容量には限界があるとされている。
ふたつ目は、ワーキングメモリーよりも少し長い時間記憶する「短期記憶」。この記憶の持続時間は数十秒から数十分、あるいは数か月程度とされている。この記憶も情報処理能力によって記憶容量に限界があるとされ、一度に記憶して操作できる情報の数は7個前後であると言われている。このふたつの記憶というのは、コンピューターに例えるとメインメモリーの中で働いている記憶というところだろうか。
これはおそらく、バイクなんかを運転していて、「次は漁港を出て右に曲がって家に帰るのだが、その前に逆方向に曲がってスロープの使用料を払ってから帰ろう。」という手順を記憶するというようなものなのだろが、それを5秒前の記憶を忘れて途中を飛ばして右に曲がってしまうとなると僕は7個どころか、ひとつしか記憶を保持できないということになってしまうのだろうか・・。
三つめは「長期記憶」である。この記憶は短期記憶を固定化して、永続的に保持し貯蔵されるものである。

内容による分け方では、「陳述記憶」と「非陳述記憶」に分けられる。陳述記憶がいわゆる「頭の記憶」である。非陳述記憶とは、意識化できない、その内容を想起できない、言葉で表現できない記憶のことである。
それぞれはさらに分類することができる。
「陳述記憶」は「エピソード記憶」すなわち、時系列が組み合わさった記憶で、いつ何々をしたというような記憶と、「意味記憶」すなわち、もの事の説明としての記憶である。
「非陳述記憶」は、「手続き記憶」という、車の運転や箸の持ち方など、一度覚えたらなかなか忘れられない記憶で、「体の記憶」とも呼ばれている。そのほか「プライミング」というとっさの時の行動に対処する記憶や「意味づけ記憶」という条件反射などである。

物事を記憶してゆく段階は三つの段階を踏む。ひとつ目は、ものを覚える過程=記銘(入力)、ふたつ目は、覚えていること=保持、三つ目は、覚えていることを思い出すこと=想起(再生)である。まあ、入力はとりあえず目も耳も大丈夫だから、僕はあとのふたつの工程に何か欠陥を抱えているに違いない。

脳の中ではどのような形で記憶がなされているのかということだが、こんな書かれ方をしている。『外界からの様々な感覚情報、例えば、見たり、聞いたりした情報、さらに、その物がどこにあるのか、そしてその物が何か、という情報は、後頭葉の感覚野や感覚連合野で感覚され、ついで前頭葉の背外側部に送られます。さらにその後、前頭葉の前頭眼窩皮質という脳部位に送られて、それぞれを活動させます。感覚野や感覚連合野の記憶は「感覚記憶」とも呼ばれますが、瞬間的で、1秒以内に消失します。
感覚記憶で興味があるとされる情報は、消える前に大脳辺縁系になる海馬に送られます。海馬は一時的な記憶の保管場所でここで長期に記憶されるべき情報とそうでない情報に選別し、記憶されるべき情報は記憶の保持、貯蔵庫とされる側頭葉などの大脳皮質に送られます。』ちなみにこの選別には1か月ほどかかるらしい。
何が何だかさっぱり分からないが、要は目や耳から入った情報は、あたまの中を回りまわって最終的には海馬というところにもたらされ、長く覚えておきたいものはまた大脳皮質に戻ってゆくというのである。記憶のキーマンは海馬なのである。

そして、大脳皮質では新たなシナプス結合が生まれ「エングラム」と呼ばれる記憶結成時に活性化したニューロン集団という記憶痕跡という形で保存される。なんらかのきっかけでその一部のニューロンが活動すると、合わせてニューロン全体も活動する。その結果として記憶が呼び起こされるのである。
はて、昔お世話になった上司の名前を思い出させたのはどんなきっかけだったのであろうか?

ここからが問題なのであるが、記憶力を上げる、もしくは物忘れをしないようにするにはどうしたらよいかということが書かれている。
まず、記憶力を上げるにはというものだが、神経回路は物理的、生理的にその性質を変化させる能力を持っている(これをシナプスの可塑性という)のだが、あるニューロンから次のニューロンに繰り返し信号が送られると伝達効率が上がるという実験結果があり、そういうことをやればいいということだが、学生のころからそういうことを当たり前のようにやってきても結果が出ないから苦労しているのである・・。
記憶力のアップというのは諦めて、次はど忘れを防ぐ方法はあるのかということだ。
まず、ど忘れというものはこう定義される。「過去に記憶として覚えていたものが、意識に上がらないことや、言葉にならないこと」である。
この原因というのはまだはっきりしていないが①「記憶のフック」による記憶の希薄化、または、②「脳のゆらぎ」による記憶想起のタイミングの悪さ、というふたつの説があるそうだ。
「記憶のフック」とは、情報の既知感と、後になって、その情報を正確に思い出すことができるという思い込みであると定義される。ど忘れした単語や言葉など、それらをあまり使用することがなくなり、記憶が希薄化したため、あるいは、希薄化した記憶になっていることに気がつかずに容易に思い出せるという錯覚に陥ってしまっていることで、思い出せるはずなのに思い出せないというジレンマが発生するのである。僕の場合、人の顔は思い出せるのだが、その名前が出てこない。これは顔という映像が記憶のフックになるのであろうが、文字としての名前が希薄化しているのでそこでギャップが生まれているということなのであろうか・・。
「脳のゆらぎ」というのは、同じ刺激に対して脳のニューロン回路の情報伝達経路はその都度変わり、同じにはならないという現象のことであるが、そうした別のニューロンの組み合わせが信号の行き先を間違わせてしまい記憶の想起につながらないというのである。

また、ワーキングメモリーの機能低下によっても物忘れが増えると書かれている。これは、シナプスにある、神経伝達物質のドーパミンの受容体の働きが阻害されるとこの機能が低下してしまうことである。ワーキングメモリーというのはごく短期間の記憶保持に関わるメモリーだが、次に何をしなければならないかという記憶も含まれている。それが保持できていないと、「あれ、次は何をするんだったっけ?」となる。まさに信号待ちの5秒間で左に曲がるのを忘れるというのはドーパミンが少ないからに違いない。

そして、ストレスも物忘れの要因になる。ストレスによって数多くのホルモンが分泌されそれが海馬に影響を与える。海馬はストレスに対して脆弱なのである。
例えば、糖質コルチコイドはストレスホルモンと呼ばれ副腎皮質から分泌されるが、脳の中で最もたくさんの受容体を持っているのが海馬なのである。そして怖いことに、海馬はストレスに慣れることによってそれはストレスではないと記憶し、本人はストレスではないと感じるようになる。監禁された人や戦争に行く人がそういった状況に慣れてしまい逃げることも抵抗することもできなくなってしまうというのはそういったメカニズムが働くからなのである。

逆に、海馬を活性化させて記憶力をアップさせることも可能かもしれない。海馬のニューロンは新生することが知られている。ニューロンは増えれば増えるほど脳神経のネットワークが大きくなるということだから記憶力も増強されるはずである。
そしてそのためには、①運動や学習行動が必要であること。②性ステロイドホルモンの環境が必要であること。③アセチルコリンの分泌を促すこと。らしい。アセチルコリンとは副交感神経から分泌されるリラックスを導く神経伝達物質である。運動や学習行動が必要というのはわかるが、性ステロイドホルモンの環境というのは、ずっとエッチなことを考え続けるということだろうか・・。
しかし、これは若い時にこのような環境にいなければならず、18歳を過ぎると神経幹細胞は存在するもののニューロンへの分化はほぼ起こらないと言われているそうだ。
10代に一生懸命勉強して運動もして、なおかつスケベなことを考え続けろというのが物忘れを予防する最大の方法であるというのがこの本の結論であるらしい。

まったくそういうことに無縁であった僕が現在、極度の物忘れに悩むのは当然のことであったのである。唯一今でもやれることというと、リラックスをしてアセチルコリンの分泌を促すためによく寝ることくらいである。残念・・・。

認知能力が衰える病気の代表的なものにアルツハイマー型認知症というものがある。これは脳細胞の周辺にアミロイドβというたんぱく質が堆積することにより神経間の情報伝達が阻害されるものであるが、発症する人ではアミロイドβの蓄積はすでに40代から始まっているそうだ。それと知らずに日常生活を送り次第に症状が出てくる。と、いうことは、すでに僕の脳みそもアミロイドβに汚染されている可能性がある。これは困った。この物忘れもそれの兆候であってほしくはないものである・・。

最後に、「ひらめき」と「直感」について書き留めておく。これは物忘れの対極にある、発揮できればできるほど人生がばら色になりそうというものであるが、よく似ていながら全然違うものらしい。そもそも、脳の中でひらめきが起こる場所というのは大脳皮質の後帯状皮質というところであり、直感が起こる場所は大脳基底核というところで、まったく違うのである。
大脳基底核というところは大脳皮質の幅広い範囲からたくさんの情報を仕入れて処理をしている場所だそうだ。直感というのはそういう意味では、脳の中に蓄積された経験を基盤に発揮されるものである。いっぽう、ひらめきというのは、保存していた多くの陳述記憶やエピソード記憶の中に埋もれていたある記憶を呼び起こし、直面する難題と巧みに結びつけるとことによって解決するための答えを導き出すものである。
直感はある程度意識下にある記憶を使い、ひらめきは無意識下の記憶を使うのである。
特にひらめきは脳の中のデフォルト・モード・ネットワークという、脳が無意識な状態にありながら作り上げている広範なネットワークを利用している。これはヒトが意識的に何かの課題に取り組んでいるときは働かず、いわば、ボ~っとしているときに活発に働き始めるネットワークである。いわゆる、3上(馬上、枕上、厠上)でひらめくというやつである。

どちらにしても、すでに脳の中に蓄積された記憶がどれだけあるのかということがものをいうのにはちがいなだそうだ。
「人は移動した距離の違いでその大きさがわかる。」と言ったのは師であるが、移動した距離がすなわち経験であり記憶であるのならまったく納得できる箴言であるのだ。
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