イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」読了

2020年05月11日 | 2020読書
宮下奈都 「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」読了

著者は、「羊と鋼の森」を書いた作家だ。僕はこの本を読んだことがないけれども、去年ぐらいに映画になったことでタイトルだけは知っていた。この本の作者が「羊と鋼の森」の作者だということはまったく知らなかった。
富山県在住で専業主婦をしながら2004年に作家デビューしたそうだ。年代は僕とほぼ変わらないので40代直前で作家になったということになる。
地方に住んでいる、専業主婦だったという、異色の作家だ。こんな奥さんがいると旦那は左団扇で暮らすことができるなと下世話なことを考えてしまうが、旦那さんの書斎は壁一面が本で埋まっているほどの読書家だそうだ。やっぱり元の出来がちがうのだからあきらめよう。

この本を手に取ったのは、単にタイトルが面白そうであったということだけだった。ちょっとした料理のレシピが載っているおしゃれなエッセイくらいに思っていた。しかし、内容は、主婦として毎日の献立を考えることを通して、家族の絆であったり過去の思い出であったりを書き綴っている。
一編あたりが3ページから4ページのエッセイだが、なんとも優しいタッチの文章である。とくにこの言葉が胸に刺さるというものはないのだが、次はどんなことが書かれているのだろうかとどんどん読み進めてしまった。
特に家族への愛情のこもった文章は、家庭を顧みない僕にとっては首を垂れるしかないような内容なのだ。毎日せっせとごはんを作ってくれている奥さんには感謝をしなければならないのだ。

偉そうなことを言えないが、スーパーやコンビニに売っている総菜(今では中食というらしいが)をそのまま食べることが大嫌いだ。それを察知しているのかどうか、僕の奥さんもまずそういうものを買ってくることはない。
コンビニに勤務させられていた時、そこのPOPには、「おかあさん食堂」というようなタイトルが書かれていて、様々なレトルト総菜が並べられていた。弁当やそれらの食材は、ある時間が来ると賞味期限切れということでゴミ箱へ直接捨てられる。僕もそういうことをやらされるわけだが、こんな食材の循環の中で生きていると人間は間違いなく腐っていくのではないかと恐れてしまった。
「胃はこころに通ずる」というけれども、あそこにはまったく心がないように見える。そういうものを失った人間が次の世代を生みまた次の世代を生んでゆく。人間をデータ化させようとする誰かの罠なのではないのだろうかと思えてくるのだ。

「作って食べる。」その大切さをこの作家はほんとうによく知っているのだと思う。それは、いろいろな食材、料理にまつわる思い出のエッセイを集めた章に出ている。毎年その季節に思い出される料理、記憶の奥に眠っていて、なにかのきっかけで突然湧き上がってくる思い出。確かに、「胃はこころに通ずる」である。
そして、そんなことを最後の短編でみごとに表現している。「ウミガメのスープ」というタイトルなのだが、イラストレーターを志した女性がある賞を取り、そこから本当に自分が求めていたものは何だったのかということを見つけるというような内容なのだが、最後のほうにこんな文章が書かれている。
『誰かの弾いたヴアイオリンの音色に惹きつけられるようなこと。それはもしかすると、その場限りの音だったかもしれない。だけど、そのときたしかに胸に響いた音。耳から入ってきて心を震わせる、ひとしずくの朝露のような音。いつもは思い出さなくても、ふとした拍子に耳によみがえって、生きていく気持ちを支えてくれる。
昔でもいい、味でもいい、何かそういう、真に胸に届くものにだけ憧れた。ほめられたいんじやない、認められたいんじやない。自分のほんとうにほしいものがほしかった。ウミガメのスープが必要だった。』
ウミガメのスープというのは、仕込みが大変で作るのが難しいそうだ。しかし、丁寧に作ったウミガメのスープは人の心を震わせるほど美味だそうだ。主人公は、子供のころにある映画を観て、このスープを作りたいと言ったと母が言っていたことを妹を通して知る。飲みたいのではなく、作りたいと言った。
それから、自分は人に褒められるためにイラストを描くのではなく、ただ自分が描きたいからイラストを描くのだということに気づく。主人公にとってのウミガメのスープは自分のためにイラスト描くことであったのである。

僕は、前に読んだ本の中で、父親は仕事もできないのに釣りにばかり行っている自分をいくらか恥じていたのではなかったのだろうか。僕自身も同じになってしまったと書いたけれども、ひょっとして、父親にとってのウミガメのスープは、魚を釣ることではなかったのだろうかと、ふと思い至ったのである。
そして、師がよく書いていた、「釣り師は心に傷があるから釣りに出てゆく。しかしその傷がどんなものであるかを知らない。」には、自分にとってのウミガメのスープを求めることの必要性を教えてくれていたのかもしれない。父親は自分にとって、それがウミガメのスープだったということに気付いていたのだろうか。そして僕もそれにいつかは気付くことができるのだろうか・・。

ほとんどレシピらしいものは出てこないと書いたけれども、こんなレシピが目についた。
「ひじきのマリネ」というものだが、ひじきとにんにくとバジルを和えて、塩と醤油と白ワインでマリネする。というものだ。
ひょっとして、この季節なら、ひじきをワラビやゼンマイに置き換えて作ってみてはどうだろうかと思った。
今年はもう作れないかもしれないが、来年はきっと試してみようと思うのである。


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