イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「開高健は何をどう読み血肉としたか」読了

2021年04月30日 | 2021読書
菊池治男 「開高健は何をどう読み血肉としたか」読了

師と「オーパ!」の旅を共に過ごした雑誌編集者が、師の残した書籍を読むというものだ。

師は茅ヶ崎の自宅に1万冊あまりの書籍を残したが、これでも大半は失われてしまっているそうだ。誰かが古本屋に売ってしまったらしいというのだからもったいない。
開高健記念館の理事をしている著者は記念館が東京都内の杉並区で開館する開高健記念文庫の準備のため、茅ケ崎市の師の私邸(今は開高健記念館)の地下にある書庫の蔵書をあらためて目にする機会を得た。
初めてこの書庫に足を踏み入れたのは師が亡くなった直後だそうだ。書斎に遺体が安置され、ひょんなことからその地下にある書庫に入ってはみたものの、弔問客が次々とやってきて出るに出られないという状況になってしまったらしい。牧羊子と弔問客との会話が筒抜けで、ここには聞いてもよかったのかと思えるような会話もあったらしい。おそらく本文とは特に関係がない部分なのだが、一開高健ファンとしては興味をそそられるエピソードである。
その時は緊張もしていて短時間であったのでじっくり蔵書の中身を見ることができなかったけれども、今回の機会でその著作を目の当たりにすることができたというのがこの本を書くきっかけでありスタートとなったのである。

師は本を読むとき、帯とカバーを破り捨て、気になった部分であろうところを大きく折りこむ癖があったそうだ。
かなり分厚い本でも大体1か所、折る場所も「左上角」「左下角」「右上角」「右下角」とあって、小さい折込みでも字面を避けず、数ページまとめて折りこんでいる箇所もある。線を引いているわけでもなく、師はそのページのどの部分が気になっていたのかというのも模糊としたままで、著者はそれをなぜかと考え込むと同時に、師のからかうような笑顔が浮かんできて猛然と興味がわいてきてしまったという。
著者もその癖は以前から知ってはいたが、そんな折込みが入った書籍を手にして読むのは初めてある。それは推理作業のようでもあった。
蔵書のうちで、帯とカバーがないことで師が読んだ本であるかどうかがわかる。そして折り込まれた場所は師が自分でなにか気に留めておきたかった場所であるはずであるというところから推理が始まってゆく。

しかし、普通の書評なり作家の心理分析をしたような本では、作家はこういう思考を持っていたのだからこの場面はそれに関連してこういうような思いの中で書かれたに違いないというような論の進め方になっていくのであるが、著者はそこまで踏み込まない。それにはふたつの理由があったのではないかと思う。
ひとつはあまりにも偉大な作家の心の内を自分が解明できるはずがない、もしくはおこがましいということ、ひとつは師のからかうような笑顔をいつまでも自分の心の中に留め置いていたいという気持ちがあったのではないかと思うのだ。
僕はそういう姿勢に共感を覚えるのだ。
そこはつい最近読んだいくつかの書評とは少し違うところだ。

だから、折り込みのあった場所に対して何か考察を巡らせるというよりも、その場所の記述をキーワードにして師との思い出をよみがえらせているというところが多い。これも師の一ファンとしてはうれしい内容なのだ。
たとえば、 「オーパ!」のプレイボーイ掲載時の前書きは副編集長によってボツにされた。単行本化の際には師は新たに文章を書き直したらしい。そして、幻の前書きは直筆版の「オーパ!」にはそのまま掲載されているらしい。(持ってはいるがまだ読んだことがない。早速このあと確かめねば・・)
そして伝説的な前書きはこれになった。

 『何かの事情があって野外に出られない人、

  海外へ行けない人、

  鳥獣虫魚の話の好きな人、

  人間や議論に絶望した人、

  雨の日の釣り師・・・

  すべて

  書斎にいるときの私に

  似た人たちのために。』

今読んでもわくわくしてくる。

「オーパ、オーパ! 王様と私」 の一場面でも裏話が書かれている。師と著者とのやりとりの中で、トロフィーサイズのキングサーモンを釣り上げたとき、師は英語で魚に対して「カム・アウト! イージー! ベイビー!(出てこい! いい子だから! かわいこちゃん!という感じの意味だろうか)」と叫んでいたことに対して、「すごい英語だ。ゆとりがあるんだな。」と言う。そのシーンの最後、当初、原稿の段階では、『バカニシヤガッテ』と書かれていたところを、編集担当の著者の前で原稿を『アリガトヨ』に書き換えたという。これなんかも師の茶目っ気がうかがわれるエピソードだ。
そういった箇所が随所にあるのである。
著者が「オーパ!」の編集に携わっていたことと、大半の蔵書が失われているということで取り上げられている書籍はアマゾン流域の資料が多い。そして、師が生涯テーマにしたヴェトナム関連の書籍だ。そんなヴェトナム関連の書籍の中で著者は鋭い推理を展開している。
それは小松清の「ヴェトナムの血」だ。
ここには“素蛾”という女性が登場する。師のファンなら必ず読んでいるであろう「輝ける闇」にも重要な登場人物として素蛾という女性が出てくる。この名前はヴェトナムではごくありふれた女性に名前であるらしいのでこの本から拝借した名前かどうかは判断が難しいが、素蛾を通しての「ヴェトナムの血」「輝ける闇」そしてその原型と言われる「渚から来るもの」との関連についての推理をしている。
確かに、ヴェトナムの血」と「輝ける闇」での素蛾と主人公の距離感というものがすごく近いところから小松作品に対するオマージュ以上のものを感じるのである。
僕はこの本を読んでいないが、この本に抜き出されている部分からひとつ何か推理できるものはないかと考えてみた。
折り込まれた場所は小松が若い頃にフランスで出会ったホー・チ・ミンは後年ヴェトナムで出会ったその人とはまったく別人ではなかったのだろうかというとこところなのだが、その前のページにはフランス領時代の南越の分裂を予想していた。実際それは小松が予言通りになったのだが、その後のヴェトナム戦争で、師がアメリカの介入の結果がどうなっていったかということになぞらえて折り込みを入れたのではなかろうかと思うのだが、著者はそこには触れていない。それはきっと師の考えにはできるだけ迫らないでおこうという意図があったのかもしれない。

紹介されている本のなかで唯一読んだことのある本は、「鮭サラの一生」だった。師の評価では、擬人化を慎重に避ける文章の出来がいいということであったが、それに倣ったか、師も動物を擬人化したような文章はほとんど書かなかったという。
しかし、著者は、「フィッシュ・オン」、「オーパ、オーパ! 海よ巨大な怪物よ」にかかれた大阪弁でしゃべるビーバーのくだりが折り込みをしたい場所だと書いている。これなども著者の師への愛情と尊敬がよく表れていると思う。
そのほか、サルトルの「嘔吐」などまだ読んでいないが読みたくなった本、一度読んだことがあるがもう一度読みかえしたくなった本、それは師の著作も含めてだがふんだんに取り上げられているのがこの本なのである。





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