イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「美味しい進化: 食べ物と人類はどう進化してきたか」読了

2022年04月21日 | 2022読書
ジョナサン・シルバータウン/著 熊井ひろ美/訳 「美味しい進化: 食べ物と人類はどう進化してきたか」読了

タイトルと本の中身を読んでいると科学ライターの著作なのかと思ったが著者は進化生物者だそうだ。プロローグにも書かれていたが、生物の進化についての本というのは山ほどあるのでちょっと切り口を変えて書いてみたというのだが、確かに面白い切り口だ。食材がたどってきた道と人類がたどってきた道をごっちゃに書いているというような部分もあってわかりにくいところもあるけれども、人間が食べるものを確保するために自らが食材に合わせて進化してきたこと、もしくは、食材を進化させてきたことなどが書かれている。

目次を追っていくと、人類が火を使い始めたきっかけ。何を食べながらアフリカから南米まで移動したか。栽培農業のはじまり。味覚、嗅覚、動物の家畜化。栽培植物の進化。糖、発酵食品としてチーズと酒。狩りと社会形成。未来に向かう食べ物の進化。
こんなことが書かれている。

人類によるアフリカから南米までのグレートジャーニーは海岸線を伝いながら成し遂げられたわけであるが、その時の人類の主食は貝であった。そのルートのいたる所に貝塚があることでわかるらしい。だから、内陸を目指した人類は途中で途絶えることになり、狩猟や栽培農業が発展するまでは人類は内陸へ進出することはできなかった。
この旅は氷河期の終わりころ、海面がまだ低かったころにおこなわれたわけであるが、その頃の地球には貝がふんだんにあったと考えられている。今は海に行っても一番獲るのが難しいのが貝なのかもしれないし、そもそも漁業権で縛られてしまっているから獲っているところを捕まると犯罪者になってしまうのだから5万年前の人たちはある意味、環境のよい世界を生きていたのだとも思うのである。
そして、この旅に出発した人たちというのはアフリカの角と言われる地域からアラビア半島に移動したほんのわずかな数の人たちで、残りの人たちのほとんどは砂漠化が進むアフリカ大陸の中で死んでしまい、ほんの少しの人たちが南アフリカなどに逃げ延びたということだが、このことによって、現代の世界中の人類は遺伝的多様性が乏しいものになったそうだ。リスクを冒して一歩踏み出した人たちが命を永らえた結果が現代である。

グレートジャーニーからさかのぼること150万年。人類が初めて火を使ったというのがこの頃だ。火を使えるのは人間だけだということで、ホモ・サピエンスが火を使った最初で最後の人類だと思われがちだけれども、その祖先、ホモ・エレクトスが火を使った痕跡を残している。果たして彼らは火を熾すことができたのか、それとも偶然に山火事などのもらい火を持ってきただけなのかというのはよくわかっていないらしいが、少なくともその火を使って食材を焼いて食べたということは確からしく、相当古い時代から人類は火を使った調理をしていたのだ。
僕が自分で火を熾して食材を始めて焼いたのはついこの前・・。僕は150万年遅れていることになる。

当時は狩猟採集生活が基本だったのだが、人口が増えるにつれ獲物が足らなくなってくる。これはNHKの受け売りだが、人類が移動した先では必ずそこにいた大型動物たちが絶滅してきたそうだ。元々、食べられる以上に獲ってしまうというのが人間が持っている基本的な性質らしい。それをこの番組では浪費型人類と表現していた。
当初は大型動物ばかりを獲っていた人類も新石器時代に入り、農耕栽培が始まる直前ではウサギやネズミなどの小さな獲物も獲らざるおえなくなってきた。
そこで必然的に始まったのが農耕や牧畜の生活である。その歴史はどちらも意外と浅く、今から約1万年前だったそうだ。一番最初に栽培された植物はエンマーコムギという麦だったということがわかっている。エンマーコムギはその前から食べられてはいたが、それは野生のものであり、栽培されたものではなかった。確実に食料を得られる栽培農業が浸透しなかったというのは、野生の麦でも大量に収穫することができ、それで事欠かなかったからだそうだ。
じゃあ、どんなきっかけで麦を栽培するようになったのかというと、人口問題ということもあるけれども、一説では、ビールを作るためであったのではないかとも言われているそうだ。

そうやって野生の植物や動物を栽培種の野菜として、また、家畜として食料の安定的な確保に乗り出してきた人類だが、その過程で様々な能力も身につけてきた。
食材を味わう味覚や嗅覚、それまで消化できなかったものを消化する能力である。ただ、味覚や嗅覚というのは一部退化した部分があるという。味覚は5種類、嗅覚は400種類の味と匂いしか識別できず、他の動物にも劣っている。それでも約1兆種類という風味を識別できるのは、レトロネイザルという口の中から鼻にかけて匂い成分が移動するという経路のおかげだ。加えて人間の発達した脳細胞が5つの味、400の匂いの強弱を加味してありとあらゆる風味を識別する。

新たに獲得した消化能力のひとつはミルクに含まれている乳糖だ。乳糖を消化する能力をもっているのは赤ちゃんのころだけで、大きくなるにつれてその能力は失われる。そもそも、どうして消化しにくい乳糖がミルクの主成分かというと、たとえば、人間でも簡単に消化できるブドウ糖が主成分だとありとあらゆる雑菌に汚染されることになるので赤ちゃんの死亡率が高くなり、それを分泌する母親の身体も雑菌に汚染されてしまう。それを防ぐためにわざわざ汚染されにくい乳糖を主成分とし、母乳を摂取する期間だけそれを消化する能力を身につけていたというのだが、酪農が始まり、大人たちもそれを食料として使うようになったとき、ラクターゼという乳糖を消化できる酵素を離乳後も持ち続けることができる突然変異(ラクターゼ活性持続症)が現れた。それが約7500年前だと言われている。
ヨーロッパ人の90%はそのラクターゼ活性持続症を持っているが、酪農が始まったといわれる南西アジアではそういう人はもっと少ない、それはどうしてかというと、同じころ南西アジアではヨーグルトやチーズを作る技術が生まれていて、人為的に乳糖を分離できるようになり、ミルクをじかに飲む必要がなかったからというのが進化の不思議である。
もうひとつはアルコールだ。アルコール発酵の起源は1億5000年から1億2500万年前と言われている。アルコール発酵は酵母菌が糖をエタノールに変換する反応だが、これはライバルの細菌が糖を消化するのを妨げるものだ。このちょっと腐った実を食べるために人類は類人猿のころからこのアルコールに対する耐性を持っていたという。これだけ古くから持っている能力なら、人類が生きていくうえで必須の能力だったと思うのだが、現代では特にアジア人の中では酒が飲めない人というのが多い。これは低アルコール濃度でアセトアルデヒドに分解してしまうため気分が悪くなるからだというが、どうしてアジア人だけがそういう風に退化してしまったかというのは今でもわからないらしい。

植物の風味にはどんな目的があるのかというと、それは外敵から自分の身を守るというためである。キャベツ、ブロッコリー、ラディッシュ、クレソン、ルッコラ、ワサビ、ホースラディッシュ、これらすべてはアブラナ科の植物だが、共通するのはグルコシノレートというカラシ油のもとになる成分を持っているということだ。カラシ油は昆虫や細菌にとっては有害だが、ほ乳類では腫瘍抑制効果があるとされている。しかしその進化は9000万年~8500万年前に起こったことでありそれから1000万年の月日が流れた後からはモンシロチョウたちも解毒能力を備えて今に至っているので叔父さんの畑では年中モンシロチョウが飛んでいる。叔母さんはいつも捕虫網を振り回して駆除しているが、それを見るたびに、きっと無駄じゃないかと思うのである・・。その畑で確かに思うのは、アブラナ科の野菜というのはやたらと種類が多い。
ハーブ類も同じく、自分の身を守るために様々な香りの成分を出し人間はそれを楽しんでいる。しかし、それは植物には相当な負担となる。たとえばトウガラシはカプサイシンを作らなければもっと種を生産できるようになるそうだ。そんな生存競争の結果を人間は利用してきたことになる。

家畜はというと、これも変化が現れている。家畜化症候群というものがあって、外見では巻き上がった尻尾、ぶち模様、たれ耳、鼻が小さい、脳が小さい、などがそうなのだが、同時に、おとなしくて従順であるという特徴も同時に現れる。体の特徴と性格が従順だというのは一見関連性がないとも思えるのだが、胚の段階で現れる神経堤という部分に、これらの形質のほとんどを決定づけるものがあり、それは人間が飼育しやすい性格の家畜を選別してきた結果なのだそうである。

こうして人間たちの食卓には多彩な食材がいっぱい並ぶようになった。そして、その結果、進化は社会の領域に踏み込んでゆく。
食料を増産し、保存するというのは、利他行動という、飢餓に備えるという人間の知恵なのだろうが、別の理由もある。それは地位欲である。
北米太平洋岸北西地区には「ポトラッチ」という習慣があり、これは相手に豪華な贈り物をすることによって相手よりも高い地位にあることを誇示するというような習慣なのだが、こういったものは途切れることがない。贈り物への返礼としてもっと高価な、もっとたくさんのということが繰り返される。空腹は満たされればそれを制御する調節回路が働くけれども、人間の地位に対する関心にはそれがなく、エスカレートするばかりである。
それは、旧石器時代の狩りの収穫がどのように分配されるかに対する注目から始まったのだと著者は考えている。たくさんのモノを持つことができればたくさんの贈り物もできる。確かに、この時代、NHKテレビが言うように、大型哺乳類が狩りつくされ、いく種類もの動物が絶滅している。
そして、人間の白目が拍車をかけることになる。白目があることによって相手がどこを見ているかが分かるようになった。目は、進化によって、見るだけでなく、見ていることが外から分かるように設計されている。私たちは目を使って、ほかの人を見ているという合図を出しているのである。実験的な証拠に基づけば、社会的な駆け引きが存在するとき、相手を見つめていれば嘘をつかれずに済むからというのである。

突き詰めると、人間社会の様々な矛盾はその地位欲を満たすためにもたらされ、それは人類の進化の結果なのである。
自らの進化が自らを滅ぼしかねないというリスクを抱えながら人類は進化してゆくしかないのかもしれない。

火を熾して料理を作ろうと思い立ったのは去年からだし、地位欲はあまりなさそうだし、そこだけ見ていると僕は人類の進化から取り残された人類なのかもしれないと思ってしまう。唯一進化してしまった部分は酒にそれほど強くないということと、牛乳を飲んでもお腹を壊さないということだけである。
そんなところは別に進化してほしくはなかったのであるが・・。
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