まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回中国観音霊場めぐり~三江線の廃線跡をたどる・3

2020年11月26日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐりに合わせて三江線の跡をたどるドライブ。「天空の駅」として知られる宇都井を過ぎて、次に目指すのは浜原。

宇都井からしばらくは道幅の狭い秘境区間を過ぎ、再び国道375号線に合流する。この辺りの区間は鉄建公団により造られたこともあり、高規格のトンネル、高架橋が続く。右手に石見都賀のホームをちらりと見る。

道の駅を通過して、国道375号線沿いに現れたのは潮。ホームの向こうに江の川が流れている。川べりなのに「潮」とはこれ如何にという気がするが、駅の近くに塩分を多く含む温泉が湧き出ており、温泉の名前も含めてそれから取られたという。

また、潮の駅跡の横には「平成30年7月洪水 ここから実績洪水区間」という標識がある。西日本豪雨である。ちょうど山間部、また江の川の水量も豊かなところで、それまでにもこのようなリスクは多かったと思われる。

江の川にカヌーが何艘も浮かんでいる。どこかの部活動だろうか。ここまで江の川に沿って下っているが、特に急流というところもなく、蛇行しながらも穏やかに流れるように見える。先ほどイチョウを見た作木町も含めて、カヌーに適した川なのだろう。

浜原に到着。1975年の全通までは、江津からの三江北線の終着駅だったところだ。駅舎の前には三江南線の終着駅だった口羽と同じように、「三江線全通記念」の碑が置かれている。その筆の主は、元衆議院議員の細田吉蔵。こちらも島根県選出の議員で、元運輸大臣。ちなみに息子は細田博之議員で、現在の清和会(自民党細田派)の会長である。細田家も三江線の開通に影響を及ぼしたのかな。

こちらは石見交通、大和観光のバスが出ていて、待合所も兼ねて駅舎の中も使われている。寄贈された文庫コーナーもある。

また、「ふたりの三江線」というCDのPRも貼られている。「三江線を忘れないで」「三江線に乗ると不思議にも願い事が叶うって本当?」というキャッチコピーがあり、「作詞作曲 佐藤かずを」「唄 水木雪乃(新人)」とある。たまにありますな、こうしたローカル線の名前を冠した演歌。どんな歌なのやら、

この辺りは島根県美郷町。次の粕渕が町の中心部で、駅舎も町の商工会館を併設した立派な建物である。かつての駅窓口のエリアも開放されていて、三江線の往年の景色の写真も多く飾られている。

時間的に早い昼食でもよいのだが、それは江津まで遅らせることにして、町の中にある「産直 みさと市」に立ち寄る。地元のスーパーとして、そして地域の産直品、土産物なども置かれている。そういえばここまで三江線の沿線で消費をしておらず、何か買い物でもしようか。

買ったのはイノシシ肉の缶詰。スパイス煮、ビール煮の2種類ある。この辺りでは、獣肉を食べることが禁じられていた昔から、「山くじら」としてイノシシを食べる文化があったそうだ。時代が下って、イノシシによる農作物への被害が問題となる中で、ジビエ料理としてイノシシ肉を町おこしの材料にしようという取り組みが行われている。冷凍肉も売っていたが、この先の道中もあるので缶詰を買う。この記事を書いている時点ではまだいただいていないが(缶詰なので日持ちする)、三江線沿線の味としていずれ楽しんでみようと思う。

次の目的地を石見川本として、その途中の駅をたどる。

石見簗瀬。江の川の左岸にあり、駅周辺には集落も広がっているが、かつて駅舎があったと思われる一角は更地になっていて、バス停の標識とポストがけがぽつんと立っている。

次の乙原(おんばら)は、集落から少し上がったところにある。駅前にイチョウの木が立っていて、辺りには落ち葉が広がっている。かつては待合室もあったようだが、現在は撤去されている。

続いては竹。何ともシンプルな駅名である。駅というより停留所の風情だ。駅の裏手に一軒家があり、その家に向かうために線路を渡ることができる。

だんだん駅の記述が淡泊になって来ているが、三次からここまで3時間ほど走ったこともあるし、列車が来るわけでもないし、廃駅もだんだん似たようなものに見えてきたこともある。このブログをご覧の方もだんだん「もうええわ」という感じになっているのではないだろうか。

そうするうちに、石見川本に到着。現在も江津からの路線バスが来るところで、まだ先は長いものの終点が見えてきた感じである・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 第16回中国観音霊場めぐり... | トップ | 第16回中国観音霊場めぐり... »

コメントを投稿