まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第8番「室生寺」~西国四十九薬師めぐり・2(女人高野で大汗かく、仕上げのビールは天山閣)

2019年07月03日 | 西国四十九薬師

令和のはじめとともに発願した西国四十九薬師めぐり。最初に第1番の薬師寺にお参りしてから1ヶ月が経ち、そろそろということでくじ引きとサイコロの出目で決まった次の札所に向かう。出たのは室生寺で、これも国宝を有する名高い寺院である。

6月29日、この週末は九州を中心に強い雨となった。関西も雨の予報だったが、室生寺は雨も似合うかと勝手に解釈して、この日に出かけることにした。午前は所用があり昼前の出発となったが、何とか天気は持ちそうだ。蒸し暑いが、雲の間から青空も見えるようになった。

急行で室生口大野に到着。数人の下車があり、駅前へと続く階段を下りる。ちょうどあじさいも咲いている。

室生寺には1時間に一本バスが出ている。この日は運行がなかったが、春と秋には長谷寺との直通バスが出ている。以前、西国の長谷寺との組み合わせで室生寺に来た時に乗ったことがある。

バスは途中、磨崖仏で知られる大野寺を経由するが、道路が工事中ということで迂回して室生寺に直接向かう。室生川に沿って走り、駅から15分ほどでバス停に到着した。名物のよもぎ餅の売り声もかかるが、そのまま朱塗りの太鼓橋まで向かう。

女人高野室生寺の石標が立つ。その横にあるのが老舗旅館の橋本屋。多くの文人墨客が利用したが、中でも写真家の土門拳は室生寺撮影の常宿として数十年愛用した。四季の室生寺の姿を写真に残したが、その中で雪景色だけは撮影する機会に巡りあわなかったそうである。そして40年目にしてようやくその機を得た。その時は橋本屋の女将さんも土門拳と一瞬に我が事のように喜んだそうだ。室生寺が全国的にも知られるのはもちろん歴史や仏像、建物によるところが多いが、土門拳が愛でた対象としての写真によるところもあるのではないか。

また、五木寛之の『百寺巡礼』も室生寺から始まっている。室生寺は、長年女人禁制だった高野山に対して、女性の参詣を受け入れていたことから「女人高野」と呼ばれた歴史があるが、五木寛之はこの寺に女性のたくましさのようなものを感じたと記している。また『女人高野』という演歌の詞も書いている。百の寺を回るにあたりその「1番札所」にするくらい、強い思い入れもあるだろう。

受付で拝観料を支払い境内に入る。正面には新しい納経所とお手洗いができていて、一方右手の仁王門が修復中で足場が組まれている。室生寺といえば1998年の台風による倒木で五重塔の屋根が押し潰され、後に復興のが今でも紹介されているが、寺全体も後世にその姿を留めるためにさまざまな修復が行われている。

仁王門をくぐったところのバン字池の上にはモリアオガエルの卵が孵化を待っている。雨が降ると泡が溶け崩れて池に落ちるのだという。その前に目立ちすぎて襲われやしないかが心配だが。

鎧坂の石段を上り、弥勒堂、そして金堂に出る。現在東京国立博物館で「奈良大和四寺のみほとけ」展が開かれていて、長谷寺、室生寺、岡寺、安倍文殊院から仏像が出展されている。室生寺からの出展は弥勒堂の釈迦如来、金堂の十一面観音(いずれも国宝)、十二神将の一部である。

金堂の外側の廊下に出る。春と秋の特別拝観中は外陣まで入ることができるが、それ以外は廊下から中をのぞく形だ。金堂の本尊は釈迦如来で、両脇に文殊菩薩、薬師如来が祀られている。この薬師如来が、私が巡拝する西国四十九薬師の本尊だが、薬師寺では中央にデンと構えていたのが、室生寺では他の仏像が主力のためやや影が薄いようだ(いやこれも国の重要文化財で、平安時代の作品だが、元はどこか別のお堂に祀られていたのではないかとされている)。他の参詣者もいるが、外側の廊下に立ってのお勤めとする。

さらに石段を上ると本堂。河内長野の観心寺、西宮の神呪寺とともに日本三如意輪観音の一つと紹介されている。また「日本三大」などと書くとあちこちから異説が飛んできそうだが、少なくともネット検索ではおおむね異論もなくこの三体で収まっているようだ。

本堂に着いたので室生寺の歴史にも触れてみる。奈良時代の末期、興福寺の賢璟(けんきょう・けんけい)により建立されたとあるが、元々このあたりは洞穴が多く、龍神の棲み家としての信仰があり、山岳修行の場でもあった。長く興福寺の末寺だったが江戸中期に真言宗の寺院になった。徳川綱吉の母・桂昌院も多額の寄進をしてお堂の修復に寄与したという。

そして室生寺のシンボルといえる五重塔。元々の建立は800年頃とされている。屋根や部材は後に修復されたもので、近年では先に触れた台風被害からの修復だが、心柱は建立当時のものがそのまま使われているそうだ。この芯の強さ、女人高野として女性の内面の強さにもつながるのではないかと言われている。

ここまで来れば室生寺の主要な伽藍は回った形なので引き返してもよいのだが、多くの参詣者はこの先の奥の院を目指す。室生寺の石段は700段とされていて、この数は仁王門から奥の院までの数である。だから五重塔までいくらかは上っているが、他の寺に比しても難所とされている。

この日は雨は降らないものの湿度が高く、またこれからの本格的な暑さにようやく体が反応したのか、気温以上に暑さを感じた。汗もダラダラ出てくる。そんな中、日陰もたいして涼しくないなと思いつつ石段を上がる。

室生寺の石段が難所とされているのは、途中踊り場もなくまっすぐに石段が続いているのと、一段一段の奥行きが狭いことからだろう。ゴールの奥の院は見えているが、人によっては垂直に上るように見えるかもしれない。

たっぷり汗はかいたが、五重塔から10分かからずに奥の院まで来た。やれやれ。

ここに弘法大師を祀る御影堂があり、もう一度お勤めとする。

奥の院は常燈堂という位牌堂があり、室生寺で先祖供養となるとここの受け持ちのようだ。この日も法事があったようで常燈堂から喪服姿の参列者が出てきた。石段を特に苦にせず下りる人もいるが、お年寄りには結構キツイ。サポートのために下から上がって来た人もいる。何もこんな山奥に位牌を置くこともなかろうに・・と勝手に思うが、そこは弘法大師の近くに、あるいは女人高野だからということで供養する、されることが受け継がれているのだろう。

別に急ぐわけではないが下りもスムーズに来て、新たな建物の納経所に向かう。前回、長谷寺との組み合わせで訪ねた時は朱印をいただくこともなかったが、今回いただくのは釈迦如来や日本三如意輪観音ではなく、あくまで西国四十九薬師としての薬師如来。これはこれで間違いではない。

この後だが、バスの発車が近いということで門前の通りのよもぎ餅その他はパスしてバスに乗る。どうせ汗ダクだしちょっと駆け足の室生寺詣でだったが、まあいいかなと・・・。

・・ここまで来て、西国四十九薬師めぐりの次の札所がどこかに触れていないのに気づいた。実はくじ引きとサイコロは、奥の院から下りて来た後の金堂前で済ませている。その選択肢は・・・

1.河南町(弘川寺)

2.名張(弥勒寺)

3.橿原(久米寺)

4.池田(久安寺)

5.三井寺(水観寺)

6.三重(石薬師寺、四天王寺)

この中で出たのが「6」。ありゃ、いきなり三重県か。

まあ石薬師(鈴鹿市)、津となると宿泊はしなくてもちょっとした日帰り旅行である。津も列車では何度も通過しているが町を訪ねたことがないので、それも含めてどう回るか。ただ、「日帰り旅行」と書いたが、私のスケジュール次第では他のスポットと組み合わせて1泊旅行にするのも面白いかと思う。

駅まで戻り、上本町行きの急行に乗車。そのまま終点まで乗った。汗をかいたので帰りに一杯・・と入ったのは、「日本一長いカウンター居酒屋」の天山閣ハイハイ横丁。もっともこの時間は長いカウンターの半分しか開けていなかったが、G20サミットにともなう警備の期間中だからか人出も少なく、落ち着いてノドを潤すことができた・・・。

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