第13番の大日寺から第14番の常楽寺までは2.5キロほどあるという。歩き用の遍路道は県道ではなく鮎食川沿いを通っており、まずは一宮橋に向けて歩く。天候も穏やかで歩くとちょうど身体が暖まる感じである。
一宮橋を渡ると少し県道に沿って歩くが、途中から住宅団地に分け入る形で坂を上る。バスで通った感じては平たいところを歩くのかなと思っていたがちょっとした起伏があるのは意外である。常楽寺への看板もあるのでわかりやすい。
途中にある日枝神社にもお参りし、常楽園という名前の養護施設の前を通る。常楽園とは、常楽寺と何か関係があるのだろうか。
大日寺から30分あまりで、池のほとりの常楽寺に到着する。山門はなく、門柱の間を通って境内に入る。まず目についたのは休憩所。テントの下にどこぞの応接間から持ってきたのかというソファー型の椅子が並んでいる。
普通、寺といえば山門から本堂までは石畳の参道などが設けられているものだが、この常楽寺は本堂の前に奇岩がある。自然のままに残しているわけだが、わざわざこういう岩の上に寺を建てたのは何か意味があるのかなと思う。四国八十八所のページによると、常楽寺は弘法大師が修行中にこの地で弥勒菩薩を感得し、霊木に弥勒菩薩像を彫って本尊としたのが最初で、その後は金堂や三重塔もある大きな寺になったという。ただ、先の大日寺と同様に長宗我部元親の兵火で焼かれてしまう。そこで江戸時代に蜂須賀氏によって再興・・・といっても十分なものではなく、江戸の後期になってようやく、それまで谷の低いところにあったのを高台に上げる形で建てたのが今の形であるという。その時、自然の岩を加工することなく、ありのままに残したものだろう。それか、元々の参道場別のところにあったのが、「この岩の上を歩いたほうが近道だから」ということで、入口がそちらのほうに行ったのか。それがかえってこの寺の特徴となっている。それも面白い。
本堂の前に、「四国霊場中他に無い当山の三大特色」と書かれた立札があり、「四国中唯一佛 本尊弥勒菩薩」「自然美の流水岩の庭園」「社会福祉法人(この後字が薄くて読めず)常楽圓」とある。四国八十八所の本尊はいろいろあるが弥勒菩薩はここだけだという。また先ほど見た常楽園も寺が経営しているものだった。
弥勒菩薩というのは、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来にこの世に現れて人々を救済するとされている。えらい気の遠くなる話で、その頃には人類、いや地球そのものが存在しているかどうか。そんな56億7千万年後と言わずに、もうちょっと早よ来てえな・・・というところだが、それまではまだ兜率天というところで修行中の身であるという。そこで「来るのを待つくらいなら、こっちから行ったれ」と、兜率天に往生するという信仰もあるそうだ。
また同じく本堂の前には一本の大木がある。アララギ(イチイ)の木で、ここにも弘法大師が祀られているということで「アララギ大師」と呼ばれている。「常楽寺は糖尿病にご利益がある」というのをネットで見た。アララギの葉や果実というのが糖尿病に効くという民間療法があったそうだ。今では、アララギには有害物質が含まれているというし、近代的な血糖降下薬も開発されているのでアララギに頼ることはないだろう。ただそれよりも食事、運動療法が最適である、体重を増やさないように・・・と、弘法大師ではなく私の主治医からのお言葉が聴こえてくる。ここはアララギにも手を合わせて自らの平癒を祈願する。
こちらで朱印をいただき、これで残るは国分寺である。歩き遍路の案内に従っていくとまず常楽寺の奥の院という慈眼寺というところに出る。
次の国分寺までは1キロ。これまでで最も短い札所間の区間で、10分で到着である・・・。
一宮橋を渡ると少し県道に沿って歩くが、途中から住宅団地に分け入る形で坂を上る。バスで通った感じては平たいところを歩くのかなと思っていたがちょっとした起伏があるのは意外である。常楽寺への看板もあるのでわかりやすい。
途中にある日枝神社にもお参りし、常楽園という名前の養護施設の前を通る。常楽園とは、常楽寺と何か関係があるのだろうか。
大日寺から30分あまりで、池のほとりの常楽寺に到着する。山門はなく、門柱の間を通って境内に入る。まず目についたのは休憩所。テントの下にどこぞの応接間から持ってきたのかというソファー型の椅子が並んでいる。
普通、寺といえば山門から本堂までは石畳の参道などが設けられているものだが、この常楽寺は本堂の前に奇岩がある。自然のままに残しているわけだが、わざわざこういう岩の上に寺を建てたのは何か意味があるのかなと思う。四国八十八所のページによると、常楽寺は弘法大師が修行中にこの地で弥勒菩薩を感得し、霊木に弥勒菩薩像を彫って本尊としたのが最初で、その後は金堂や三重塔もある大きな寺になったという。ただ、先の大日寺と同様に長宗我部元親の兵火で焼かれてしまう。そこで江戸時代に蜂須賀氏によって再興・・・といっても十分なものではなく、江戸の後期になってようやく、それまで谷の低いところにあったのを高台に上げる形で建てたのが今の形であるという。その時、自然の岩を加工することなく、ありのままに残したものだろう。それか、元々の参道場別のところにあったのが、「この岩の上を歩いたほうが近道だから」ということで、入口がそちらのほうに行ったのか。それがかえってこの寺の特徴となっている。それも面白い。
本堂の前に、「四国霊場中他に無い当山の三大特色」と書かれた立札があり、「四国中唯一佛 本尊弥勒菩薩」「自然美の流水岩の庭園」「社会福祉法人(この後字が薄くて読めず)常楽圓」とある。四国八十八所の本尊はいろいろあるが弥勒菩薩はここだけだという。また先ほど見た常楽園も寺が経営しているものだった。
弥勒菩薩というのは、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来にこの世に現れて人々を救済するとされている。えらい気の遠くなる話で、その頃には人類、いや地球そのものが存在しているかどうか。そんな56億7千万年後と言わずに、もうちょっと早よ来てえな・・・というところだが、それまではまだ兜率天というところで修行中の身であるという。そこで「来るのを待つくらいなら、こっちから行ったれ」と、兜率天に往生するという信仰もあるそうだ。
また同じく本堂の前には一本の大木がある。アララギ(イチイ)の木で、ここにも弘法大師が祀られているということで「アララギ大師」と呼ばれている。「常楽寺は糖尿病にご利益がある」というのをネットで見た。アララギの葉や果実というのが糖尿病に効くという民間療法があったそうだ。今では、アララギには有害物質が含まれているというし、近代的な血糖降下薬も開発されているのでアララギに頼ることはないだろう。ただそれよりも食事、運動療法が最適である、体重を増やさないように・・・と、弘法大師ではなく私の主治医からのお言葉が聴こえてくる。ここはアララギにも手を合わせて自らの平癒を祈願する。
こちらで朱印をいただき、これで残るは国分寺である。歩き遍路の案内に従っていくとまず常楽寺の奥の院という慈眼寺というところに出る。
次の国分寺までは1キロ。これまでで最も短い札所間の区間で、10分で到着である・・・。