まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

伏木見物

2011年07月22日 | 旅行記D・東海北陸

氷見線というローカル線は面白い。

起点の高岡を出発するとまずは地方都市の町中、住宅街を抜け、しばらく走ると沿岸部の工業地帯にさしかかる。貨物の専用線もありコンテナの姿も見られる。そして越中の国府のあった伏木の狭い路地裏のようなところを抜け、富山の絶景の海が広がる雨晴海岸に出る。そして終点の氷見はブリをはじめとした魚介類の豊富なところで、氷見うどんと合わせたグルメを楽しめる・・・。

全線は短い距離ながらこういう起承転結、変化に富んでおり、手軽にかつ濃くローカル線の風情を味わえる路線である。今回の海の日の連休では乗車することはなかったものの、雨晴海岸を行く気動車の風情に十分満足した。

Dscn9289さてその後で向かったのは越中の国府のあった伏木。射水川の河口に面しており、都からの陸路、射水川の水運、そして能登との海路の拠点という、交通の要衝であったところである。改めて地形を見てみると、伏木に古代の国府が置かれたのもうなずける話である。

Dscn9310源義経と弁慶の奥州への逃避行の時のエピソードに「勧進帳」というのがあるが、歌舞伎その他では石川県の安宅の関が舞台となっている。ただ、この伏木には射水川に「如意の渡し」というのがあり、ここを渡ろうとした時に川の渡し守が一行を見咎め、その時に弁慶の機転と忠誠心で難を逃れた・・・というのが元々のストーリーだったという。

如意の渡し。もう4年前になるのか、このブログでもおなじみの大和人さんと富山のいろんな乗り物を巡る旅を行ったことがあるが、その一つに「如意の渡し」があった。その時は東側から小型の、それこそ渡し船という感じの船で渡った。そして降り立ったところに義経と弁慶の像があったのを見たものである。

Dscn9312ただその時、川には橋を架ける工事が行われていた。「何か景観を損ねるなあ」と思っていたのだが、ものの見事にその橋は架かり、射水川の東と西、伏木の港と平野部の工場地帯をバイパス的に結ぶ、産業道路としての役割を担うようになった。その裏で如意の渡しは廃止されたのだが、仮に地元の人たちが歩いて、あるいは自転車で移動するような時はかなり大回りを強いられることになったのだろう。

Dscn9283この後向かったのは高岡市万葉歴史館。ここ越中には大伴家持が国司として赴任していた。越中の国司というのが当時の政界にあってどの程度のキャリアになるのかはさておき、家持としては、都にいただけでは決して触れることのなかった地方の「鄙」に接し、この地の春夏秋冬の豊かな自然の景色に触れ、歌人としても大いに制作意欲にかられたことであろう。

「馬なめていざ打ち行かな渋渓の 清き磯みに寄する波見に」

これは雨晴海岸をうたったもの。何だか地方勤務のほうがリラックスでき、のびのびと自分の能力を伸ばせる、活かせるような気がするのだが、それは現代も昔も同じようなものなのだろうか・・・?

歴史館では大伴家持と越中の自然文化について映像や文物で紹介されており、歌好きにはなかなか居心地がよいところ。そこを後にして再び伏木の中心部に出る。

Dscn9290今回訪れたのは北前船の廻船業で栄えた旧秋元家住宅。現在は伏木北前船資料館として公開されている。かつて一度訪れたことがあるが、その時に「横綱の千代の富士はこの秋元家とつながりがある」というような話を聞いたことがある。千代の富士(九重親方)の本名は秋元貢、北海道の松前の出身である。そして松前といえば北前船の最北の寄港地であり、おそらくそういう海運つながりで広がったものであろう。

Dscn9294さて屋敷の中は船舶会社の広告であった「引き札」も数多く展示されており、当時の盛況ぶりがうかがえる。

Dscn9298北前船は明治になって衰退したが、その中にあって伏木の数々の廻船問屋の力により、伏木の港を近代的なものにして、現在の国際港としても機能を発揮している伏木港の基礎をつくったといえる。

Dscn9305この秋元家はちょっと高台に建てられているのだが、その蔵の最上階に「望楼」が設けられている。現在でこそ二階建て以上の建物が当たり前となり、遠くに水平線を望むくらいであるが、当時であれば港への船の出入りも手に取るようにわかることだっただろう。

Dscn9304結構、ここまで登るのには急な梯子段を上がらなければならず、私の体格では結構ミシミシ言うのが緊張ものだったが、景色はいいし、暑い中でも涼しげな風が吹き込んでくるのは気持ちいい。

Dscn9306そんな伏木は日本海側の港として、特にロシアとの交易拠点になっている。夏季限定とはいえウラジオストクへの旅客船が出ていたり、街にもロシア語の看板も見られる。高校でも市民向けにロシア語講座なんてのもやっているようだ。今でこそ中国語やハングルというのは国内でも浸透してきていろいろなところで見かけるが、ロシア語となるとなかなか見られるものではない。あのキリル文字の珍しさを合わせて新鮮な出会いを感じる。それだけに伏木というのは異国情緒あふれる街と言ってもいいだろう。

本来ならばもっと滞在してあちこち見て回るのがよかったのだろうが、野球場への移動もあるので今回はここまで。また氷見線で旅ができる日を楽しみにしつつ、伏木を後にするのであった・・・・。

コメント