吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年11月27日〈津屋崎学〉016:津屋崎小学校校舎内にある遺跡「在自唐坊跡展示館」

2006-11-27 13:55:55 | 郷土史
●写真①:12世紀の遺跡「在自唐坊跡展示館」が南校舎1階に併設されている津屋崎小学校
      =福津市津屋崎在自で、2006年11月24日午前10時38分撮影

琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第16回:2006.11.27
  津屋崎小学校校舎内にある12世紀の遺跡「在自唐坊跡展示館」


清 「11月14日の郷土史談義で、郷土の名力士・沖ツ海のことを叔父さんに説明してもろうた時、同じ福岡県出身としてがんばってほしいと話に出た〝カド番大関〟魁皇は千秋楽の26日、10勝5敗で九州場所を終え、まずまずの成績だったね」
琢二 「無敗の8連勝で勝ち越した時には、久しぶりに優勝争いに食い込むかと期待されたがな。その後は、ずるずると負けがこみ、いつもの弱気の魁皇だったぞ。大関だから、最低10勝は当たり前たい」
清 「しょうがないね。それはそうと、僕の母校・福津市立津屋崎小学校=写真①=に遺跡があると聞いたが、何のこと?」
琢二 「なんや、知らんのか。日宋貿易に携わった中国人居留地と考えられる〈在自西ノ後(あらじにしのあと)遺跡〉だ。市の文化財に指定されとる」
清 「いつごろの時代かいな」
琢二 「約8百年前の12世紀、平安時代から鎌倉時代にかけて、中国から宋の貿易船が入港していた津屋崎には〈綱首(ごうしゅ)〉と呼ばれる中国人の貿易商人が住んでいた。日本に滞在しながら、貿易を行った中国人街の〈唐坊〉ができたわけたい。〈在自西ノ後遺跡〉で多量に出土した中国製陶磁器の中に、〈綱首〉の存在をうかがわせる〈綱〉と書かれた青磁があり、隣に中国人の住む区画を意味する〈唐防地〉という地名も残っている。古くは〈唐坊地〉とも書かれた。中世の文献資料でも、中世の宗像氏が宋の貿易商人と関係が深かったことが分かっている」

清 「この遺跡は、いつ発掘されたっちゃろうか」
琢二 「遺跡は1993年7月、津屋崎小学校北校舎改築工事の際に発見された。南校舎改築工事に伴う2002年7月からの第二次、第三次の発掘調査で、建物跡や井戸、荷札と見られる木簡、中国のお金などが出土したったい」
清 「へー、そうね。南校舎の中に展示館が設けられたとも聞いたばってん、どげなもんが展示されとうと?」
琢二 「〈在自唐坊跡(あらじとうぼうあと)展示館〉=写真②=という名前で、南校舎1階部分に発掘当時の様子がうかがえるように04年4月に併設された。儀式や宴会など非日常の場で用いた陶器、青磁、白磁などを廃棄したと考えられる〈土器溜(だ)まり〉跡は、表面が崩れないように加工処理しただけにとどめ、出土したままの状態で多くの土器を見られる。当時の人たちは、非日常の場で使った器を日常生活に持ち込むのを忌み嫌ったようで、使用後はまとめて廃棄したのが〈土器溜まり〉として見つかったわけだ。

 このほか、展示館では井戸も保存処理をして組み立て直し、出土した位置に戻してあり、墨書(ぼくしょ)磁器や木簡など約百点を展示、パネルで解説してある。墨書磁器とは、貿易船に商品を運ぶ際に持ち主が分かるように、一番上に積まれた磁器に持ち主の名前を目印として書いたものだ」
清 「中国の焼き物が、だいぶん出土しとるばってん、具体的に言うと、どんなもんかいね」
琢二 「中国南部で生産され、なめらかな曲線文様が特徴の〈龍泉窯(りゅうせんよう)〉や、ジグザグ文様の〈同安窯(どうあんよう)〉の青磁、白磁、陶器で、12世紀後半ごろの陶磁器だ。磁器のほとんどは碗と皿で、壺やふた付きの小容器の合子(ごうす)なども数点出土した。陶器は、壺や甕(かめ)、水差しなどだ」


写真②:津屋崎小南校舎に併設、発掘当時の様子がうかがえるようになっている〈在自唐坊跡展示館〉
     =津屋崎小南校舎で、2007年10月30日午後0時18分撮影

清 「結構、大きな展示館のごとあるね」
琢二 「南校舎は、鉄筋コンクリート2階建て延べ約3千2百平方㍍で、建設工事に約9億5千万円をかけたが、うち展示館は約5百80平方㍍で、教室なら3つ以上も入る広さがあり、工費は約1億8千万円たい。展示館では、遺跡の内容だけでなく、当時の日本とアジアの情勢や津屋崎の歴史も解説文と映像で紹介している。遺跡を校舎に併設した全国的にもユニークな展示館で、小学生たちが気軽に津屋崎の歴史を勉強できるのがいいばい」
清 「僕もいっぺん、展示館を見とうなった」
琢二 「平日は休館で、土・日曜、祝日に見学したい場合は、事前に展示館の利用を市郷育推進課(TEL0940―52-4969)に予約が必要だ。福間町と合併して福津市になる前の旧津屋崎町時代は、もっと簡単に見学できとったのに、ちと面倒くそうなったな」

福津市立津屋崎小の位置図
    福津市立津屋崎小学校の位置図


 津屋崎小学校(福津市津屋崎在自):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線「津屋崎」駅から徒歩約15分。西鉄バス「津屋崎小前」下車〔車で〕九州自動車道古賀インターから国道495号線経由で約25分。
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2006年11月27日/〈津屋崎の四季〉036・「新堤池」の野鳥

2006-11-27 05:07:43 | 風物
写真①:サギ類の餌場と塒(ねぐら)になっている「新堤池」の水辺と竹薮(対岸中央)
     =福津市的岡で、2006年8月25日午前6時30分撮影

 福津市的岡にある「新堤池」=写真①=の野鳥を、カメラでスケッチしてみました。

 カワセミ(カワセミ科)は、「新堤池」のスターといえる美しい野鳥です。10月30日朝、コンクリート堰堤の水際で、小魚が浮かんで来るのをじっと待っていました=写真②=。


写真②:堰堤の水際で浮かんで来る小魚を狙うカワセミ
     =「新堤池」北岸で、06年10月30日午前7時30分撮影

 「新堤池」に飛来する冬鳥の代表格、オオバン(クイナ科)は、悠然と泳いでいます=写真③=。11月2日に1羽が初飛来、12日には2羽に増えたのを確認しました。


写真③:悠然と泳ぐオオバン。黒い体に、額から嘴にかけての白色が目立つ
     =「新堤池」で、11月9日午前7時23分撮影

 「新堤池」北岸近くにある電柱の上には、猛禽のトビ(タカ科)が止まり、辺りを見下ろしています=写真④=。


写真④:電柱の上に止まり、辺りを見下ろすトビ
     =「新堤池」北岸近くで、9月26日午後4時01分撮影

 「新堤池」北岸堰堤の水際では、ハクセキレイ(セキレイ科)が歩く姿をよく見かけます=写真⑤=。


写真⑤:堰堤の水際を歩くハクセキレイ
     =「新堤池」北岸で、10月26日午後4時07分撮影
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