吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年11月20日/〈日記〉52・「津屋崎千軒考え隊」ワークショップ佐賀視察(2)

2006-11-20 21:51:05 | 日記
ワークショップ佐賀視察(2)

 町興しの拠点「浜宿継場」
 
 〈「津屋崎千軒考え隊」第4回ワークショップ〉で19日、隊員らが視察した佐賀県鹿島市の長崎街道筋の宿場町・「肥前浜宿(はましゅく)」で、町興しグループのNPO法人「肥前浜宿水とまちなみの会」(熊本義泰代表)の拠点と情報発信基地になっているのが、「継場(つぎば)」=写真①=です。

 江戸時代に旅人の荷物を宿場から宿場へ送る人馬の継ぎ替え場の面影を伝える建物で、切妻桟瓦(方形で横断面が波形をした瓦)葺きの大壁土蔵造り2階建て延べ面積約212平方㍍。1階の表構えは摺(す)り上げ戸を入れる形式で、2階の正面側は2か所に小型の窓を開け、防火戸を付ける構造です。


写真①:江戸時代の宿場町・「肥前浜宿」の面影を今に伝える「継場」の正面
     =鹿島市浜町八宿乙で、2006年11月19日午前10時42分撮影

佐賀県鹿島市・「肥前浜宿」位置図
   佐賀県鹿島市・「肥前浜宿」位置図
      (ピンが立っている所)

 「継場」入り口の軒先に、「登録有形文化財 第41-0048号 この建造物は貴重な国民的財産です 文化庁」と表示した額=写真②=が掲げられていました。「肥前浜宿水とまちなみの会」などが、老朽化していた「継場」を伝統的な建物として修復保存するため、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で創設された文化財登録制度に基づき、文化財登録原簿に記載される有形文化財として登録を文化庁に働きかけて実現。「継場」建物の所有者で造り酒屋店主の前田氏から寄贈を受けた鹿島市が平成14年(2002年)に工費約2,500万円で修理し、明治時代初期の建物の状態に復元、「肥前浜宿」の町並み案内所として翌15年1月にオープンしました。


写真②:「継場」の入り口軒先に掲げられている「登録有形文化財 文化庁」の額入り表示
     =19日午前10時49分撮影

 「継場」の運営は、事務局を置く「肥前浜宿水とまちなみの会」が担当。会員がボランティアで当番をして掃除や観光ガイドを行い、会の会合も月に2回開いており、年間約6千人の来訪者があるという。入り口の「登録有形文化財」表示の左側軒下には、「継場」の説明板=写真③=が立てられています。


写真③:「継場」軒下に立てられている説明板
     =19日午前10時42分撮影

 「継場」1階入り口にある板床の座敷には、「肥前浜宿」の文字を背中に染め抜いた法被が壁に掛けられています=写真④=。「肥前浜宿」の町並みは、室町時代には浜川の河口に形作られ、江戸時代からは宿場町として、また有明海に臨む港町として〝浜千軒〟と呼ばれて栄えました。明治以降も、酒造業や水産加工業に支えられ、豊かな町並みが造られました。


写真④:「肥前浜宿」の文字を背中に染め抜いた法被
     =19日午前10時48分撮影

 「継場」入り口の土間には、昔の徳利=写真⑤=などが展示されています。江戸時代、長崎街道多良(たら)往還(多良海道)の旅人の荷物を宿場へ送る人馬の継ぎ替え場だった「継場」は、今では「人から人へ文化を継ぐ場、町づくりの発信基地」として再生しています。


写真⑤:「継場」入り口の土間に展示されている徳利
    =19日午前10時48分撮影


 江戸時代に人家が千軒もあるほどに栄えている意味で〝○○千軒〟と呼ばれた町は、福津市の〝津屋崎千軒〟、宮崎県日向市の〝美々津(みみつ)千軒〟など全国で20か所足らずしかないそうです。津屋崎の先達として町並みの保存と活性化を図り、〝浜千軒〟の賑わい復活を目指す「肥前浜宿」の人たちに、同じ〝千軒人〟として親近感を覚え、エールを送りたく思います。

 福津市津屋崎にも、明治の町家形式の商家・「津屋崎千軒民俗館『藍(あい)の家』」を市が保存所有し、NPO法人「つやざき千軒いきいき夢の会」が展示施設として運営しています。「肥前浜宿水とまちなみの会」の活動ぶりは共通点も多く、大いに参考になりました
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2006年11月20日〈津屋崎の野鳥〉032:カワラヒワ

2006-11-20 06:22:36 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真①:電線に止まったカワラヒワ(アトリ科)
      =福津市天神町で、2006年11月17日午後2時51分撮影

 「キリキリ、コロコロ、キリキリ、コロコロ」という鳴き声が聞こえたので、頭上の電線を見上げると、カワラヒワ3羽が並んで止まっていました。11月17日午後、福津市天神町の実家から新川沿いの道路を歩いて新東区の自宅まで帰る途中のことでした。カメラを向けると、2羽は飛び去り、1羽が可愛い姿をデジカメのレンズに撮らせてくれました=写真①=。

 体長13㌢で、スズメ(体長14㌢)より小さい。体が褐色味の強い緑色で、翼に大きな黄色の斑点があります=写真②=。


写真②:褐色味の強い緑色をしたカワラヒワ
     =福津市天神町で、06年11月17日午後2時50分撮影

 天神町近くの津屋崎海岸にある国有林の松山「津屋崎松原」=写真③=にも、カワラヒワの群れが飛び交い、子供のころは〝銀雀(ぎんすずめ)〟と呼んでいました。吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』に収録した詩篇「ころころやま」では、〈ころころやまは松やまだ/ころころやまの松ばやし/ピーコロ、ピッ、ピッ 銀雀/群れなすお宿は松の枝/雀のおふろは銀の砂/風に吹かれて浜へ飛ぶ〉と詠っています。


写真③:〝白砂青松〟の津屋崎海岸の野鳥の棲みかになっている「津屋崎松原」
     =福津市天神町で、06年10月26日午前11時39分撮影
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