吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年11月25日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉009

2006-11-25 05:08:37 | 行楽催事
〈11月・12月の行楽・催事案内〉追加4:「九年庵」から〝はしご観光〟(2)


写真①「南内郭」の物見櫓から見下ろした「吉野ケ里歴史公園」
    =佐賀県神埼郡吉野ケ里町で、2006年11月22日午後0時10分撮影

 11月22日、佐賀県神埼市仁比山(にいやま)にある国指定の名勝「九年庵(くねんあん)」を細君と初訪問後、隣接の〝紅葉の名所〟・仁比山神社や仁比山護国寺一山地蔵院などの〝はしご観光〟をしましたが、きょうは〝はしご観光〟その(2)の「吉野ケ里歴史公園」(神埼郡吉野ケ里町)をご紹介します。

 「九年庵」の臨時駐車場から車に乗り、約5分で「吉野ケ里歴史公園」=写真①=着。歴史公園センター入り口で、400円の入場券を購入して園内へ入りました。園内を流れる田手川を跨ぐ〈天の浮橋〉を渡ると、弥生時代の環濠や城柵、物見櫓に守られた支配者層の居住区「南内郭」です。

 中央の広場では、黄色い貫頭衣をまとった弥生人に扮した男女が、土器や織物作りを実演しており、団体で学習に訪れていた中学生らとの記念撮影にも応じていました。広場の北端にある物見櫓=写真②=に上り、公園を見下ろすと、集落を外敵から守る外濠の総延長が2.5㌔・㍍、外濠に囲まれた区域が40㌶という広さがよく分かりました。


写真②:復元された弥生時代の高層の建物・「物見櫓」
     =「吉野ケ里歴史公園」で、2006年11月22日午後0時08分撮影

 「南内郭」には、城柵に囲まれた竪穴住居=写真③=も復元さていました。


写真③:城柵に囲まれた竪穴住居
    =「吉野ケ里歴史公園」で、11月22日午後0時16分撮影

 体を屈めて半地下式の竪穴住居に入ると、中は意外と広く、本物の人間のような格好で王と王妃の人形=写真④=が座っていて、びっくりさせられる趣向です。


写真④:竪穴住居に座る王と王妃の人形
     =「吉野ケ里歴史公園」で、11月22日午後0時14分撮影

 このあと、「展示室」で遺跡紹介のビデオを見て、歴史公園センターへ戻る途中、〈天の浮橋〉から北の田手川=写真⑤=を見下ろすと、川岸に獲物を求めるアオサギが水辺を凝視して立っていました。弥生時代には、もっと多くの野鳥が辺りを飛び交っていたことでしょう。


写真⑤:吉野ケ里遺跡(左側)と歴史公園センターを南北に区切り、静かに流れる田手川
     =「吉野ケ里歴史公園」の〈天の浮橋〉から、11月22日午前11時58分撮影


 国の特別史跡「吉野ケ里遺跡」が発掘され、大規模な環濠集落や巨大墳丘墓が発見された1989年以降、2、3回、遺跡を訪れています。この日、久しぶりに訪れた「吉野ケ里歴史公園」は、紀元3世紀ごろの「弥生時代後期後半」を復元し、公園化されて小奇麗に整備された印象はあるものの、発掘当時に味わえた生々しい古代世界を髣髴とさせられる感動はなく、ちょっぴり残念でした。

 福岡県への帰路は、06年3月に開通した国道385号線バイパス東脊振トンネル(料金300円)を通ると、福岡市の都市高速道路の野多目インター入り口まで36分で行け、福岡から「吉野ケ里」までの時間距離がぐっと近くなったのを実感しました。

吉野ケ里歴史公園
   佐賀県・「吉野ケ里歴史公園」位置図

 「吉野ケ里歴史公園」(佐賀県神埼郡吉野ケ里町田手):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR長崎本線「吉野ケ里公園」駅下車、徒歩約15分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約50分の長崎自動車道「東脊振インター」で下車し、約5分。問い合わせは、「吉野ケ里公園管理センター」(TEL0952-55―9333)
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