「新しい政治」を求めないと

2022年09月16日 15時49分15秒 | 国を憂う
今は確かに「国葬を辞めろ」と声を上げねばならない。喫緊の権力暴挙だからだ。
じゃ「中止されればいいのか」を考えてしまうのです。今国内「ようこれだけ醜いことを」と考えてしまう、あきれて言葉がない事件のオンパレードじゃないですか。
 ・五輪関連での贈収賄(誘致の時から汚い金の噂があった。)
 ・統一教会問題
 ・統一教会と自民党の癒着問題
 ・癒着問題への自民党のいい加減な点検
この状況を冷静に考えると、「国葬」が中止になったところで、ほんとの問題点は何も変わらんな と思えてきたのです。まっ為政者、権力者の瞬間風速的な「ちょっと反省」はあるかもしれないが、「焼け石に水」でしょうね。ここ10年20年これの繰り返しだったじゃないでか。
いや今ではそれが「日本文化」でしょう。
いつ頃からこんな日本になったんですかね。始まったのがいつかは置いといて、少なくとも安倍さんの時代になって顕著になったと言って言い過ぎじゃないでしょう。「力で押し通す」「ウソもつき通して真にする」。安倍さんは「美しい日本を取り戻す」と言った。逆だったですね。「美しかった日本を壊した」んだと僕は結論してます。
国の最高権力者がそう動けば、その下も同じ動きをしますよ。権力をさらに増やす、今の権力で得られる利は最大限(社会的不正であっても。後はもみ消すか押しつぶす。)己の懐に入れる。 上に書いた諸問題は全てこの流れそのもですよ。国中がそこを感じてるから下の方まで「何とか自分も」と道徳を忘れて、「私利」に走るか、理解不能な事件を起こしてる。
   (「道徳教育」を言い出したのも安倍さんでしたね)
結局 強権力者層に「美しい日本の道徳」を取り戻して頂き、「範を示していただく」しかないでしょう。じゃ、今の「霞が関関係者」にそれが望めるでしょうか。ダメでしょうね。
もうすっかり染まってますからね。
そして話はまたここに戻って来る。 「国民が利口になって、政治を変えないと」なんですよ。「他よりも良さそう」なんて悠長なこと言ってられません。比較じゃなく、今を完全否定して、無いなら「新しい政治」を育てればいいんです。時間はかかるでしょう。でもそれ以外に我々が持ってる手はないんですから。 そう考える仲間を増やすための手段として、「国葬反対」運動に参加して行こうと考えるのです。
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3 コメント

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柳田国男! (でん)
2022-09-16 21:23:24
12日NHK「知恵泉」は柳田国男でした。大正デモクラシーのもと沸騰した普通選挙運動に論陣を張り、選挙や投票行動に関する警告をたびたび発したそうです。国民一人一人に投票権が与えられたのにかかわらず、既存政治家によって制度が骨抜きとなって、結果は変えることが出来なかったとか。  民主主義が機能不全の今、どうすればいいのか?
岳さんの考えの通り、まずは「国葬反対」を徹底し、民主主義について、一つ一つ考え続けるのが、大事なんだろう。
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大きなうねりにならんものかと ()
2022-09-17 07:31:19
でんさん おはようございます。「国葬」は我が国民主主義の錆が極まった行為ですよ。これを機に「作り直そう」の大きなうねりが生まれんものかと思ってるのですがね。そんな甘くないですよね。
教えていただき お礼を言わなくちゃ。
13日の知恵泉 録画できてないんです。(同時には2番組なもので、撮れなかった)「NHK+で観る」と管理簿に書いておいたのですが、それを忘れてた。今NHK+にあるのを確認できました。今日見ます。
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形継承、精神破棄 ()
2022-09-17 10:12:24
でんさん 見ました。感激。
柳田の思想 社会科として残ってはいるが、その精神性は抜かれたんでしょうね。
明治時代にこんな的を得た分析があれば、民衆を操るならば・・・が解り易かったんですね。
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