先頃、ヤナーチェクの<消えた男の日記>を語った記事の最後の方で、青春の歌曲集としてシューベルトの<美しき水車小屋の娘>と、シューマンの<詩人の恋>に軽く言及したが、そこで往年の名テノール歌手フリッツ・ヴンダーリッヒについて、ちょっと語ってみたくなった。しかしながら、この奇跡とも言うべき美声を持った夭折の名歌手には私も特別な思い入れがあるため、話の要点をどこに置いたものか、あるいはどんな論旨で話を展開したものかと、いつも以上に考える時間が長くなってしまった。
僅か36年弱の短い生涯を不慮の事故で唐突に終えてしまったドイツの美声歌手について、私なりに抱いているイメージを端的に言うとしたら、それは幾分偏見まじりかも知れないが、だいたい次のようになろうかと思う。
つまり、「オペラ歌手としては、若くして完成の域に入っていた天才だった。しかし、リート歌手としては発展途上のレベルで逝ってしまった人」ということである。この人のオペラ録音で私が聴いたものは、今のところ実はそれほど多くなくて、ベーム指揮の<魔笛>全曲のタミーノと<ヴォツェック>全曲のアンドレス、ケンペ指揮の<売られた花嫁>全曲のイェーニク、コンヴィチュニー指揮による<タンホイザー>全曲のワルター、ヘーガー指揮によるプフィッツナーの<パレストリーナ>ハイライト盤でのタイトル役、あるいはミレッカーのオペレッタ・ハイライト盤に端役で出演していたもの、ぐらいしかない。が、これらのうちのどれを取っても、この人の歌唱については駄作や失敗作がない。私は未聴だが、この人が最も得意としていた<後宮からの逃走>のベルモンテ役に至っては、専門家筋から「モーツァルト・テナーのお手本」とまで絶賛されている。<密猟者>や<ウィンザーの陽気な女房たち>等も、LP時代から揃って名演の誉れ高いものだった。
そして今ネット通販サイトを見てみると、生前のライヴ音源や、オペラ・ハイライト集、アリア集みたいなものが数多く掘り出され、発売されている。おそらく、オペラ分野に於いてこの人の失敗作があるとすれば、それらライヴの発掘音源の中に、「この日のヴンダーリッヒはたまたま、不調であった」みたいなものが混じっているかどうかであろう。言い換えれば、それ程までにオペラ歌手としての彼は、完成度が高かったのである。勿論、宗教曲や合唱作品でのテノール独唱者としても、間違いなく一流の域に入っていたと言ってよいだろう。クレンペラー博士の指揮によるマーラーの<大地の歌>(EMI)でのテノール独唱も意想外に、と言っては失礼ながら、非常に立派なものだった。
しかし、リート歌手としてはどうだったろうか。まだまだ発展途上の人だったんじゃなかっただろうか。テノール向きの青春歌曲集の代表作とも言えそうな、シューベルトの<美しき水車小屋の娘>から話を始めてみよう。ヴンダーリッヒの<水車小屋の娘>としては、一般にはフーベルト・ギーゼンのピアノ伴奏で1965年頃にスタジオ録音されたグラモフォン盤がよく知られていて、私も学生の頃、LPレコードでこの歌唱に触れた。それと、ほんの数年前になるが、1959年に録音されたというカールハインツ・シュトルツェなるピアニストとの共演によるモノラル録音のCD(MYTO盤)を購入して何度か聴いた。他にもライヴ録音みたいなものがまだあるかも知れないが、この歌曲集について私が聴いて知っているのはその2種類である。いずれを取っても、ヴンダーリッヒならではの、天性の美声でのびやかに歌われている点では好感が持てるものの、どちらも何か今ひとつ未熟で青臭い感じが否めないのである。(※尤もMYTO盤では、〔r〕の巻き舌音をしっかり使った非常に明瞭なドイツ語の発音で、歌詞をとても丁寧に歌っている。リート学習者には大いに参考になると思う。)
一方、このヴンダーリッヒの<水車小屋>(グラモフォン盤)について、音楽評論家兼合唱指導者である福嶋章恭(ふくしま あきやす)氏が熱烈な賛辞を送っておられる事も、公正を期して紹介しておくべきだろう。「この歌曲集を歌うのに、熟練や老成は不要。・・・ときめきも、焦燥も、嘆きも、突き抜ける美声で歌い飛ばせ。・・・青春を賛美しろ。それが出来るのは、天性のテノール歌手フリッツ・ヴンダーリッヒしかいない」。福嶋氏と同じ感性をお持ちの方にとっては、ヴンダーリッヒの録音は、もうこのままでかけがえのない宝物になっていることだろう。その方たちに論駁しようとは、私も思わない。
さて、この名歌手のリートに於ける最も重要なレパートリーの一つであったシューマンの<詩人の恋>についても触れておきたい。私が知る範囲で、ヴンダーリッヒの<詩人の恋>には少なくとも4種類のCDがあるが、私が聴いたのはそのうちの3種である。さらに生前のライヴの記録を辿れば、おそらくドイツ国内を中心に、他の音源もきっと何かあろうことは想像に難くない。とりあえず私が知っている4種については、伴奏はすべてフーベルト・ギーゼン。
以下、僅か3種類という狭い範囲での話になってしまうが、私がこれまでに聴いてきた順番を追いながら、感想や意見を語ってみたい。また、ここではピアノ伴奏の出来については度外視したいと思う。以下の文章についてはかなり率直な物言いをしている部分もあるが、これも一つの意見というぐらいにお読みいただけたらと思う。
一般的に広く親しまれているグラモフォンのスタジオ盤を、やはり私も最初に聴いた。LP時代の話である。しかし正直言って、ここでの歌唱にはあまり感じ入るものがなかった。ソツなく仕上げてありますね、という程度の感想しか持てなかったのである。歌い流す、と言うのか、全体にさらりと歌い進めている感が強いのだ。「私は嘆くまい」の最後の高音などは、いかにもこの人らしい素晴らしい声を聴かせてくれるけれども、全曲を通した印象はそれほど大したものではなかった。これがお気に入りというファンの方も少なからずおられるとは思うが、私には(キツイ言い方をしてしまえば)、無くても全然困らない録音である。
次に聴いたのが、図らずも彼の「ラスト・リサイタル」となってしまった、1966年9月4日のエディンバラ・コンサートでの録音である。(※このコンサートの何日か後、彼は突然この世を去ることになる。)上述の福嶋氏が、「黄泉の国に響くような、悲しい美を湛えた・・」と本の中で語っておられたので、ずっと興味を抱いていたのであった。それがある時、ひょっこり輸入盤を扱うお店で見つかったので、購入した。現在はグラモフォンからも≪ヴンダーリッヒ・ラスト・リサイタル≫というタイトルでCDが発売されているが、私が買ったのはMYTO盤。当時は、これしかなかったのである。輸入盤にしてはお高いCDだったが、結果的には買って良かった。内容が、スタジオ録音よりもずっと良かったからだ。ただ、このMYTO盤は、聴きながら非常に気になった事がある。背後のノイズである。彼が歌っている間はいいのだが、曲の合間とか、控えめなピアノ伴奏だけの時になると、女の人の歌声みたいなものが漏れ聞こえてくるのだ。同じ時間帯に別の小ホールか何かで、ソプラノ・リサイタルでもやっていたのだろうか?とにかく合間合間に女性の歌声がゴーストのように聞こえてくるのである。これはどうにも、気持ちが悪い。後に発売されたグラモフォン盤も同じ日付のようだから、内容は同一音源のはずだが、そのノイズは解消されているのだろうか?名歌手ヴンダーリッヒが最後に遺した貴重な遺産なので、少しでもいい状態で鑑賞したいものだが・・。
三番目に聴いたのが、1966年3月24日のハノーファーでのリサイタルを記録したMYTO盤であった。私が知っている3種の中では、これが最高の名演である。このディスクで聴く事のできるヴンダーリッヒの歌唱からは、ちょっと尋常でない異様な感銘を与えられる。実を言うと、このディスクに記録されたヴンダーリッヒの<詩人の恋>を初めて聴いた時、決して大げさでなく、私は呪縛にかかったように身動きが出来なくなってしまったのである。神がかり的な絶唱・・そんな言葉が脳裏に浮かんだほどであった。(今はもう少し冷静だが。)
今回の記事を書くに当たって、≪ラスト・リサイタル≫とこの≪ハノーファー・ライヴ≫を、一曲ずつ交互に聴いてみた。結果としては、(驚くには当たらないのかも知れないが、)各曲とも殆ど歌唱表現に差異がなかった。どの単語をどう歌っているか、どの歌詞にどんな声を使っているか、といったことをじっくり追いながら聴き比べてみたが、本当に大きな差異は認められなかった。よく研究・吟味した結果の表現だったのだろう。ただ、全体に言えるのは、ハノーファー盤の方が音質的に断然優れていて、より細かいところまで聴き取れるため、その分深い感銘を得られるということだ。(※≪ラスト・リサイタル)の方は、少なくともMYTO盤で聴く限り、残念ながら音がかなりこもった感じなのである。)
例えば、第6曲「ラインの聖なる流れの」も、第7曲「私は嘆くまい」もハノーファー・ライヴの方が音の良い分、より彫りの深い歌唱として味わう事が出来るし、第10曲「かつて愛する人が歌ってくれた」の出だしのピアノも同じで、音がクリアな分、より美しい前奏として心に沁みてくる。また、第13曲「ぼくは夢の中で泣き濡れた」はヴンダーリッヒ畢生の名唱と言ってよいものだが、やはりハノーファー盤の方が、各単語の語尾の子音がクリアに発音されているのが聞き取れたり、その息づかいまでが伝わってくる分、感動が深い。最後の2曲、「昔々の童話から」と「昔の忌まわしい歌を」は、歌唱自体からしてハノーファー盤の方が素晴らしいし、例によって音も良いので、結局聴き終えた後に残る感動には、はっきりと差がついているのである。このライヴ盤は現在ネット通販で容易に入手出来るので、グラモフォンのスタジオ盤しかご存じでないファンの方は是非こちらもお聴きいただきたいと思う。感銘度がケタ違いだから。
現在日本国内で確認出来る範囲で、ヴンダーリッヒの<詩人の恋>は他に、1965年のザルツブルク・ライヴ(Orfeo盤、他複数のレーベルから発売中)というのもある。そのリサイタルも、上記のエディンバラやハノーファーで歌ったのとだいたい同じ曲目で組まれている。ひょっとしたら、そこでも見事な名唱が披露されているのかも知れないが、現段階では未聴のためその歌唱内容については何も分からない。また、ここにあげた合計4種の録音以外にも、素晴らしい歌唱の記録がどこかにまだある可能性も高い。
1966年9月、不世出の美声歌手は、ある建物の階段で足を踏み外して階下へ転落。頭部の強打(※または首の骨折という説もある)で突然にして、帰らぬ人となってしまった。もう、悪魔の仕業としか思えない。この人に突如として訪れた永遠の沈黙が、単にドイツ声楽界のみならず、クラシック音楽界にどれほどの損失をもたらしたか、全く計り知れないものがある。
僅か36年弱の短い生涯を不慮の事故で唐突に終えてしまったドイツの美声歌手について、私なりに抱いているイメージを端的に言うとしたら、それは幾分偏見まじりかも知れないが、だいたい次のようになろうかと思う。
つまり、「オペラ歌手としては、若くして完成の域に入っていた天才だった。しかし、リート歌手としては発展途上のレベルで逝ってしまった人」ということである。この人のオペラ録音で私が聴いたものは、今のところ実はそれほど多くなくて、ベーム指揮の<魔笛>全曲のタミーノと<ヴォツェック>全曲のアンドレス、ケンペ指揮の<売られた花嫁>全曲のイェーニク、コンヴィチュニー指揮による<タンホイザー>全曲のワルター、ヘーガー指揮によるプフィッツナーの<パレストリーナ>ハイライト盤でのタイトル役、あるいはミレッカーのオペレッタ・ハイライト盤に端役で出演していたもの、ぐらいしかない。が、これらのうちのどれを取っても、この人の歌唱については駄作や失敗作がない。私は未聴だが、この人が最も得意としていた<後宮からの逃走>のベルモンテ役に至っては、専門家筋から「モーツァルト・テナーのお手本」とまで絶賛されている。<密猟者>や<ウィンザーの陽気な女房たち>等も、LP時代から揃って名演の誉れ高いものだった。
そして今ネット通販サイトを見てみると、生前のライヴ音源や、オペラ・ハイライト集、アリア集みたいなものが数多く掘り出され、発売されている。おそらく、オペラ分野に於いてこの人の失敗作があるとすれば、それらライヴの発掘音源の中に、「この日のヴンダーリッヒはたまたま、不調であった」みたいなものが混じっているかどうかであろう。言い換えれば、それ程までにオペラ歌手としての彼は、完成度が高かったのである。勿論、宗教曲や合唱作品でのテノール独唱者としても、間違いなく一流の域に入っていたと言ってよいだろう。クレンペラー博士の指揮によるマーラーの<大地の歌>(EMI)でのテノール独唱も意想外に、と言っては失礼ながら、非常に立派なものだった。
しかし、リート歌手としてはどうだったろうか。まだまだ発展途上の人だったんじゃなかっただろうか。テノール向きの青春歌曲集の代表作とも言えそうな、シューベルトの<美しき水車小屋の娘>から話を始めてみよう。ヴンダーリッヒの<水車小屋の娘>としては、一般にはフーベルト・ギーゼンのピアノ伴奏で1965年頃にスタジオ録音されたグラモフォン盤がよく知られていて、私も学生の頃、LPレコードでこの歌唱に触れた。それと、ほんの数年前になるが、1959年に録音されたというカールハインツ・シュトルツェなるピアニストとの共演によるモノラル録音のCD(MYTO盤)を購入して何度か聴いた。他にもライヴ録音みたいなものがまだあるかも知れないが、この歌曲集について私が聴いて知っているのはその2種類である。いずれを取っても、ヴンダーリッヒならではの、天性の美声でのびやかに歌われている点では好感が持てるものの、どちらも何か今ひとつ未熟で青臭い感じが否めないのである。(※尤もMYTO盤では、〔r〕の巻き舌音をしっかり使った非常に明瞭なドイツ語の発音で、歌詞をとても丁寧に歌っている。リート学習者には大いに参考になると思う。)
一方、このヴンダーリッヒの<水車小屋>(グラモフォン盤)について、音楽評論家兼合唱指導者である福嶋章恭(ふくしま あきやす)氏が熱烈な賛辞を送っておられる事も、公正を期して紹介しておくべきだろう。「この歌曲集を歌うのに、熟練や老成は不要。・・・ときめきも、焦燥も、嘆きも、突き抜ける美声で歌い飛ばせ。・・・青春を賛美しろ。それが出来るのは、天性のテノール歌手フリッツ・ヴンダーリッヒしかいない」。福嶋氏と同じ感性をお持ちの方にとっては、ヴンダーリッヒの録音は、もうこのままでかけがえのない宝物になっていることだろう。その方たちに論駁しようとは、私も思わない。
さて、この名歌手のリートに於ける最も重要なレパートリーの一つであったシューマンの<詩人の恋>についても触れておきたい。私が知る範囲で、ヴンダーリッヒの<詩人の恋>には少なくとも4種類のCDがあるが、私が聴いたのはそのうちの3種である。さらに生前のライヴの記録を辿れば、おそらくドイツ国内を中心に、他の音源もきっと何かあろうことは想像に難くない。とりあえず私が知っている4種については、伴奏はすべてフーベルト・ギーゼン。
以下、僅か3種類という狭い範囲での話になってしまうが、私がこれまでに聴いてきた順番を追いながら、感想や意見を語ってみたい。また、ここではピアノ伴奏の出来については度外視したいと思う。以下の文章についてはかなり率直な物言いをしている部分もあるが、これも一つの意見というぐらいにお読みいただけたらと思う。
一般的に広く親しまれているグラモフォンのスタジオ盤を、やはり私も最初に聴いた。LP時代の話である。しかし正直言って、ここでの歌唱にはあまり感じ入るものがなかった。ソツなく仕上げてありますね、という程度の感想しか持てなかったのである。歌い流す、と言うのか、全体にさらりと歌い進めている感が強いのだ。「私は嘆くまい」の最後の高音などは、いかにもこの人らしい素晴らしい声を聴かせてくれるけれども、全曲を通した印象はそれほど大したものではなかった。これがお気に入りというファンの方も少なからずおられるとは思うが、私には(キツイ言い方をしてしまえば)、無くても全然困らない録音である。
次に聴いたのが、図らずも彼の「ラスト・リサイタル」となってしまった、1966年9月4日のエディンバラ・コンサートでの録音である。(※このコンサートの何日か後、彼は突然この世を去ることになる。)上述の福嶋氏が、「黄泉の国に響くような、悲しい美を湛えた・・」と本の中で語っておられたので、ずっと興味を抱いていたのであった。それがある時、ひょっこり輸入盤を扱うお店で見つかったので、購入した。現在はグラモフォンからも≪ヴンダーリッヒ・ラスト・リサイタル≫というタイトルでCDが発売されているが、私が買ったのはMYTO盤。当時は、これしかなかったのである。輸入盤にしてはお高いCDだったが、結果的には買って良かった。内容が、スタジオ録音よりもずっと良かったからだ。ただ、このMYTO盤は、聴きながら非常に気になった事がある。背後のノイズである。彼が歌っている間はいいのだが、曲の合間とか、控えめなピアノ伴奏だけの時になると、女の人の歌声みたいなものが漏れ聞こえてくるのだ。同じ時間帯に別の小ホールか何かで、ソプラノ・リサイタルでもやっていたのだろうか?とにかく合間合間に女性の歌声がゴーストのように聞こえてくるのである。これはどうにも、気持ちが悪い。後に発売されたグラモフォン盤も同じ日付のようだから、内容は同一音源のはずだが、そのノイズは解消されているのだろうか?名歌手ヴンダーリッヒが最後に遺した貴重な遺産なので、少しでもいい状態で鑑賞したいものだが・・。
三番目に聴いたのが、1966年3月24日のハノーファーでのリサイタルを記録したMYTO盤であった。私が知っている3種の中では、これが最高の名演である。このディスクで聴く事のできるヴンダーリッヒの歌唱からは、ちょっと尋常でない異様な感銘を与えられる。実を言うと、このディスクに記録されたヴンダーリッヒの<詩人の恋>を初めて聴いた時、決して大げさでなく、私は呪縛にかかったように身動きが出来なくなってしまったのである。神がかり的な絶唱・・そんな言葉が脳裏に浮かんだほどであった。(今はもう少し冷静だが。)
今回の記事を書くに当たって、≪ラスト・リサイタル≫とこの≪ハノーファー・ライヴ≫を、一曲ずつ交互に聴いてみた。結果としては、(驚くには当たらないのかも知れないが、)各曲とも殆ど歌唱表現に差異がなかった。どの単語をどう歌っているか、どの歌詞にどんな声を使っているか、といったことをじっくり追いながら聴き比べてみたが、本当に大きな差異は認められなかった。よく研究・吟味した結果の表現だったのだろう。ただ、全体に言えるのは、ハノーファー盤の方が音質的に断然優れていて、より細かいところまで聴き取れるため、その分深い感銘を得られるということだ。(※≪ラスト・リサイタル)の方は、少なくともMYTO盤で聴く限り、残念ながら音がかなりこもった感じなのである。)
例えば、第6曲「ラインの聖なる流れの」も、第7曲「私は嘆くまい」もハノーファー・ライヴの方が音の良い分、より彫りの深い歌唱として味わう事が出来るし、第10曲「かつて愛する人が歌ってくれた」の出だしのピアノも同じで、音がクリアな分、より美しい前奏として心に沁みてくる。また、第13曲「ぼくは夢の中で泣き濡れた」はヴンダーリッヒ畢生の名唱と言ってよいものだが、やはりハノーファー盤の方が、各単語の語尾の子音がクリアに発音されているのが聞き取れたり、その息づかいまでが伝わってくる分、感動が深い。最後の2曲、「昔々の童話から」と「昔の忌まわしい歌を」は、歌唱自体からしてハノーファー盤の方が素晴らしいし、例によって音も良いので、結局聴き終えた後に残る感動には、はっきりと差がついているのである。このライヴ盤は現在ネット通販で容易に入手出来るので、グラモフォンのスタジオ盤しかご存じでないファンの方は是非こちらもお聴きいただきたいと思う。感銘度がケタ違いだから。
現在日本国内で確認出来る範囲で、ヴンダーリッヒの<詩人の恋>は他に、1965年のザルツブルク・ライヴ(Orfeo盤、他複数のレーベルから発売中)というのもある。そのリサイタルも、上記のエディンバラやハノーファーで歌ったのとだいたい同じ曲目で組まれている。ひょっとしたら、そこでも見事な名唱が披露されているのかも知れないが、現段階では未聴のためその歌唱内容については何も分からない。また、ここにあげた合計4種の録音以外にも、素晴らしい歌唱の記録がどこかにまだある可能性も高い。
1966年9月、不世出の美声歌手は、ある建物の階段で足を踏み外して階下へ転落。頭部の強打(※または首の骨折という説もある)で突然にして、帰らぬ人となってしまった。もう、悪魔の仕業としか思えない。この人に突如として訪れた永遠の沈黙が、単にドイツ声楽界のみならず、クラシック音楽界にどれほどの損失をもたらしたか、全く計り知れないものがある。
でも貴志康一さんが生きていたら朝比奈さんは有名になれなかったといいますから、誰か別の歌手が有名になれたというわけですよね。複雑・・・(*_*)
次回も、このヴンダーリッヒのつながりで
歌手の話です。ごめんちゃい。させといて。
ひょっとして過去の記事の中に、お気に
召される物があったらいいなあと思うの
ですが・・。
「作品を語る」のカテゴリーは、もう
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あ、でもピアノ関連は例のジョリヴェ
ぐらいしかないですね・・。オペラが
多いわ・・。
でも、飽きずにまた見に来て下さいまし。