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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

名脇役ジュール・バスタンの録音から(1)~ウェルテル、サンドリヨン

2007年07月01日 | 演奏(家)を語る
ベルギー出身の名歌手ジュール・バスタン。先頃語ったナガノ盤<三つのオレンジへの恋>で、ごつい料理女を演じていた人である。彼は一応バス歌手なのだが、その声は明るくバリトーナル。実演の舞台はともかく、録音上は“名脇役”といったイメージが強い人だ。このバスタン氏が出演しているオペラ&オペレッタ全曲録音のうち私が今持っているものをこれから順に並べ、それらを題材にして、いろいろと気ままなお話を書いてみることにしたい。まず今回は、彼と同じファースト・ネームを持つフランスの代表的なオペラ作家ジュール・マスネが書いた作品から、二点。

●マスネ : 歌劇<ウェルテル>全曲

数あるマスネ・オペラの中でも、おそらく最も有名な傑作の一つ。1891年、作曲者がワグナーの影響を受けながら書いたと一般に言われているものだが、“マーケット調査の達人”であったマスネ自身に言わせれば、「ワグナーに影響されたのではなく、ワグナー風の音楽が聴衆に受けているから、それを採り入れてみただけさ」という感じになるかもしれない。いずれにしても、厚みのある金管、粘りのあるこってりした響き、そして激しい二重唱など、ワグネリアンな要素は確かにあるようだ。

その“ワグナー的な、こってり感”みたいなものを良く打ち出していた指揮者に、ジョルジュ・プレートルがいる。彼がパリ管弦楽団を指揮して、ニコライ・ゲッダとヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが主演した同曲のEMI盤(1968年)は、LP時代から名盤の誉れ高いものだった。二人の主役歌手がまず優秀で、特にゲッダの熱演が印象深い。有名な『オシアンの歌』に続いて、ウェルテルがシャルロットに熱く迫るシーンなど、(喩えが珍妙で恐縮だが)射精寸前のオスの鮭みたいな迫力があった。w 脇役陣も総じて出来が良く、全曲盤としての総合点も高い。

今回話題にしているジュール・バスタン氏が参加しているのは、ミシェル・プラッソン&LPO、他による1979年のEMI盤。ここでウェルテルを歌っているのは、アルフレード・クラウスだ。今は亡きスペインの至宝である。ウェルテルは彼が生前極めつけにしていたレパートリーだったが、ここでもやはり素晴らしい。クラウスの声はかなり個性的なので聴く人によって好悪が分かるかもしれないが、端正な歌のフォルムには気品が漂い、輝かしい声からは熱い内面の炎が放射されている。この見事なウェルテルに伍して、シャルロットを歌うタティアナ・トロヤノスにも好感が持てる。落ち着きのあるメゾ・ソプラノの声が、まずこの役に相応しい。陽気なソフィのスーブレット的なソプラノ・キャラと好ましい対比をなしている。プレートル盤のロス・アンヘレスも名唱だったが、トロヤノスの声を聴いていると、むしろリリックなメゾの方がこの役には相応しいのではないかという気がしてくる。(※ちなみに、クラウスにはこのオペラのライヴ録音が数種あるのだが、ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニやエレナ・オブラスツォワなど、著名なメゾ・ソプラノ歌手と共演したものが目につく。)

さてバスタン氏だが、プラッソン盤で彼は法務官を演じている。言わばチョイ役での出演なのだが、これが実に良い。開幕早々、やんちゃな子供たち(←めちゃ、かわいらしい)を相手に、「こらこら、それじゃ駄目だろう。シャルロットねえさんがきっと向こうで聞いているよ」と法務官が優しくたしなめるシーンなど、まさしくこの人ならではの味の良さが発揮されている。バスタン氏の声には威圧的な響きがなく、むしろスマートな柔らかさがあるので、このような役どころにぴったりなのだ。なお、指揮者のプラッソンはいつもどおりのスタイルで、すっきりと洗練された瀟洒(しょうしゃ)な音楽作りをやっている。聴く人によっては、ちょっと淡白過ぎると感じられるかも知れないが、私には不満なしである。風通しの良いサウンドによってマスネの管弦楽法の魅力がよく感じ取れるし、逆に、ここぞという時のパワーも十分に出せている。

●マスネ : 歌劇<サンドリヨン>全曲

シャルル・ペローの童話でお馴染みのシンデレラ姫を題材にしたオペラで、1899年の作品。タイトル役のサンドリヨンは、シンデレラのフランス語名。(※ちなみにロッシーニのオペラ・タイトルにもあるイタリア語名は、チェネレントラ。)知る人ぞ知る、かもしれないが、これは実にエレガントなオペラである。フランス流メルヘン・オペラを代表する傑作と言ってよい。大雑把な筋書きはだいたい以下のようなもので、ペローの原作にほぼ従ったものなのだが、異なる部分も一部に見受けられる。

〔 第1幕 〕

アルティエール夫人と彼女の娘たちが、舞踏会へ出かける準備をしている。王子様に注目してもらおうと、それぞれ目いっぱいにおめかし。そんな妻の様子に不満を感じつつも、夫のパンドルフは彼女に従う。夫人の下で養育されているサンドリヨンは一人で留守番をするよう命じられ、出かけることが許されない。パンドルフは、そんな彼女を不憫に思う。一人残されたサンドリヨンは家事に向かうが、それもつらくなったのでやめ、眠り込んでしまう。そこへ、彼女の守り神である妖精が現れ、「あなたも舞踏会へ行けるようにしてあげましょう」と、魔法を使う。そして豪華な衣装とガラスの靴を身につけ、サンドリヨンは出かけていく。「夜中の12時前に、必ず帰ってくるのですよ」という妖精の条件をしっかりと胸にしまいつつ。

〔 第2幕 〕

宮殿の一室。王子は、つまらなそうに沈黙している。出席者がこぞって彼を楽しませようとあれこれ努力するが、まるで効果がない。やがて舞踏会もたけなわとなった頃、美しく着飾ったサンドリヨンが登場。アルティエール夫人は勿論、家族の誰も、彼女がまさかサンドリヨンだとは思いもよらない。感激した王子が彼女に言い寄り、そこから二重唱となる。しかし、深夜12時の鐘が無情に鳴り始め、サンドリヨンは大急ぎで宮殿を去って行く。

〔 第3幕 〕

サンドリヨンが宮殿を去るときにガラスの靴が片方脱げ、そこにそのまま残された。家に帰ってきた夫人があることないこと宮殿での出来事をでたらめに語るので、おとなしかったパンドルフもついに怒り出す。彼は悲しみに沈むサンドリヨンを慰めるが、彼女は死にたい気持ちになって家を飛び出す。サンドリヨンは妖精の樫の木を訪れ、そこで休む。やがて妖精が、王子をその場所へと招く。惹かれあっている二人の願いを聞いて、妖精は彼らを出会わせてやる。ここで、若い二人による愛の二重唱。

〔 第4幕 〕

数日後、サンドリヨンとパンドルフが一緒に家にいて、語り合っている。彼女は、小川のほとりで意識をなくしているところを発見されていたのだった。やがて、「王子がガラスの靴の持ち主を捜している」という知らせが流される。サンドリヨンは宮殿に行くことにする。やってきた娘たちの全員がガラスの靴を履こうとしてみるが、ぴったり合ったのはサンドリヨンだった。王子は彼女との結婚を決める。アルティエール夫人も、サンドリヨンを(偽善的に)祝福して抱きしめる。全員の喜びの合唱をもって、全曲の終了。

―という訳だが、ユリウス・ルーデル指揮フィルハーモニア管&アンブロジアン合唱団、他によるソニー盤の演奏で、このパンドルフという優しいパパを演じているのが、他でもないバスタン氏である。これは上記<ウェルテル>での法務官よりもずっと主役に近い役なので、いきおい、バスタン氏の活躍も一層際立ったものになっている。特に、オペラの後半部分が良い。サンドリヨンを励ましながら彼女とのデュエットに発展する第3幕の前半。そしてオーボエ、フルート、弦楽等によって美しく開始される第4幕冒頭での、サンドリヨンとの語らい。いずれの場面でも、この人らしい優しいパパさんぶりが聴く者に大きな安心感を与える。

さて、主人公サンドリヨンのことも語らねばなるまい。第1幕からはまず、一人だけ家に残された彼女が歌う何とも寂しげな歌。これが良い。ルーデル盤ではフレデリカ・フォン・シュターデが歌っている。ソプラノに近いメゾ・ソプラノの声を持った彼女は、この役にとてもよく似合う。そう言えばこの人、シンデレラにはつくづく縁があるようで、ロッシーニの歌劇<チェネレントラ>の映像盤(C・アバド指揮、J=P・ポネル演出)にも主演していた。そこでの彼女の歌唱は必ずしも十全な出来栄えとは言いにくいものだったが、容姿の魅力がそれを圧倒的にカバーしていた。w 当<サンドリヨン>は、そちらよりはずっと良い仕上がり。第2幕のエンディングで王子と交わす二重唱、これも美しい。第3幕の冒頭で、家に帰ってきたサンドリヨンが一人で歌うアリアも聴き物だ。面白いのは、その歌の途中で、<ラクメ>の『鐘の歌』にそっくりなパッセージが出て来ること。ドリーブのオペラは1883年の作だから、当然そちらがオリジナルである。そう言えば、当ブログでかつて語ったレスピーギの歌劇<沈鐘>にも、妖精の娘ラウテンデラインがそれっぽい歌を聴かせる箇所があった。そうして考えてみると、『鐘の歌』というのは、発表以来斯界に結構なインパクトを与え続けていた曲だったのかもしれない。

ところで、このオペラを童話劇たらしめている最大の要因は何かと言えば、それは何と言っても妖精の活躍であろう。彼女が頑張るシーンも、やはり見逃せない。コロラトゥーラの難技巧を駆使するソプラノの妖精と、しっとりした背景を作り出す女声合唱の効果が、いかにもメルヘンらしい雰囲気をあちこちで生み出している。第1幕でサンドリヨンを美しく変身させる魔法のシーン、第3幕で悲しむサンドリヨンのもとに王子を連れてくる魔法のシーン、どちらも是非映像で見てみたいと思わせる美しい場面だ。映像がほしい、と言えば、第2幕の舞踏会で聞かれる各種のディヴェルティスマン音楽もそうで、舞台上ではどんなエンタテインメントをやっているのか、いつか機会があったら見てみたいものである。

―次回もまた、ジュール・バスタンの録音を通じての気ままなオペラ談義。

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