前回まで語ったショスタコーヴィチの歌劇<鼻>に続いて、今回もゴーゴリの原作によるソヴィエト・オペラ。1977年に初演されたロディオン・シチェドリンの大作<死せる魂>である。参照演奏は、ユーリ・テミルカノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団、他による全曲盤CD(メロディア・1982年録音)。また、登場人物名の日本語表記については、集英社刊・『世界文学全集 32 ゴーゴリ』(中村喜和&川崎隆司・訳)をよりどころとさせていただいた。
―『死せる魂』の意味と背景
『死せる魂』という日本語、あるいはDead Soulsという英語のタイトルを見ただけでは分からないのだが、ロシア語の原題からは二重の意味が読み取れるらしい。ロシア語で「魂」を意味する単語には、「農奴」という意味もあるそうなのだ。つまり、この作品のタイトルは『死せる魂』であると同時に、『死んだ農奴』でもあるということである。一生涯領主の下に隷属させられ、土地に縛り付けられた人たち。農民と奴隷の間にあったような身分の人たち。その農奴たちが死んで、だからどうなのかという問題が、この物語の根底にある。
抱えている農奴たちの人数をもとに、かつての帝政ロシアでは領主たちに人頭税が課せられていたという。ただし、人口調査が行なわれるのは、10~15年に一度だけ。その間に死んだ農奴が何人いても、領主は次の調査時期がくるまで当初の税金を払い続けねばならなかった。物語の主人公パーヴェル・イワノヴィチ・チチコフはあちこちの領主を訪ね歩き、彼らのもとで死んだ農奴たちが何人いるかを確かめて、その名前を買って歩く。何のためか。それら農奴たちの名義を国庫に担保として入れ、大金を手に入れるためである。ゴーゴリの小説で描かれるのは、そんな知恵者チチコフの行状と、彼が関わる“えげつない”連中との人間模様である。
―歌劇<死せる魂>の概要と、音楽的特徴
〔 第1幕 〕
不気味な導入曲に続いて、検事(Bar)邸での晩餐会の場面。荒廃した街なのにもかかわらず、たくらみのあるチチコフ(Bar)はそこの街並みや住人たちをやたらに誉めそやす。集まった人々もすっかりいい気分になって、彼を讃える。その後、チチコフは家来のセリファン(T)が運転する馬車に乗って、次なる目的地へ。いよいよ、ビジネスの開始。
(※このオペラが導入部から不思議な怖さを感じさせる理由の一つは、オーケストラ・ピットから響いてくる女性たちの歌声である。これは、普通のオペラ的発声とは全く違う出し方によって作られる声の一つで、いわゆるブルガリアン・ヴォイスと呼ばれるものではないかと思う。ここで歌われる歌詞は、「開けた大地に、白い雪はもうない」というぐらいの簡単な内容なのだが、その声の響き自体に衝撃を受ける。)
(※主人公チチコフの声は、ロシア系のリリック・バリトン。しかし、詐欺師としてのキャラを反映してか、ちょっと癖のある声だ。開幕直後の晩餐シーンは、このオペラの主だった人物が揃って顔見せをする賑やかな集会である。後で改めて登場する地主たちの何人かが、ここで早くもそれぞれの個性を発揮している。その集会の後、チチコフとセリファンが馬車に乗って田舎道を進む場面で再び、女性たちのブルガリアンな歌声が響く。「泣くな、娘さん。あんたの彼氏が兵隊に取られることはないから」。この合唱が静かにフェード・アウトして、最初の地主との交渉シーンが始まる。)
最初の相手は、地主マニーロフ(T)とその妻。マニーロフはこの世が素晴らしいところだと考えており、人間は上品で正直なものだと信じている。しかし、彼も彼の妻もそろって、“ろくでなし”だった。チチコフは夫婦の言うことにひたすら調子を合わせて、会話を盛り上げる。やがて、彼らの歓心を買うことに成功したチチコフは、そこに来た本来の目的を打ちあける。「こちらでお抱えの農奴たちの中から、死んでしまった者たちを売っていただきたいのです」。夫婦はこの思いがけない申し出に戸惑うが、結局来訪者の期待通りにしてやろうと決める。マニーロフはつくづく、チチコフが気に入った様子。
(※このドラマに出て来る地主たちは皆一癖もふた癖もある奇矯な連中ばかりだが、最初の相手となるマニーロフも相当なキャラ。声は、リリック・テナー。チチコフに「死んだ農奴がほしい」と切り出された時、彼は「ム~ム~ム~」という変な鼻声を出す。どうやら、これが得意技らしい。w 開幕冒頭の集会でも、彼はこの「ム~ム~ム~」をやっていた。)
ロシアの田舎道を進むチチコフと家来のセリファンは途中、嵐に遭遇する。彼らが雨宿りを乞いに立ち寄ったのは、カローボチカ(Ms)という裕福なやもめ地主の家。この老いた未亡人は大変な吝嗇家で、手に入る物なら何でも貪欲にいただくという人物である。「あなたの領地で死んだ農奴を、売ってほしい」と申し出てきたチチコフと値段の交渉を始めるが、彼女は不要な麻までチチコフに押し付けて買わせようとする。そしてチチコフが去った後、「死んだ農奴は今どれぐらいの市場価値があるものだか、ちょっと相場を調べてこよう」と出掛けていく。
(※この嵐の場面は、音楽がなかなか面白い。激しい金管と打楽器、鋭い弦のアタック、さらにはムチの音など、ショスタコーヴィチ以来の騒音系サウンドが炸裂する。さらにそこへ、経文を読むような合唱の声が重なってくる。)
(※嵐の音楽に続いて登場するカローボチカという地主は、チチコフとの交渉で聞かせる早口のセリフにユニークな特徴を示す、因業なバアさんだ。彼女はしきりに、「あんまり安く売りたくないからねえ」と繰り返し、チチコフを苛立たせる。ちなみに、テミルカノフ盤で同役を演じているのは、ラリサ・アフデイエワ。大ヴェテランのメゾ・ソプラノ歌手である。この老婆が、「死んだ農奴っていうのは実際、今いくらぐらいなのかねえ」とひとりごちる場面に先立って、かなり刺激的なオーケストラの間奏曲が流れるが、これはショスタコーヴィチの<鼻>を髣髴とさせるようなカッ飛び爆走音楽。大先輩の影響を感じさせる箇所である。)
次に登場する地主は、ノズドリョーフ(T)。これがまた、ならず者。彼は奔放にして気まぐれな対応で、チチコフの話に応じる。成り行きでこの地主とチェスをしなければならなくなったチチコフだが、相手がずるをしたところで立ち去ることに決める。力ずくで引きとめようとするノズドリョーフと彼のもとを去ろうとするチチコフは、お互いの家来を呼んで激しく対峙。やがてそこへ警察官がやってきて、以前の暴力事件を理由にノズドリョーフを逮捕する。
(※ノズドリョーフが登場する前の間奏部分で、やはりまた女性たちのブルガリアンな歌声が響く。「ニガヨモギ、ニガヨモギ、あんたは勝手に生えてきて、庭一面をうめちまった」という歌と、「悲しい私、不幸な私、愛しい人のために、私は泣いている。・・・娘よ泣くな、悲しむな、雪は白い」というコーラスが交錯。続いて登場する悪漢ノズドリョーフの声は、ドラマティック・テノール。テミルカノフ盤では、ヴラジスラフ・ピアフコが歌っている。同世代のウラジーミル・アトラントフと同様、彼は非常にロブストな声の持ち主で、ここでも抜群の存在感を示している。)
〔 第2幕 〕
ここから、第2幕。地主サバケーヴィチ(B)の登場。彼は世の中が邪悪なものと考えており、人間は皆ねじくれていると信じる男である。この男もまた、チチコフの申し出に対してタフな交渉を挑んでくる。買い手の言い値に応じない。結局、この地主のところにいた農奴たちは一級品だったので、チチコフは高額な支払いをすることとなった。その後、彼は次の目的地へ出発。家来のセリファンが馬に語りかけ、通りがかりの農夫と話す。
(※第2幕はまず、前奏の音楽が面白い。ブン、ブン、ブンと刻まれる低弦のリズム、金管のアクセント、そこにエレキ・ギターかと思われる電気的な弦の音が合いの手を入れる。テミルカノフ盤でサバケーヴィチを歌っているのはボリス・モロゾフというバス歌手だが、何とも凄い声の持ち主である。往年のマクシム・ミハイロフの“ラッパ声”をもっと硬質にしたような、とてつもない重みと深み、そしてドスの強さを備えた声だ。この人が出ている間は、ひたすらその恐ろしい声に圧倒されるばかりである。)
(※チチコフとセリファンがこのド迫力の地主のもとを去って次に向かう場面で、またまたブルガリアンな女性たちの歌声が背景に流れる。「泣くな、娘さん。あんたの彼氏は大丈夫。兵隊にはとられないよ」。なお、テミルカノフ盤でセリファンを歌っているのは、アレクセイ・マスレンニコフ。カラヤンの<ボリス・ゴドゥノフ>でのユロージヴイ、スヴェトラーノフの<森の歌>でのテノール独唱といったあたりが、日本でもおなじみ。)
―この続き、第2幕後半から終曲までの展開については、次回・・。
―『死せる魂』の意味と背景
『死せる魂』という日本語、あるいはDead Soulsという英語のタイトルを見ただけでは分からないのだが、ロシア語の原題からは二重の意味が読み取れるらしい。ロシア語で「魂」を意味する単語には、「農奴」という意味もあるそうなのだ。つまり、この作品のタイトルは『死せる魂』であると同時に、『死んだ農奴』でもあるということである。一生涯領主の下に隷属させられ、土地に縛り付けられた人たち。農民と奴隷の間にあったような身分の人たち。その農奴たちが死んで、だからどうなのかという問題が、この物語の根底にある。
抱えている農奴たちの人数をもとに、かつての帝政ロシアでは領主たちに人頭税が課せられていたという。ただし、人口調査が行なわれるのは、10~15年に一度だけ。その間に死んだ農奴が何人いても、領主は次の調査時期がくるまで当初の税金を払い続けねばならなかった。物語の主人公パーヴェル・イワノヴィチ・チチコフはあちこちの領主を訪ね歩き、彼らのもとで死んだ農奴たちが何人いるかを確かめて、その名前を買って歩く。何のためか。それら農奴たちの名義を国庫に担保として入れ、大金を手に入れるためである。ゴーゴリの小説で描かれるのは、そんな知恵者チチコフの行状と、彼が関わる“えげつない”連中との人間模様である。
―歌劇<死せる魂>の概要と、音楽的特徴
〔 第1幕 〕
不気味な導入曲に続いて、検事(Bar)邸での晩餐会の場面。荒廃した街なのにもかかわらず、たくらみのあるチチコフ(Bar)はそこの街並みや住人たちをやたらに誉めそやす。集まった人々もすっかりいい気分になって、彼を讃える。その後、チチコフは家来のセリファン(T)が運転する馬車に乗って、次なる目的地へ。いよいよ、ビジネスの開始。
(※このオペラが導入部から不思議な怖さを感じさせる理由の一つは、オーケストラ・ピットから響いてくる女性たちの歌声である。これは、普通のオペラ的発声とは全く違う出し方によって作られる声の一つで、いわゆるブルガリアン・ヴォイスと呼ばれるものではないかと思う。ここで歌われる歌詞は、「開けた大地に、白い雪はもうない」というぐらいの簡単な内容なのだが、その声の響き自体に衝撃を受ける。)
(※主人公チチコフの声は、ロシア系のリリック・バリトン。しかし、詐欺師としてのキャラを反映してか、ちょっと癖のある声だ。開幕直後の晩餐シーンは、このオペラの主だった人物が揃って顔見せをする賑やかな集会である。後で改めて登場する地主たちの何人かが、ここで早くもそれぞれの個性を発揮している。その集会の後、チチコフとセリファンが馬車に乗って田舎道を進む場面で再び、女性たちのブルガリアンな歌声が響く。「泣くな、娘さん。あんたの彼氏が兵隊に取られることはないから」。この合唱が静かにフェード・アウトして、最初の地主との交渉シーンが始まる。)
最初の相手は、地主マニーロフ(T)とその妻。マニーロフはこの世が素晴らしいところだと考えており、人間は上品で正直なものだと信じている。しかし、彼も彼の妻もそろって、“ろくでなし”だった。チチコフは夫婦の言うことにひたすら調子を合わせて、会話を盛り上げる。やがて、彼らの歓心を買うことに成功したチチコフは、そこに来た本来の目的を打ちあける。「こちらでお抱えの農奴たちの中から、死んでしまった者たちを売っていただきたいのです」。夫婦はこの思いがけない申し出に戸惑うが、結局来訪者の期待通りにしてやろうと決める。マニーロフはつくづく、チチコフが気に入った様子。
(※このドラマに出て来る地主たちは皆一癖もふた癖もある奇矯な連中ばかりだが、最初の相手となるマニーロフも相当なキャラ。声は、リリック・テナー。チチコフに「死んだ農奴がほしい」と切り出された時、彼は「ム~ム~ム~」という変な鼻声を出す。どうやら、これが得意技らしい。w 開幕冒頭の集会でも、彼はこの「ム~ム~ム~」をやっていた。)
ロシアの田舎道を進むチチコフと家来のセリファンは途中、嵐に遭遇する。彼らが雨宿りを乞いに立ち寄ったのは、カローボチカ(Ms)という裕福なやもめ地主の家。この老いた未亡人は大変な吝嗇家で、手に入る物なら何でも貪欲にいただくという人物である。「あなたの領地で死んだ農奴を、売ってほしい」と申し出てきたチチコフと値段の交渉を始めるが、彼女は不要な麻までチチコフに押し付けて買わせようとする。そしてチチコフが去った後、「死んだ農奴は今どれぐらいの市場価値があるものだか、ちょっと相場を調べてこよう」と出掛けていく。
(※この嵐の場面は、音楽がなかなか面白い。激しい金管と打楽器、鋭い弦のアタック、さらにはムチの音など、ショスタコーヴィチ以来の騒音系サウンドが炸裂する。さらにそこへ、経文を読むような合唱の声が重なってくる。)
(※嵐の音楽に続いて登場するカローボチカという地主は、チチコフとの交渉で聞かせる早口のセリフにユニークな特徴を示す、因業なバアさんだ。彼女はしきりに、「あんまり安く売りたくないからねえ」と繰り返し、チチコフを苛立たせる。ちなみに、テミルカノフ盤で同役を演じているのは、ラリサ・アフデイエワ。大ヴェテランのメゾ・ソプラノ歌手である。この老婆が、「死んだ農奴っていうのは実際、今いくらぐらいなのかねえ」とひとりごちる場面に先立って、かなり刺激的なオーケストラの間奏曲が流れるが、これはショスタコーヴィチの<鼻>を髣髴とさせるようなカッ飛び爆走音楽。大先輩の影響を感じさせる箇所である。)
次に登場する地主は、ノズドリョーフ(T)。これがまた、ならず者。彼は奔放にして気まぐれな対応で、チチコフの話に応じる。成り行きでこの地主とチェスをしなければならなくなったチチコフだが、相手がずるをしたところで立ち去ることに決める。力ずくで引きとめようとするノズドリョーフと彼のもとを去ろうとするチチコフは、お互いの家来を呼んで激しく対峙。やがてそこへ警察官がやってきて、以前の暴力事件を理由にノズドリョーフを逮捕する。
(※ノズドリョーフが登場する前の間奏部分で、やはりまた女性たちのブルガリアンな歌声が響く。「ニガヨモギ、ニガヨモギ、あんたは勝手に生えてきて、庭一面をうめちまった」という歌と、「悲しい私、不幸な私、愛しい人のために、私は泣いている。・・・娘よ泣くな、悲しむな、雪は白い」というコーラスが交錯。続いて登場する悪漢ノズドリョーフの声は、ドラマティック・テノール。テミルカノフ盤では、ヴラジスラフ・ピアフコが歌っている。同世代のウラジーミル・アトラントフと同様、彼は非常にロブストな声の持ち主で、ここでも抜群の存在感を示している。)
〔 第2幕 〕
ここから、第2幕。地主サバケーヴィチ(B)の登場。彼は世の中が邪悪なものと考えており、人間は皆ねじくれていると信じる男である。この男もまた、チチコフの申し出に対してタフな交渉を挑んでくる。買い手の言い値に応じない。結局、この地主のところにいた農奴たちは一級品だったので、チチコフは高額な支払いをすることとなった。その後、彼は次の目的地へ出発。家来のセリファンが馬に語りかけ、通りがかりの農夫と話す。
(※第2幕はまず、前奏の音楽が面白い。ブン、ブン、ブンと刻まれる低弦のリズム、金管のアクセント、そこにエレキ・ギターかと思われる電気的な弦の音が合いの手を入れる。テミルカノフ盤でサバケーヴィチを歌っているのはボリス・モロゾフというバス歌手だが、何とも凄い声の持ち主である。往年のマクシム・ミハイロフの“ラッパ声”をもっと硬質にしたような、とてつもない重みと深み、そしてドスの強さを備えた声だ。この人が出ている間は、ひたすらその恐ろしい声に圧倒されるばかりである。)
(※チチコフとセリファンがこのド迫力の地主のもとを去って次に向かう場面で、またまたブルガリアンな女性たちの歌声が背景に流れる。「泣くな、娘さん。あんたの彼氏は大丈夫。兵隊にはとられないよ」。なお、テミルカノフ盤でセリファンを歌っているのは、アレクセイ・マスレンニコフ。カラヤンの<ボリス・ゴドゥノフ>でのユロージヴイ、スヴェトラーノフの<森の歌>でのテノール独唱といったあたりが、日本でもおなじみ。)
―この続き、第2幕後半から終曲までの展開については、次回・・。
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