前回語ったチェーザレ・シエピも、その次の世代を代表したニコライ・ギャウロフも、ともにヴェルディの<レクイエム>でのバス独唱パートを得意のレパートリーにしていた。私の個人的な意見としては、そのギャウロフさんこそ、同曲の独唱者としておそらく空前絶後の人、最高無類の人だったと思う。それはさておき、この壮麗極まりない鎮魂ミサ曲、これをどのように聴くか、あるいはどのように聴けるかという話になると、「オペラ感覚で楽しんじゃう」というのも、一つの回答としてあると思う。勿論、ここでいうオペラがイタリア・オペラを指していることは、言わずもがなであろう。ロシア・オペラを念頭に置いてそのようなセリフを言う人は普通、いないと思う。しかし昨年(2006年)、その“普通、いないだろう”な演奏のCDを、私は入手したのだった。
アレクサンドル・メリク=パシャイエフは、当ブログでも一連のロシア・オペラの話を通じて少しお馴染みになりつつある人だと思うが、彼が何とヴェルディの<レクイエム>を指揮したコンサートのCDがあったのである。昨年の夏頃だったか、これを中古で見つけるや、私は飛びついて買ったのだった。w ただし、ここで演奏しているのはいつものボリショイ劇場管弦楽団ではなく、レニングラード・フィル(当時)である。合唱団も、今回私が初めて目にする名前の団体で、グリンカ・アカデミック・シャペル合唱団。そして4人の独唱者がまた、思わず“うぷぷっ”な顔ぶれ。ソプラノはガリーナ・ヴィシネフスカヤ、メゾ・ソプラノはイリナ・アルヒーポワ、テノールはウラジーミル・イワノフスキー、そしてバスはイワン・ペトロフ。こんなメンバーによるヴェルディの<レクイエム>が、ライヴで録音(1960年)されていたのである。以下、このCDを聴いた感想文をまとめてみることにしたい。
M=パシャイエフの指揮には、奇を衒(てら)ったようなわざとらしさはどこにもない。真摯(しんし)な姿勢で名ミサ曲に臨んでいる様子が窺われる。作品全体を見渡す目もしっかりしていて、至難な大曲を破綻なくまとめている。一方、普通に聴きなれている演奏とはやはり違うなあ、と思わせる部分もある。具体的に言えば、まず合唱団の発声。これは特に女声パートに顕著なのだが、彼らの声の出し方は、いわゆる“西ヨーロッパ的なベルカント”とは全く異質のものである。当時は、ロシア系の歌い手たちが本当にロシアっぽい声を出していたのだ。第1曲『イントロイトス』で聴かれる男声合唱の土俗的な威力も、なるほどと思わせるものがある。ただ、このCDは(年代的に見て仕方ない面もあるが)モノラル録音であるため、せっかく『怒りの日』などで彼らが爆発的なパワーを発揮していても、それが十分に伝わってこない。ちょっと残念なところだが、一つ救いなのは、ヒス・ノイズのような耳障りな雑音がほとんど無いので、アンプのボリュームを相当大きくしても抵抗なく聴けるという点である。それだけでも、かなりの部分を補うことが出来る。
M=パシャイエフの指揮ぶりで特に印象に残る箇所としては、『トゥーバ・ミルム(=妙なるラッパ)』で重なってくる金管楽器の威力、あるいは『オッフェルトリウム(=奉献唱)』で聴かれる弦楽合奏の引き締まった厚み、といったあたりがまず挙げられるだろう。この辺を聴いていると、さすがにムラヴィンスキーに鍛えられていたオーケストラだなあと思う。一方、『ラクリモーサ(=涙の日)』に曲が入っていく時に見せるリタルダンドの柔らかい表情付けなども、M=パシャイエフは実に巧い。聴きながらギョッとさせられたのは、テノール・ソロが『ホスティアス』を歌いだす直前の弦による前奏。これがまあゴゾゾッ!と凄い音で飛び出してくるのだ。ここをこんなに強く弾かせた例は、他にあまり無いのでは。
しかし、である。このCDを本当に面白いものにしてくれているのは、実は指揮者よりも4人の独唱者たちの方なのだ。彼らが登場するのは『キリエ・エレイソン(=主よ、あわれみたまえ)』からだが、ライヴということも手伝ってか、出だしから皆それぞれに熱演、熱唱を聴かせる。彼らの歌の中で、「こりゃ、ロシア・オペラのノリだな」と真っ先に私に感づかせたのは、テノールのイワノフスキーによる『インジェミスコ(=我、あやまちたれば嘆き)』だった。この歌手は、同じM=パシャイエフの指揮による<ボリス・ゴドゥノフ>の全曲盤で偽ディミートリをやっていた人だ。彼が歌うエキセントリックな『インジェミスコ』を聴いているうちに、私はふと<スペードの女王>のゲルマンを思い出したのである。歌い方もそれっぽいし、「あやまちを犯した私は嘆き、罪を恥じて顔が赤らむ」という歌詞内容も、彼がオペラの中で行なう所業からして妙に納得出来てしまうのだ。参考までに書いておくと、ゲルマンという男は、勝てるカードの秘密を聞き出すために拳銃を出して老婆をショック死させ、さらに、無理やり自分になびかせた娘を自殺にまで追い込んでしまうという、ちょっととんでもない奴なのだ。「平伏して神様に許しを乞います」って、ホントそうするべきなのである。w
メゾ・ソプラノのアルヒーポワが特に面白かったのは、『リベル・スクリプトゥス(=すべて書き記された)』でのソロだ。「世を裁くため、すべてのことが書き記された文書が差し出される。隠されていた事は、すべて暴かれる」といった歌詞を深刻な表情で歌うのだが、彼女の歌い方もまたロシア・オペラのノリになっている。当ブログで扱った作品の例で言えば、<皇帝の花嫁>のリュバーシャあたりがイメージとして浮かんでくる。それと、『ルクス・エテルナ(=永遠の光)』の導入部。ここでも彼女は、非常に劇的な歌唱を聴かせてくれる。
バス独唱のイワン・ペトロフは、『コンフターティス(=呪われし者)』の後半部分で、まるでボリスのモノローグみたいな歌唱を披露する。勿論、歌っている本人はそんなつもりではないのだろうが、聴いているこっちはもうそのノリである。「呪われた者を恥じ入らせ、烈しい炎にお渡しになる時、私を祝福された人たちと一緒に招いてください」といった歌詞も、ボリスがつぶやいたらよく似合いそうな内容ではないか。(※この部分を聴きながら、全盛期のピロゴフかミハイロフがこれを歌っていたらもっと笑えたろうなあ、などと思ったりもしたが。)『オッフェルトリウム』の前半部分も、なかなか良い。ここはメゾのアルヒーポワ、テノールのイワノフスキーと並んでの三重唱になってくるので、マリーナと偽ディミートリのいるところへひょっこり現れたボリスが、「死せる者の魂を、冥府の刑罰と深い淵からお救い下さい」と、何を間違ったか、一緒になって祈り始めちゃったような面白さがある。この珍妙な(?)三重唱は、終曲間際の『ルクス・エテルナ(=永遠の光)』でもあらためて聴くことが出来る。
などと書きつつ、当ライヴで歌っている4人のソロ歌手の中で一番強烈なのは誰かと言ったら、それはやはりソプラノのヴィシネフスカヤということになるだろう。『キリエ』で最初に登場するところからいきなりハイ・テンションだが、『レコルダーレ(=思い出させたまえ)』では、メゾのアルヒーポワを圧倒するほどの存在感を示す。『アニュス・デイ(=神の子羊)』の二重唱では、<オネーギン>のタチヤーナを思わせるような可憐な声も少しばかり聴かせるものの、最後の『リベラ・メ(=我を許したまえ)』に入ると、彼女はついにショスタコーヴィチ・オペラの主人公カテリーナ・イズマイロヴァに変身する。w ひょっとしたら、当CD最大の聴き物は、終曲での彼女の歌いぶりかもしれない。
―それやこれやで、モノラル録音というオーディオ的ハンディはあるものの、これは私が昨年買ったCDの中でも特に印象深いものの一つと相成ったわけである。一般のクラシック・ファンには全く無縁の珍品だとは思うが、聴く側がその気にさえなれば、ヴェルディの<レクイエム>はロシア・オペラの感覚でも楽しめちゃうぐらい懐(ふところ)が深い名作であると分かっただけでも、私には大収穫であった。
さて、次回へのつなぎは、またしりとり。M=パシャイエフのフで続けてみたいと思う。
【2019年5月7日 追記】
この記事を投稿してから、12年が過ぎた。時代は変わり、M=パシャイエフのヴェル・レクみたいなレア音源も、今はYouTubeで普通に聴けるようになっている。当ブログ主も先頃、そのYouTube動画で久しぶりにこれを聴いたのだが、「やっぱり、普通のクラシック・ファンには全然向かないな」と、改めて思った。なので、上の記事は、”ヴェルディの名作レクイエムを巡る、一風変わった面白記事”としてお楽しみいただけたら、それで十分である。
約12年ぶりに当演奏を聴き直して感じた不満を2つだけ挙げると、「モノラル録音である」ということと「バス独唱のイワン・ペトロフに、面白味がない」ということになるだろうか。これがステレオ音声だったら印象も随分(良い方に)変わっていたのは間違いないし、バスのソロがピロゴフやミハイロフだったら絶対にもっと笑わせてもらえて楽しかったに違いないと思えるのだ。
アレクサンドル・メリク=パシャイエフは、当ブログでも一連のロシア・オペラの話を通じて少しお馴染みになりつつある人だと思うが、彼が何とヴェルディの<レクイエム>を指揮したコンサートのCDがあったのである。昨年の夏頃だったか、これを中古で見つけるや、私は飛びついて買ったのだった。w ただし、ここで演奏しているのはいつものボリショイ劇場管弦楽団ではなく、レニングラード・フィル(当時)である。合唱団も、今回私が初めて目にする名前の団体で、グリンカ・アカデミック・シャペル合唱団。そして4人の独唱者がまた、思わず“うぷぷっ”な顔ぶれ。ソプラノはガリーナ・ヴィシネフスカヤ、メゾ・ソプラノはイリナ・アルヒーポワ、テノールはウラジーミル・イワノフスキー、そしてバスはイワン・ペトロフ。こんなメンバーによるヴェルディの<レクイエム>が、ライヴで録音(1960年)されていたのである。以下、このCDを聴いた感想文をまとめてみることにしたい。
M=パシャイエフの指揮には、奇を衒(てら)ったようなわざとらしさはどこにもない。真摯(しんし)な姿勢で名ミサ曲に臨んでいる様子が窺われる。作品全体を見渡す目もしっかりしていて、至難な大曲を破綻なくまとめている。一方、普通に聴きなれている演奏とはやはり違うなあ、と思わせる部分もある。具体的に言えば、まず合唱団の発声。これは特に女声パートに顕著なのだが、彼らの声の出し方は、いわゆる“西ヨーロッパ的なベルカント”とは全く異質のものである。当時は、ロシア系の歌い手たちが本当にロシアっぽい声を出していたのだ。第1曲『イントロイトス』で聴かれる男声合唱の土俗的な威力も、なるほどと思わせるものがある。ただ、このCDは(年代的に見て仕方ない面もあるが)モノラル録音であるため、せっかく『怒りの日』などで彼らが爆発的なパワーを発揮していても、それが十分に伝わってこない。ちょっと残念なところだが、一つ救いなのは、ヒス・ノイズのような耳障りな雑音がほとんど無いので、アンプのボリュームを相当大きくしても抵抗なく聴けるという点である。それだけでも、かなりの部分を補うことが出来る。
M=パシャイエフの指揮ぶりで特に印象に残る箇所としては、『トゥーバ・ミルム(=妙なるラッパ)』で重なってくる金管楽器の威力、あるいは『オッフェルトリウム(=奉献唱)』で聴かれる弦楽合奏の引き締まった厚み、といったあたりがまず挙げられるだろう。この辺を聴いていると、さすがにムラヴィンスキーに鍛えられていたオーケストラだなあと思う。一方、『ラクリモーサ(=涙の日)』に曲が入っていく時に見せるリタルダンドの柔らかい表情付けなども、M=パシャイエフは実に巧い。聴きながらギョッとさせられたのは、テノール・ソロが『ホスティアス』を歌いだす直前の弦による前奏。これがまあゴゾゾッ!と凄い音で飛び出してくるのだ。ここをこんなに強く弾かせた例は、他にあまり無いのでは。
しかし、である。このCDを本当に面白いものにしてくれているのは、実は指揮者よりも4人の独唱者たちの方なのだ。彼らが登場するのは『キリエ・エレイソン(=主よ、あわれみたまえ)』からだが、ライヴということも手伝ってか、出だしから皆それぞれに熱演、熱唱を聴かせる。彼らの歌の中で、「こりゃ、ロシア・オペラのノリだな」と真っ先に私に感づかせたのは、テノールのイワノフスキーによる『インジェミスコ(=我、あやまちたれば嘆き)』だった。この歌手は、同じM=パシャイエフの指揮による<ボリス・ゴドゥノフ>の全曲盤で偽ディミートリをやっていた人だ。彼が歌うエキセントリックな『インジェミスコ』を聴いているうちに、私はふと<スペードの女王>のゲルマンを思い出したのである。歌い方もそれっぽいし、「あやまちを犯した私は嘆き、罪を恥じて顔が赤らむ」という歌詞内容も、彼がオペラの中で行なう所業からして妙に納得出来てしまうのだ。参考までに書いておくと、ゲルマンという男は、勝てるカードの秘密を聞き出すために拳銃を出して老婆をショック死させ、さらに、無理やり自分になびかせた娘を自殺にまで追い込んでしまうという、ちょっととんでもない奴なのだ。「平伏して神様に許しを乞います」って、ホントそうするべきなのである。w
メゾ・ソプラノのアルヒーポワが特に面白かったのは、『リベル・スクリプトゥス(=すべて書き記された)』でのソロだ。「世を裁くため、すべてのことが書き記された文書が差し出される。隠されていた事は、すべて暴かれる」といった歌詞を深刻な表情で歌うのだが、彼女の歌い方もまたロシア・オペラのノリになっている。当ブログで扱った作品の例で言えば、<皇帝の花嫁>のリュバーシャあたりがイメージとして浮かんでくる。それと、『ルクス・エテルナ(=永遠の光)』の導入部。ここでも彼女は、非常に劇的な歌唱を聴かせてくれる。
バス独唱のイワン・ペトロフは、『コンフターティス(=呪われし者)』の後半部分で、まるでボリスのモノローグみたいな歌唱を披露する。勿論、歌っている本人はそんなつもりではないのだろうが、聴いているこっちはもうそのノリである。「呪われた者を恥じ入らせ、烈しい炎にお渡しになる時、私を祝福された人たちと一緒に招いてください」といった歌詞も、ボリスがつぶやいたらよく似合いそうな内容ではないか。(※この部分を聴きながら、全盛期のピロゴフかミハイロフがこれを歌っていたらもっと笑えたろうなあ、などと思ったりもしたが。)『オッフェルトリウム』の前半部分も、なかなか良い。ここはメゾのアルヒーポワ、テノールのイワノフスキーと並んでの三重唱になってくるので、マリーナと偽ディミートリのいるところへひょっこり現れたボリスが、「死せる者の魂を、冥府の刑罰と深い淵からお救い下さい」と、何を間違ったか、一緒になって祈り始めちゃったような面白さがある。この珍妙な(?)三重唱は、終曲間際の『ルクス・エテルナ(=永遠の光)』でもあらためて聴くことが出来る。
などと書きつつ、当ライヴで歌っている4人のソロ歌手の中で一番強烈なのは誰かと言ったら、それはやはりソプラノのヴィシネフスカヤということになるだろう。『キリエ』で最初に登場するところからいきなりハイ・テンションだが、『レコルダーレ(=思い出させたまえ)』では、メゾのアルヒーポワを圧倒するほどの存在感を示す。『アニュス・デイ(=神の子羊)』の二重唱では、<オネーギン>のタチヤーナを思わせるような可憐な声も少しばかり聴かせるものの、最後の『リベラ・メ(=我を許したまえ)』に入ると、彼女はついにショスタコーヴィチ・オペラの主人公カテリーナ・イズマイロヴァに変身する。w ひょっとしたら、当CD最大の聴き物は、終曲での彼女の歌いぶりかもしれない。
―それやこれやで、モノラル録音というオーディオ的ハンディはあるものの、これは私が昨年買ったCDの中でも特に印象深いものの一つと相成ったわけである。一般のクラシック・ファンには全く無縁の珍品だとは思うが、聴く側がその気にさえなれば、ヴェルディの<レクイエム>はロシア・オペラの感覚でも楽しめちゃうぐらい懐(ふところ)が深い名作であると分かっただけでも、私には大収穫であった。
さて、次回へのつなぎは、またしりとり。M=パシャイエフのフで続けてみたいと思う。
【2019年5月7日 追記】
この記事を投稿してから、12年が過ぎた。時代は変わり、M=パシャイエフのヴェル・レクみたいなレア音源も、今はYouTubeで普通に聴けるようになっている。当ブログ主も先頃、そのYouTube動画で久しぶりにこれを聴いたのだが、「やっぱり、普通のクラシック・ファンには全然向かないな」と、改めて思った。なので、上の記事は、”ヴェルディの名作レクイエムを巡る、一風変わった面白記事”としてお楽しみいただけたら、それで十分である。
約12年ぶりに当演奏を聴き直して感じた不満を2つだけ挙げると、「モノラル録音である」ということと「バス独唱のイワン・ペトロフに、面白味がない」ということになるだろうか。これがステレオ音声だったら印象も随分(良い方に)変わっていたのは間違いないし、バスのソロがピロゴフやミハイロフだったら絶対にもっと笑わせてもらえて楽しかったに違いないと思えるのだ。
この演奏って、本当にユニークですよね。「もっと歌って~」と言いたくなるお気持ちも、よ~く分かります。何か、ごつごつしているんですよねー、これ。w
でも、このM=パシャイエフさんて、最期は結構かわいそうな状況だったみたいですね。政治的な策謀があったりして。ヴィシネフスカヤが名指しこそしなかったものの、暗に批判していた相手は、あのスヴェトラ-ノフ?
また、見に来てくださいまし。
「M=パシャイエフがボリショイ劇場主席指揮者の地位を解任されて、あとをエフゲニ・スヴェトラーノフが継いだ。・・・M=パシャイエフは粗野で分別のない男である新参者の部下になった。
M=パシャイエフのレパートリーは、いまやスヴェトラーノフがその権利を主張したのであり、この若くて心の狭い圧制者は貪欲に権利を強奪し、高い地位にあって意のままに他人を罰したり許したりすることができたのだ。中央委員会とフールツェヴァの援助で、彼は人を押し分けながら高位に登りつめ、M=パシャイエフをわきに押しのけると、この尊敬に値する指揮者から彼が作り上げたオペラを次第に奪っていったのである。」
ヴィシネフスカヤやアルヒーポワが泣きじゃくったM=パシャイエフの葬儀についての話は割愛しますが、本当に気の毒な最期だったようです。この人の先輩であったニコライ・ゴロワーノフも、身分証明書をネタにした屈辱的なやり方でボリショイを追われたんですね。ロシア・オペラの指揮者としては、ゴロワーノフとM=パシャイエフの二人こそ、間違いなく当時最も抜きん出た存在だったのに、政治がらみで話が悪い方へいってしまった。何だかやるせない気持ちになります。(ただ、これはあくまでヴィシネフスカヤの目から見た事実であり、情報としては一方通行なので、まだ決めつけや断罪はできないと思いますが。)
スヴェトラーノフが後年円熟し、中身のある音楽をやるようになったのが、まあ、せめてもの救いでしょうかねえ。
ところで、Preiserから昨年発売になった「Voices behind the Iron Curtain ~ Soviet Singers of the Stalin Era」と言うのがあります。指揮者や録音は不明ですが、ソ連時代のボリショイを代表する55人の歌手が1曲づつロシア語で歌っています。当時のロシアの歌手の実力がかなり高水準であったことが窺い知れるものでした。ヴィシネフスカヤは「メフィストーフェレ」、レメシェフは「愛の妙薬」とレパートリーも面白いです。最後にはボリショイ劇場合唱団によるシャポーリンの歌劇「デカプリスト」終曲もあって、結構楽しめます。お世辞にも録音は良いとは言えませんが、ソ連における当時の録音と言う観点からは十分合格点ですわ。
と言うことで、ご参考まで・・・
マルケヴィチのヴェル・レクは、私も存在は知っているのですが未聴です。面白そうですね。
プライザー・レーベルはお値段の高いCDばかりで、私などにはちょっと縁遠いんですけど、面白い発掘音源を結構出してますね。そう言えば、フルヴェンのブラ4のレア・ライヴを昔買ったっけかな・・。
歌劇「デカブリスト」は、M=パシャイエフの指揮による全曲盤が確かありましたよね。ただ、歌詞対訳や作品解説がないと、こういうのはまるっきり分からないので手が出せずにいます。興味はあるんですけど。
当ブログも、年末年始特番終了後はまたロシア系のオペラにもどりますので、どうぞまた見に来てください。