前回からのつながりで、今回はクラシック音楽作品の数ある曲名の中から、とりわけ短いもの、やたら長いもの、そしてよく似ていてまぎらわしいものについて、ちょっと語ってみたい。
まず、あまたあるクラシック作品の曲名の中で最も短いものは何か、と問われれば、私は結構自信を持って答えることができる。それは、ライエル・クレスウェル作曲によるオーケストラ曲<オ!>である。たった一音、オ!と叫ぶだけのタイトルだ。これ以上短いものは多分、ないと思う。曲自体には特にどうという印象も残っていないが、まあ一応20世紀らしいオーケストラ作品の1つではあった。随分昔、FM放送の『海外の演奏会』みたいな番組で一度紹介されたのだが、この曲は結局それっきり忘れ去られてしまったようだ。
今度は逆に、一番長いクラシック作品の曲名は何か、となるとこれは分からない。まるで見当もつかない。とりあえず、ユニークな曲名でお馴染みのエリック・サティの作品からは、<いつも片目をあけて眠る太った猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ>あたりが有力候補になろうか。これはやたら長いタイトルとは対照的に非常に短いファンファーレだが、どこかとぼけた味を持つ面白い曲である。しかし、そのサティのファンファーレのように遊びが入った物ではなく、大真面目に(?)長くなっている曲名ということで、今興味深い例が2つほど、頭の中に思い浮かんで来ている。
まず1つ目は、その曲を実際に聴いたわけではなく単なる本の知識で得たものに過ぎないのだが、曲名の長さに加えて使う楽器が珍しかったことで記憶に残っている作品である。それは、グルックがロンドンで演奏して評判をとったという、グラスハーモニカの協奏曲である。原語でどう言うのかは残念ながら不明だが、日本語では、<バンドの伴奏を持つ、泉の水によって調律された26個のコップのための協奏曲>みたいになるようだ。これは相当長い曲名である。
(※ちなみにグラスハーモニカという楽器は、たくさんのコップに水を入れ、その水量を調節して音階順に並べたものだ。それらを回しながら濡れた指でこすると、キュオ~ン、コワ~ンと不思議な音を発するのである。20世紀になってブルーノ・ホフマンというスペシャリストが現れ、水を使わずに厚さの違うコップを共鳴箱の上に並べてから濡れた指でこする、という新しい演奏法を生み出したそうだ。新しい録音の中では、アバドの指揮によるベートーヴェンの<舞台劇『レオノーレ・プロハスカ』のための音楽Wo Op96>の中にある「メロドラマ」と題された部分で、この楽器の独特な響きを聞くことが出来る。ただ、私の個人的な感想としては、このCDのグラスハーモニカ演奏には不満がある。昔FMで耳にしたホフマンの演奏には、“天来の妙音”とでも言えそうな不思議な魅力があったのだが・・。)
あと、もう1つ。これは曲名というより、その曲に添えられた副題と言った方が正しいのかも知れないが、1つ、やけに長いものがある。何年前になるか忘れたが、NHKのFM放送で紹介されていたオットー・M・ツィカンの<チェロ協奏曲>に添えられた標題である。もともとのドイツ語ではどうなっているか分からないが、日本語訳としては、「チェロと大管弦楽のための、因習的な手法によって試みられた3つの異なる悲愴な楽章」みたいな感じだったと思う。チェロ・コンひとつにそこまで説明つけるかあ?と突っ込んであげたくなるぐらい長かった。これはチェロ独奏にかなり強い音圧と緊張した高音の持続を要求するもので、チェリストにとっては思いっ切りchallengingな作品である。
今回の締めくくりは、よく似ていて紛らわしい曲名の例。このブログでもかつて、<ラ・シルフィード>と<レ・シルフィード>は全く別のバレエ作品という事を書いたが、その他にもかなり間違えやすい例がある。今私の頭に浮かんでいるのは、2例。1つは、先ほど言及したグルックが書いた2つの歌劇、<オーリードのイフィジェニー>と<トーリードのイフィジェニー>。非常にまぎらわしいが、この2作は全く別物である。序曲が有名なのは前者<オーリード>の方。一方、グルック・オペラの集大成と言われているのが、後者<トーリード>。この2つほど紛らわしい曲名は、ちょっと他にないんじゃないかと思う。また、この2作には連続性があって、最初の<オーリード>の物語に続く後日談が、<トーリード>ということになっている。
この2つの<イフィジェニー>ほどではないものの、ヴェルディが若い頃に書いた2つの歌劇、<アッティラ>と<アルツィラ>もよく似たタイトルなので、両者がごっちゃになっている方もおられるのではないだろうか。(※ひょっとしたら、「はじめから、どっちも知らないよ」と言われるかもしれないが。)この2つもやはり、全く別の作品である。<アッティラ>の方は、このブログでも「ピエロ・カプッチッリの訃報」というトピックの中で言及したことがあるが、それ自体に独自の魅力がある作品だ。一方の<アルツィラ>はむしろ、ヴェルディが後に書くことになる傑作群の先鞭をつけているという点で価値がある。しかしながら、ここに並べた4つのオペラ作品の具体的な内容や違いをちゃんと語るには全然枠が足りないので今回は割愛し、これら4作についての話はまたいつか別の機会に譲りたいと思う。
(PS)
今回のトピックに関連したおまけのお話を一席。よく知られた早口言葉の1つに、「青巻紙、赤巻紙、黄巻紙」というのがある。これを全くつかえることなく3回繰り返して言える方は、ご自身の言語発音能力の高さにかなり誇りを持ってよろしいのではないかと思う。これは最後の「黄巻紙(きまきがみ)」が特に難物で、たいていここでやられる。さて、ちょっと有名なポーランド系の指揮者達の名前を3人並べてみると、この早口言葉みたいなのが1つ出来上がる。「ロヴィツキ、ヴィスロツキ、スクロヴァチェフスキ」である。こんなの簡単、早口言葉になってないよ、とおっしゃる方は、彼らのファースト・ネームも付けた形でチャレンジしてみて下さい。
ヴィトルド・ロヴィツキ、スタニスラフ・ヴィスロツキ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ・・では、3回どうぞ。w
今回は、この辺で・・。
まず、あまたあるクラシック作品の曲名の中で最も短いものは何か、と問われれば、私は結構自信を持って答えることができる。それは、ライエル・クレスウェル作曲によるオーケストラ曲<オ!>である。たった一音、オ!と叫ぶだけのタイトルだ。これ以上短いものは多分、ないと思う。曲自体には特にどうという印象も残っていないが、まあ一応20世紀らしいオーケストラ作品の1つではあった。随分昔、FM放送の『海外の演奏会』みたいな番組で一度紹介されたのだが、この曲は結局それっきり忘れ去られてしまったようだ。
今度は逆に、一番長いクラシック作品の曲名は何か、となるとこれは分からない。まるで見当もつかない。とりあえず、ユニークな曲名でお馴染みのエリック・サティの作品からは、<いつも片目をあけて眠る太った猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ>あたりが有力候補になろうか。これはやたら長いタイトルとは対照的に非常に短いファンファーレだが、どこかとぼけた味を持つ面白い曲である。しかし、そのサティのファンファーレのように遊びが入った物ではなく、大真面目に(?)長くなっている曲名ということで、今興味深い例が2つほど、頭の中に思い浮かんで来ている。
まず1つ目は、その曲を実際に聴いたわけではなく単なる本の知識で得たものに過ぎないのだが、曲名の長さに加えて使う楽器が珍しかったことで記憶に残っている作品である。それは、グルックがロンドンで演奏して評判をとったという、グラスハーモニカの協奏曲である。原語でどう言うのかは残念ながら不明だが、日本語では、<バンドの伴奏を持つ、泉の水によって調律された26個のコップのための協奏曲>みたいになるようだ。これは相当長い曲名である。
(※ちなみにグラスハーモニカという楽器は、たくさんのコップに水を入れ、その水量を調節して音階順に並べたものだ。それらを回しながら濡れた指でこすると、キュオ~ン、コワ~ンと不思議な音を発するのである。20世紀になってブルーノ・ホフマンというスペシャリストが現れ、水を使わずに厚さの違うコップを共鳴箱の上に並べてから濡れた指でこする、という新しい演奏法を生み出したそうだ。新しい録音の中では、アバドの指揮によるベートーヴェンの<舞台劇『レオノーレ・プロハスカ』のための音楽Wo Op96>の中にある「メロドラマ」と題された部分で、この楽器の独特な響きを聞くことが出来る。ただ、私の個人的な感想としては、このCDのグラスハーモニカ演奏には不満がある。昔FMで耳にしたホフマンの演奏には、“天来の妙音”とでも言えそうな不思議な魅力があったのだが・・。)
あと、もう1つ。これは曲名というより、その曲に添えられた副題と言った方が正しいのかも知れないが、1つ、やけに長いものがある。何年前になるか忘れたが、NHKのFM放送で紹介されていたオットー・M・ツィカンの<チェロ協奏曲>に添えられた標題である。もともとのドイツ語ではどうなっているか分からないが、日本語訳としては、「チェロと大管弦楽のための、因習的な手法によって試みられた3つの異なる悲愴な楽章」みたいな感じだったと思う。チェロ・コンひとつにそこまで説明つけるかあ?と突っ込んであげたくなるぐらい長かった。これはチェロ独奏にかなり強い音圧と緊張した高音の持続を要求するもので、チェリストにとっては思いっ切りchallengingな作品である。
今回の締めくくりは、よく似ていて紛らわしい曲名の例。このブログでもかつて、<ラ・シルフィード>と<レ・シルフィード>は全く別のバレエ作品という事を書いたが、その他にもかなり間違えやすい例がある。今私の頭に浮かんでいるのは、2例。1つは、先ほど言及したグルックが書いた2つの歌劇、<オーリードのイフィジェニー>と<トーリードのイフィジェニー>。非常にまぎらわしいが、この2作は全く別物である。序曲が有名なのは前者<オーリード>の方。一方、グルック・オペラの集大成と言われているのが、後者<トーリード>。この2つほど紛らわしい曲名は、ちょっと他にないんじゃないかと思う。また、この2作には連続性があって、最初の<オーリード>の物語に続く後日談が、<トーリード>ということになっている。
この2つの<イフィジェニー>ほどではないものの、ヴェルディが若い頃に書いた2つの歌劇、<アッティラ>と<アルツィラ>もよく似たタイトルなので、両者がごっちゃになっている方もおられるのではないだろうか。(※ひょっとしたら、「はじめから、どっちも知らないよ」と言われるかもしれないが。)この2つもやはり、全く別の作品である。<アッティラ>の方は、このブログでも「ピエロ・カプッチッリの訃報」というトピックの中で言及したことがあるが、それ自体に独自の魅力がある作品だ。一方の<アルツィラ>はむしろ、ヴェルディが後に書くことになる傑作群の先鞭をつけているという点で価値がある。しかしながら、ここに並べた4つのオペラ作品の具体的な内容や違いをちゃんと語るには全然枠が足りないので今回は割愛し、これら4作についての話はまたいつか別の機会に譲りたいと思う。
(PS)
今回のトピックに関連したおまけのお話を一席。よく知られた早口言葉の1つに、「青巻紙、赤巻紙、黄巻紙」というのがある。これを全くつかえることなく3回繰り返して言える方は、ご自身の言語発音能力の高さにかなり誇りを持ってよろしいのではないかと思う。これは最後の「黄巻紙(きまきがみ)」が特に難物で、たいていここでやられる。さて、ちょっと有名なポーランド系の指揮者達の名前を3人並べてみると、この早口言葉みたいなのが1つ出来上がる。「ロヴィツキ、ヴィスロツキ、スクロヴァチェフスキ」である。こんなの簡単、早口言葉になってないよ、とおっしゃる方は、彼らのファースト・ネームも付けた形でチャレンジしてみて下さい。
ヴィトルド・ロヴィツキ、スタニスラフ・ヴィスロツキ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ・・では、3回どうぞ。w
今回は、この辺で・・。
似て非なる物の話題というと、どこかの掲示板にもあったなぁ。(^w^)
長い名前ものはヒンデミットの「午前7時に村の井戸端で二流楽団が初見で演奏する『さまよえるオランダ人』序曲」やアイヴスの「はしご車のゴング、またはメイン・ストリートを行く消防士のパレード」というのをきいたことがあります。何語で書くかで長さも変わりそうですね。でもあんまり聴きたい気がしないなぁ。(^_^;)
似たものネタではプーランク、クープラン、コープランドってのが子供の頃は紛らわしかったです。あと、ボッケリーニとボッテジーニ。これからの季節はボッタクーリに気をつけましょう。(しまった、オヤジになってる(-_-))紛らわしいのは左右のリーバーマン。LとRがいるんですよねぇ。
楽しかったです~♪ またこんなネタやってくださいね。(^_^)v
気持ちの励みになります。
また見に来てくださいまし。
似た名前の作曲家ですと、ジョン・タヴァナーとジョン・タヴナーが全くの別人というのもありますね。これは、ほとんど反則ですべ!
同姓を持つ作曲家の例ですと、よく知られた2人のシャルパンティエのほかにも、オーベールという名の作曲家が、少なくとも3人いるようですね。
その中で、このブログにいつか登場しそうなのは、ダニエル・オーベールかな。フランス・オペラ史の重要人物の一人だから・・。
さて、来月はずっと文学がらみの格調高い(?)シリーズに入る予定なので、あまり楽しくはないかも知れません。juncoさん、スマソ。
でも、また見に来てください。