クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

<ハーリ・ヤーノシュ>全曲(2)

2008年06月27日 | 作品を語る
前回の続きで、コダーイの<ハーリ・ヤーノシュ>全曲。今回は、その後半部分のお話。

〔 第3の冒険 〕・・・戦場

フランス軍の総攻撃。しかし、ハーリは一人でフランス兵たちをなぎ倒し、ついに敵将ナポレオンと向かい合う。するとナポレオン、ハーリを見るや完全にブルって戦意喪失。彼はへなへなと地面にひざをつき、「ごめんなさーい」とハーリに謝る。そんな夫の姿を見たマリー=ルイーズは、「情けないわねえ!あなたとはもう離婚です」と、ナポレオンに三下り半。将軍の指揮棒を手にしたハーリは、「戦争賠償金を支払いなさい。それと、ナジャボニィの村長へ金時計を贈りなさい」と、ナポレオンに命令する。

ハーリは勝利の宴を開く。マリー=ルイーズとハーリに続き、皆が踊りを楽しむ。しかし、そこへエルジェが現れ、「あなたには、立派なご婦人がいるのね。私はもうウィーンには居られないから、故国(くに)へ帰ります」とハーリに別れを告げる。ハーリはそんな彼女を慰めて一緒に踊りを始めるが、今度はそれを見たマリー=ルイーズが嫉妬に燃える。「何よ、それ!私、死んじゃうから」。二人の女性にはさまれて困り果てたハーリは、豪快な『軽騎兵募集の歌』を歌いだす。

(※ここではまず、組曲版・第4曲でおなじみの『戦争とナポレオンの敗北』が流れる。ナポレオンが登場する場面での物々しいトロンボーンの威力、『葬送曲』での鮮やかなサクソフォンなど、ケルテスはここでもダイナミックな演奏を聴かせる。その後、ナポレオンの情けない歌、『ジプシー音楽』、そして騎士エベラスティンの歌と続く。但しフェレンチク盤では、短い『ジプシー音楽』はカット。)

(※ハーリ役のバリトン歌手と男性合唱団が歌う『軽騎兵募集の歌』は、ハーリとエルジェによる二重唱の『歌』と並んで、<ハーリ・ヤーノシュ>全曲の中でもピカイチの名曲だ。これはハンガリーの民族色が豊かに打ち出された情熱的な曲で、ハンガリー人ならずとも聴いていて心が燃えるような気分になってくる。ケルテス盤のパワーは言わずもがなだが、一方のフェレンチク盤もここでは驚くほどホットな演奏を聴かせてくれる。惜しまれるのは、フンガロトン・レーベルの音作りがマイルド志向なものであるため、その録音がせっかくの演奏パワーを削いでしまっているように感じられることだ。フェレンチク盤がもしデッカあたりで録音されていたら、おそらく合唱のテノール・パートなど、旧ソ連の赤軍合唱団みたいに響いたことであろう。w )

〔 第4の冒険 〕・・・宮殿内にあるハーリの豪華な部屋

皇后と皇女が歌う。「今までに10人の結婚候補者がいたけれど、やっぱりハーリさんが最高ね」。そこへオーストリア皇帝が廷臣たちを連れて登場し、食事会が始まる。上機嫌の皇帝は、ハーリとマリー=ルイーズに帝国の半分を与えようと進言するが、ハーリはそれを辞退し、次のように答える。「皇女様は、もっと身分の高い男性と結婚なさるべきです。それに私には、エルジェという許婚がおります。ご褒美をいただけるのでしたら、軍役を解除して年金をください」。皇帝は、ハーリの願いを聞き入れる。そしてハーリはエルジェとともに、懐かしい故郷の村へと帰っていく。

(※この〔第4の冒険〕は、音楽的な聴きどころが満載だ。まず、「ハーリさんが一番素敵ね」と歌う皇后と皇女の二重唱。これは、女声合唱を伴った非常に美しい一曲である。フェレンチク盤は、二人の歌手が優秀。逆にケルテス盤は歌手がペケだが、その代わり女声合唱がめっぽう美しい。で、それに続くのが、組曲版・第6曲でおなじみの『皇帝と廷臣の入場』。ケルテス盤は金管の音が輝かしくて、ダイナミック。しかしフェレンチクも、ここではケルテスに負けず劣らず、エネルギッシュな快演を披露している。)

(※オーストリア皇帝と廷臣たちが入場した後は、食事会の風景。ケルテス盤では、食器がガチャガチャいう音や人々のおしゃべりの声など、臨場感溢れる効果音が使われている。一方のフェレンチク盤はこのあたりをカットして、すぐ次の曲『小さな王子たちの入場と合唱』に進む。これは「アー、ベー、ツェー、デー・・・」とアルファベットから歌い始める、子供たちによる可愛らしい一曲だ。ただ、それぞれの演奏家によって、王子たちの年齢イメージが異なっているようだ。ケルテス盤の少年合唱は大人びていて、立派な感じ。逆に、フェレンチク盤の児童合唱は構成メンバーの平均年齢がかなり低いようで、そのあどけなさがメチャ可愛らしい。w )

(※〔第4の冒険〕も後半に入ると、いよいよ名曲のオン・パレード。まず、ニワトリの世話をしながら歌うエルジェの悲しい歌。これはまるでガーシュウィンさながらの、夕暮れみたいな名歌である。「私はもともと貧しい生まれだったけど、心から好きだった人を取られちゃって、ほんとの貧乏になっちゃった。もう誰も私を知らないような、遠い国へ行きたい」。続いて、「ハンガリーの人々の苦しみに、鞭打つことはなさらないでください」と歌うハーリの短い歌。これも、なかなかの佳曲だ。ケルテス盤は例によって歌手があまり巧くないが、伴奏の指揮は大変良い。こういうところを聴いていると、ケルテスさんにはもっと長生きして円熟してもらって、色々なオペラを振ってほしかったなあと、つくづく思う。自信過剰の遠泳による水難事故死というのは、あまりにも勿体ない死に方であった。)

(※いよいよ、終曲。「今私たちは、ハンガリーの人たちの心、その悲しみや苦しみがわかるのです」という合唱に続き、〔第1の冒険〕でも聴かれたハーリとエルジェの二重唱。組曲版・第3曲でおなじみの『歌』の旋律が、ここで再び歌われる。「ティサ川のこちら側、ドナウ川の向こう側、ティサ川の向こう側に、ポプラの木がある小さな小屋。私の思いは、いつもそこに。心はいつも、そこを求める。愛する人と一緒に・・・」。そして、合唱団とオーケストラによる一大クライマックス。ここには、組曲版では絶対に味わうことの出来ない、全曲ならではの感激体験がある。この終曲でのケルテスの指揮はとりわけ素晴らしく、初めて聴いたとき、私は怒涛の感動に打ち震えたのだった。やがて遠くから合唱の歌声が聞こえてきて、深い余韻を残しながら全曲が静かに閉じられる。

そう言えば、ケルテス&ロンドン響による<ハーリ・ヤーノシュ>組曲版の演奏について、「刺戟的なくらい外面の威力に頼った指揮ぶりで、演奏効果は十分だが、デリカシーの不足は否めない」と、宇野功芳氏がかつて『新編・名曲名盤500』(音楽之友社)の中で書いておられた。確かに、組曲だけを聴けば、そういう印象になるかもしれない。しかし音楽劇全曲としてなら、十分なレベルに達した名演であるように私には思える。これであと、歌手陣さえ良かったら・・・。)

―<ハーリ・ヤーノシュ>の冒険談は、以上で終了。但し、劇としてはこの後〔エピローグ〕が続く。ハーリの話が終わると、「わしのところに、金時計なんか贈られて来なかったぞ」と、村長がつっこみを入れる。それに対してハーリは、「ナポレオンの奴、約束を守らなかったんだ。しかし、妻も亡くなった今、俺の話を証明してくれる人はいなくなってしまった」と答える。すると、お話が始まる時にくしゃみをしていた若者が、「証人なんかいなくたって、ハーリおじさんの話は本当さ」とフォローを入れて、めでたし、めでたしの幕切れとなるのである。

―という訳で、次回予告。次はいつものオペラ系統の話から離れて、ちょっと脱線した記事を書いてみたいと思っている。すぐ上に登場していた有名な評論家先生を巡る、私の個人的な思い出話である。
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