クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

若きサヴァリッシュのバイロイト・ライヴ(2)~<タンホイザー><ローエングリン>

2008年06月01日 | 演奏(家)を語る
前回の続き。若きサヴァリッシュのバイロイト録音から残りの二つ、<タンホイザー>と<ローエングリン>について。

● <タンホイザー> (1962年)

今回取り上げているサヴァリッシュの3作の中で、おそらく最もバランスの良い仕上がりになっているのが、この<タンホイザー>だと思う。これは、迫力と抒情性が巧みにブレンドされた見事な演奏である。迫力の面では、まず序曲の途中からなだれ込んでいく『バッカナール』の激しさ。ここで早速、若きサヴァリッシュの溌溂たる指揮ぶりが楽しめる。それと、第2幕のエンディング。ヴェーヌス賛歌を歌って周り中から非難されたタンホイザーが、「赦しを求めて、ローマへ」と旅立ちを決意するシーンだ。このたたみ掛けるような迫力!素晴らしいの一語である。一方、抒情的な美しさが出た部分といえば、何と言っても第3幕の前半であろう。『エリーザベトの祈り』からヴォルフラムの有名な『夕星の歌』に続くあたり、サヴァリッシュは実にしっとりしたムードを作り出している。

アニア・シリアのエリーザベトは、ひたむきで情熱的だ。第1幕・登場シーンでの歌唱こそいくぶん不安定なところを見せるものの、それから後は調子がぐんぐん上がっていき、第3幕で聴かせる『祈り』などは見事な名唱。ヴィントガッセンのタンホイザーも、力強い。歌唱そのものはこの人のベストではなさそうだが、そのロブストな声を聴けるだけでも、今は何だか有り難い気分になる。こういうヘルデン・テノールって、本当にいなくなった。この演奏を学生時代にLPで聴いて以来、グレース・バンブリーのヴェーヌスを「圧倒的だった」と記憶し続けていたのは、どうやら第3幕での力唱に直接的な理由があったようだ。今回CDで改めて聴き直してみて、そう思った。第1幕でのタンホイザーとのやり取りは、そんなに特別凄いものではない。やはり、「こちらへいらっしゃい」とタンホイザーを誘いに現れる第3幕での歌唱。これが、パワフルなものだったのだ。

合唱団の素晴らしさも、特筆に価する。「合唱指導の神様」と讃えられたウィルヘルム・ピッツが、ここでもバイロイトらしい強力なコーラスを生み出している。第3幕の有名な『巡礼の合唱』は勿論のこと、タンホイザーがこと切れた後のラスト・シーンで男声合唱が出てくるところ、ここはもう最高である。このラストを聴くたびに、私はちょっと言葉に出来ないような感動を味わう。

● <ローエングリン> (1962年)

ここでのサヴァリッシュの指揮は、「申し分なく情熱的でありながら、なお且つ実直に、この大曲に取り組んでいる」といった印象を与える。第3幕の冒頭で聴かれる有名な『婚礼の合唱』など、ちょっと楷書体の演奏になり過ぎてロマンティックな味わいに欠けるけれども、全体にわたる響きの充実ぶりは素晴らしく、歌手陣の力演ともども、非常な聴き応えを感じさせてくれる。

歌手たちの中で、私にとって最も印象深いのは、二人の悪役だ。まず、オルトルートを歌うアストリッド・ヴァルナイ。さすがに全盛期から比べると声はかなり衰えているが、それを補うように、彼女は凄い性格表現で聴く者を圧倒する。例えば第2幕でのテルラムントとのやり取りの中で、「ヒアーッハッハアーッ」と笑うところなど、あまりのエグさに(?)こちらまでウププッ、と笑ってしまう。

で、彼女の“悪のパートナー”であるテルラムントを演じているのが、ラモン・ヴィナイ。歌の出来はともかく、この声には好感が持てる。往年のヘルマン・ウーデが聞かせたニヒリスティックな声、あるいはケンペ&ウィーン・フィルのEMI盤で歌っている若きフィッシャー=ディースカウの高知能犯罪者みたいな歌唱も、それぞれに個性的で面白いけれども、テルラムントという役をもっとたくましいイメージで聴きたいと願うファンには、この人の声こそぴったりであろう。ちなみにヴィナイという人は、まずバリトンでデビューし、全盛期にはテノール(=いわゆるテノーレ・ロブスト)として活躍し、そして後年またバリトンに戻るというユニークな履歴を経た歌手である。普通、一人の歌手がそのキャリアの中で、オテロとヤーゴの両方を歌うなどということは有り得ない話なのだが、この人はそれをやってのけた例外的な歌手だった。

さて、主役の二人。ジェス・トーマスのローエングリンは、声こそさすがに立派なものの、歌の出来はいまひとつ。この人のローエングリンを聴くなら、ケンペ&ウィーン・フィル、他によるEMI盤の方がずっと良い。一方、サヴァリッシュの3作品にすべて出演して毎度好評のアニア・シリアは、特に第2幕で理想的なエルザを聴かせる。ヴァルナイの悪役演技と見事な対比をなして、彼女は可憐な乙女のイメージを鮮明に描き出す。そう言えば、シリアのほかにフランツ・クラスも、3作品すべてに出演している。で、私の感ずるところ、このバス歌手の出来栄えは、ここで歌っている国王ハインリッヒがベストである。

ウィルヘルム・ピッツが指導したバイロイト合唱団の威力についてはもう、言わずもがなであろう。いや、それどころか、サヴァリッシュの指揮による今回の3作の中でも、この<ローエングリン>のコーラスこそ、飛びぬけて圧倒的なものであると言うべきかもしれない。<ローエングリン>に於いては、タイトル役よりもむしろ合唱団の方が歌う箇所が多いので、一層その存在が大きく感じられるのだろう。

(PS) ヴィーラント・ワグナーとアニア・シリア、そして若きサヴァリッシュ

今回の締めくくりは、前回保留にしておいたお話。アニア・シリアに対するヴィーラント・ワグナーの入れ込み方、そしてサヴァリッシュがバイロイトを去ることになったいきさつ、その二点についての補足をしておきたい。まずは前者について、『音楽と我が人生~サヴァリッシュ自伝~』(第三文明社)の132~136ページに書かれている文章から抜粋・編集したものを書き出してみたい。

{ 「作曲家リヒャルト・ワグナーは、自作に登場するすべての女性像を、最終的にはただ一つの姿であると見なしていた」という考えを、ヴィーラント・ワグナーは支持していました。彼は祖父が書いた文章を引用して、そのことを実証しようとしました。ゼンタ、エリーザベト、エルザ、クンドリー、そしてブリュンヒルデを、最後に精神的死を遂げるひとりの女性像として見たのです。そして、その女性像を体現できるただ一人の歌手がアニア・シリアであると、ヴィーラントは主張したのでした。

でも、<マイスタージンガー>のエヴァは全く違います。私は自分の考えをヴィーラントに伝え、何とかわかってもらおうと努めました。・・・ヴィーラントは私の話に耳を貸しませんでした。・・・「絶対、アニア・シリアにする」。これがヴィーラント・ワグナーの決まり文句でした。・・・1962年の音楽祭が終了してしばらく後、翌63年の<マイスタージンガー>上演のために確定したメンバー表が、私のところに届きました。エヴァの役は、アニア・シリアになっていました。 }

続いて後者、つまりサヴァリッシュがバイロイトを去ることになったいきさつについて、彼がヴィーラント・ワグナーに宛てた1962年9月30日付の書簡から抜粋したものを、以下に。

{ 来年の<マイスタージンガー>の指揮をするようにとのご招待、心から感謝致しております。・・・ここで、私には実行不可能と思われる点に達しました。エヴァの問題です。・・・ゼンタ、ブリュンヒルデ、イゾルデ、そしてエリーザベトを歌うことができ、さらにその上、エルザとエヴァを同時に歌うことの出来る女性、そんな女性は存在しませんし、今後生まれることも決してないでしょう。それには、貴方はまず、のどの筋肉と声帯のメカニックを変えられる発明をしなければならないでしょう。・・・非常に残念ですが、私がバイロイトで指揮した6年の後、そしてそれに連なる素晴らしい体験を考えると、・・・こうした手紙を書くのは生易しいものではないことを信じていただきたいのですが、私の1963年の仕事への参加は思いとどめて下さいますようお願い致します。・・・ }

このエヴァ問題のほか、ザックス役のキャスティングを巡る意見の相違等、いくつかの障害があって、サヴァリッシュは1963年の<マイスタージンガー>を断り、結局そのままバイロイトを去ることとなった。そして1966年にヴィーラントが他界し、将来一緒にやろうと約束していた《指環》新上演の話も立ち消えとなったのである。(※ついでながらサヴァリッシュは、「前回の上演より進んだものを、まだ今の自分には作れない」という理由で、1962年の<トリスタン>も断っている。そのサヴァリッシュの推薦を受けて登場し、<トリスタンとイゾルデ>で鮮烈なバイロイト・デビューを飾ったのがカール・ベームというわけである。)

バイロイトへの参加を断ったサヴァリッシュの一件は、当時様々な議論や政治的憶測を呼んだものらしい。面白いのはクナッパーツブッシュの反応で、彼もやはりニュースを聞いた当初はサヴァリッシュに対して批判的な思いを抱いたようだ。しかし、「バイロイトへの招待を断るもんじゃないよ」と本人を諌(いさ)めはしたものの、詳しい説明を聞いた後は、「そういうことなら、君が正しい。それは、断らねばならん」と、若い指揮者の決断に理解を示したのだそうである。

―サヴァリッシュとバイロイトを巡るお話は、これで終了。次回から新しいトピック。
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