先頃語ったラフマニノフの歌劇<アレコ>は、学生時代の彼がA・プーシキンの『ジプシーたち』をもとにして書いたものだった。その後、同じ原作によるオペラを一度は書きかけたものの、結局破棄してしまった人がいる。ドミトリー・ショスタコーヴィチである。その彼があれこれと題材に悩んだ末、最初に書き上げることになったオペラは、ニコライ・ゴーゴリの原作による歌劇<鼻>であった。これは全部で10の場から成るオペラで、第1~4場が〔第1幕〕、第5~6場が〔第2幕〕、そして第7~10場が〔第3幕〕という風に割り振られている。
今回参照している演奏はG・ロジェストヴェンスキーの指揮による1975年6月のモスクワ録音だが、私が今持っているヴェネツィア盤CDには歌詞対訳が付いていない。あるのは、トラック番号の振り分け一覧のみである。このオペラについては随分前、ポクロフスキー(でよかったと思う)の演出による舞台映像を鑑賞したこともあったのだが、その時のヴィデオ・テープも古くなったのでとっくに処分してしまった。そこで今回の記事は、楽曲解説の本と、日本語に翻訳されたゴーゴリの原作を見ながら書くことにした。
―歌劇<鼻>のあらすじ
●第1場
床屋イワン・ヤーコヴレヴィチの住居。朝の食事風景。妻が焼いたパンの中から人間の鼻が見つかり、床屋はぎょっとする。妻が、ヒステリックに彼をののしる。「人様の鼻まで剃り落として、このろくでなし!そんな物、どこかに捨ててきてよ」。彼は鼻を布に包み、外に出かける。
(※このオペラは、序曲からいきなり強烈。打楽器とトランペットがギャロップのリズムを強調しつつ、素っ頓狂な音楽を鳴らして開幕を告げる。舞台ではその序曲の間、床屋のイワンが八等官コワリョフのひげを剃っている場面が描かれる。ゴーゴリの原作にそれはなく、直接床屋の食事風景から話が始まる。)
●第2場
イワンは包んで持ってきた鼻をネヴァ河に捨てるが、そこを警察分署長に見とがめられる。
(※ここに登場する警察分署長の声は、聴いていて滑稽なほどに甲高いテノール。作曲者自身の言によると、「警察官が話す時は、いつも怒鳴る。これは彼らの習性」だそうである。イメージ的には、<ヴォツェック>に出て来る大尉の声が近い。ヴォツェックにひげを剃らせながら、「モラール!モラール」と叫ぶあの変な人物の声だ。なお、ゴーゴリの原作を読むと、「この後どうなったのかは霧に包まれて不明」といった感じで、警官と床屋のやり取りも、捨てられた鼻のことも、何一つ語られないまま第1章が終わってしまう。)
●第3場
八等官コワリョフの部屋。目を覚まして鏡を見た彼は、びっくり仰天。彼の顔から鼻がなくなっていたのだ。
(※打楽器だけで演奏される鮮烈な間奏曲に続いて、八等官コワリョフの登場シーン。すっとぼけたトロンボーンのグリッサンドが“あくび”を表現し、ヴァイオリンのソロが“のび”を巧みに表現。鼻がなくなってパニック状態に陥った彼が警視総監の邸へ出向く場面も、シロフォン、トランペット、弦楽、各種金管を駆使したけたたましい音楽が鳴り響く。このユーモラスなスピード感は見事。若きショスタコーヴィチの才気炸裂、といった感じである。)
●第4場
カザン大寺院の聖堂内。数人の男女が祈りを捧げている。そこに五等官の姿をした鼻がいて、ひざまずいて祈っている。顔の真ん中をハンカチで隠したコワリョフが現われ、鼻を発見。両者の対話が始まる。その後、聖堂に入ってきた女性にコワリョフが気を取られた隙に、鼻はいなくなる。
(※ここで流れる聖歌は、不思議な雰囲気を漂わせる曲。ア~、ア~というヴォカリーズの合唱にソプラノとテノールのソロが重なるのだが、なんだか怖くなってくるような音楽だ。また、コワリョフと鼻とのシュールなやり取りは、原作の中でも最も面白い場面の一つである。「すべて明白と思われるのですがね。もしお望みなら、言いましょうか。つまり、あなたはね、その、私の・・鼻なわけですよ」「それは誤解です。私は私自身です。服装からお見受けしたところ、あなたは元老院か司法関係の方。私は、文教関係です」。)
●第5場
新聞社。コワリョフが入室して、自分の鼻を捜し出すための広告を出してほしいと申し出る。しかし担当者は、やれやれ、といった様子でまともに取り合わない。その後、コワリョフがハンカチを取って顔を見せると、ようやく納得。しかし広告係は、「あなたの事例については、広告を出すよりも、何か文章にした方がお金になりますよ」と答える。怒ったコワリョフは退室。その後、広告依頼に来ていた人々が思い思いに自分の広告文を読み上げる『八重唱』となる。
(※第5場に入る前に前奏曲があって、警視総監の邸にやって来たコワリョフが、「総監殿はお出かけです」と門番に告げられる場面がある。このあたりは、原作どおりの流れだ。新聞社を訪れ、尋ね人ならぬ「尋ね鼻」の広告を出してもらおうというコワリョフの思いつきは空振りに終わるが、音楽的には、失意の彼が去った後に始まる『八重唱』がやはり有名で、且つ面白いものである。八重唱といっても歌うわけではなく、自分の文章を読み上げる各ヴォーカリストの声が断片的に出てきたり引っ込んだりするパターンを交互に繰り返すユニークなもの。)
●第6場
コワリョフの絶望感を表現する間奏曲に続いて、舞台は彼の自宅。召使のイワンが、バラライカを弾きながら恋唄を歌っている。そこへコワリョフが帰宅し、あらためて鏡を見ながら身の不幸を嘆く。
(※召使イワンの『恋唄』は、このオペラだけのオリジナル。原作での彼は、「ソファに仰向けに寝そべりながら天井目がけてつばを吐き、かなり見事に一箇所に命中させていた」のだった。w )
―この続き、後半部分の展開については、次回・・。
今回参照している演奏はG・ロジェストヴェンスキーの指揮による1975年6月のモスクワ録音だが、私が今持っているヴェネツィア盤CDには歌詞対訳が付いていない。あるのは、トラック番号の振り分け一覧のみである。このオペラについては随分前、ポクロフスキー(でよかったと思う)の演出による舞台映像を鑑賞したこともあったのだが、その時のヴィデオ・テープも古くなったのでとっくに処分してしまった。そこで今回の記事は、楽曲解説の本と、日本語に翻訳されたゴーゴリの原作を見ながら書くことにした。
―歌劇<鼻>のあらすじ
●第1場
床屋イワン・ヤーコヴレヴィチの住居。朝の食事風景。妻が焼いたパンの中から人間の鼻が見つかり、床屋はぎょっとする。妻が、ヒステリックに彼をののしる。「人様の鼻まで剃り落として、このろくでなし!そんな物、どこかに捨ててきてよ」。彼は鼻を布に包み、外に出かける。
(※このオペラは、序曲からいきなり強烈。打楽器とトランペットがギャロップのリズムを強調しつつ、素っ頓狂な音楽を鳴らして開幕を告げる。舞台ではその序曲の間、床屋のイワンが八等官コワリョフのひげを剃っている場面が描かれる。ゴーゴリの原作にそれはなく、直接床屋の食事風景から話が始まる。)
●第2場
イワンは包んで持ってきた鼻をネヴァ河に捨てるが、そこを警察分署長に見とがめられる。
(※ここに登場する警察分署長の声は、聴いていて滑稽なほどに甲高いテノール。作曲者自身の言によると、「警察官が話す時は、いつも怒鳴る。これは彼らの習性」だそうである。イメージ的には、<ヴォツェック>に出て来る大尉の声が近い。ヴォツェックにひげを剃らせながら、「モラール!モラール」と叫ぶあの変な人物の声だ。なお、ゴーゴリの原作を読むと、「この後どうなったのかは霧に包まれて不明」といった感じで、警官と床屋のやり取りも、捨てられた鼻のことも、何一つ語られないまま第1章が終わってしまう。)
●第3場
八等官コワリョフの部屋。目を覚まして鏡を見た彼は、びっくり仰天。彼の顔から鼻がなくなっていたのだ。
(※打楽器だけで演奏される鮮烈な間奏曲に続いて、八等官コワリョフの登場シーン。すっとぼけたトロンボーンのグリッサンドが“あくび”を表現し、ヴァイオリンのソロが“のび”を巧みに表現。鼻がなくなってパニック状態に陥った彼が警視総監の邸へ出向く場面も、シロフォン、トランペット、弦楽、各種金管を駆使したけたたましい音楽が鳴り響く。このユーモラスなスピード感は見事。若きショスタコーヴィチの才気炸裂、といった感じである。)
●第4場
カザン大寺院の聖堂内。数人の男女が祈りを捧げている。そこに五等官の姿をした鼻がいて、ひざまずいて祈っている。顔の真ん中をハンカチで隠したコワリョフが現われ、鼻を発見。両者の対話が始まる。その後、聖堂に入ってきた女性にコワリョフが気を取られた隙に、鼻はいなくなる。
(※ここで流れる聖歌は、不思議な雰囲気を漂わせる曲。ア~、ア~というヴォカリーズの合唱にソプラノとテノールのソロが重なるのだが、なんだか怖くなってくるような音楽だ。また、コワリョフと鼻とのシュールなやり取りは、原作の中でも最も面白い場面の一つである。「すべて明白と思われるのですがね。もしお望みなら、言いましょうか。つまり、あなたはね、その、私の・・鼻なわけですよ」「それは誤解です。私は私自身です。服装からお見受けしたところ、あなたは元老院か司法関係の方。私は、文教関係です」。)
●第5場
新聞社。コワリョフが入室して、自分の鼻を捜し出すための広告を出してほしいと申し出る。しかし担当者は、やれやれ、といった様子でまともに取り合わない。その後、コワリョフがハンカチを取って顔を見せると、ようやく納得。しかし広告係は、「あなたの事例については、広告を出すよりも、何か文章にした方がお金になりますよ」と答える。怒ったコワリョフは退室。その後、広告依頼に来ていた人々が思い思いに自分の広告文を読み上げる『八重唱』となる。
(※第5場に入る前に前奏曲があって、警視総監の邸にやって来たコワリョフが、「総監殿はお出かけです」と門番に告げられる場面がある。このあたりは、原作どおりの流れだ。新聞社を訪れ、尋ね人ならぬ「尋ね鼻」の広告を出してもらおうというコワリョフの思いつきは空振りに終わるが、音楽的には、失意の彼が去った後に始まる『八重唱』がやはり有名で、且つ面白いものである。八重唱といっても歌うわけではなく、自分の文章を読み上げる各ヴォーカリストの声が断片的に出てきたり引っ込んだりするパターンを交互に繰り返すユニークなもの。)
●第6場
コワリョフの絶望感を表現する間奏曲に続いて、舞台は彼の自宅。召使のイワンが、バラライカを弾きながら恋唄を歌っている。そこへコワリョフが帰宅し、あらためて鏡を見ながら身の不幸を嘆く。
(※召使イワンの『恋唄』は、このオペラだけのオリジナル。原作での彼は、「ソファに仰向けに寝そべりながら天井目がけてつばを吐き、かなり見事に一箇所に命中させていた」のだった。w )
―この続き、後半部分の展開については、次回・・。