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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

歌劇<三王の恋>

2006年02月22日 | 作品を語る
前回まで語った歌劇<イスの王様>からの連想で、今回は、イタロ・モンテメッツィ(1875~1952)の歌劇<三王の恋>を採り上げてみたい。このオペラはヴェリズモ風のおどろおどろしい響きを基本にしつつも、そこにワグナー的な半音階や印象派的な音響をも取り込んで、非常に重厚で壮麗な音楽が鳴り渡る作品である。言わば、“イタリア・オペラの壮麗なる夕映えの姿”を示しているような傑作だ。ただし、その濃厚な音楽に比してストーリーの方はかなりシンプルなもので、全曲の演奏時間も約1時間40分ほどである。

―歌劇<三王の恋>の人物素描

北イタリアのアルトゥーラ国を征服したアルキバルドは、今や高齢となり、視力も失っている。しかし、盲目であることを補うように、他の感覚が極めて鋭敏になっている。彼が王位を譲った最愛の息子であるマンフレードは、いつ終わるとも知れぬ反徒たちとの戦いに、ほとんど休む間もなく出掛けている。

そのマンフレードの妻であるフィオーラは、アルトゥーラ国から征服王への和平の証(あかし)として差し出された女性である。(※<イスの王様>に出てきたマルガレードと、よく似た境遇。)彼女はもともと、アルトゥーラ国の王子であったアヴィートと愛し合っていたのだが、アルキバルドの征服によってその仲を引き裂かれ、心ならずもマンフレードの妻になっている。そんな事情があるので、好きでもない夫の留守中に、彼女はアヴィートとの密会をずっと続けているわけである。

老王アルキバルドにはフラミニオという護衛がいるが、この男も実はアルトゥーラ国の人間で、祖国のために働きたいと内心では思っている。だから、面と向かって老王に刃向かったりはしないものの、自分たちの王子であったアヴィートを助ける方向で陰ながら活躍する。

―歌劇<三王の恋>のあらすじ

〔 第1幕 〕 アルキバルドの城の大広間。夜。

アルキバルドと、護衛のフラミニオ。息子が今日こそは戦から帰って来るんじゃないかと、眠れない老王は城の広間に出て待っている。しかし、その気配はなさそうだと感じると、彼はまた部屋に戻ることにする。入れ替わりにフィオーラとアヴィートが登場。アルキバルドの部屋に通じるドアが閉まっていることを確かめてから、二人はお互いの想いを語り合う。

しかし突然、アルキバルドがフィオーラを呼びながら出て来る。アヴィートは、素早く姿を消す。アルキバルドはフィオーラに、「今、お前は誰と話しておったのだ」と詰問するが、彼女は、「独り言ですわ」と知らぬふりをする。しかし、盲目の老人はその鋭敏な感覚で、何かを察知している。問い詰められて冷や汗状態のフィオーラだが、そこへフラミニオが知らせを持ってやって来る。「マンフレード様が、お帰りです」。

〔 第2幕 〕

妻が一向に心を開いてくれないことに悩むマンフレード。彼は次の戦にまた、出かけて行かなくてはならない。「せめてもの慰めに、城壁からヴェールを振って見送ってくれ」とマンフレードはフィオーラに切々と訴える。心動かされた彼女は、きっとそうすると約束する。その後フィオーラが一人になると、アヴィートが再び彼女のもとに現れる。「この人とはもう、終わりにしよう」と一度は考えたフィオーラだったが、もともと愛し合っていた相手からの情熱的な愛のアタックに、彼女が抵抗しきれるはずはなかった。二人の熱い愛の歌。

しかし、そこへまた、アルキバルドがやって来る。フラミニオの無言の指示を見てアヴィートは黙って姿を消すが、その気配からはっきりと、息子の妻が不貞をはたらいていることを確信した老王は、厳しく彼女に詰め寄る。どうしても口を割ろうとしないフィオーラの態度に逆上したアルキバルドはついに、彼女の首に手をかけて締め殺してしまう。その後マンフレードがいったん城に戻ってくるが、そこで、「フィオーラは、わしが殺した。他の男と密通しておったのだ」と、老王は息子に伝える。激しい衝撃と絶望感に襲われるマンフレード。

〔 第3幕 〕

フィオーラの死を嘆く合唱が響く。遺体安置所に傷心のアヴィートがやって来て、彼女の亡骸(なきがら)に接吻する。すると突然彼は苦しみだして、その場にうずくまってしまう。そこにマンフレードが現れ、「父上がフィオーラの密通相手を突き止めるために、その遺体の唇に毒を塗っておいたのだ」と、死にゆくアヴィートに伝える。しかしマンフレードは、妻と愛し合っていたというこの男にとどめを刺すことまでは出来なかった。

ほどなくして、そこへアルキバルドがやって来る。成果あり、と老王は、「ついにつかまえたぞ!この盗人め」と瀕死の男を引っつかむが、そこで彼が耳にしたのは最愛の息子の臨終のうめき声だった。「ち・・違います、父上」。深い絶望の底にあったマンフレードは、アヴィートの死後、自ら進んでフィオーラの唇に接吻していたのである。全曲を締めくくるのは、愕然とする老人の悲痛な叫び。「マンフレード!マンフレード!ではお前までが、わしとともに救いもなく闇の中におるというのか」。

―歌劇<三王の恋>の全曲録音

イタリア・オペラの壮麗なる残照とでも言うべきこの名作には、ネット通販のカタログ上で現在数種類の全曲盤が見つかる。私が持っているのは、ネッロ・サンティの指揮による1976年のRCA・スタジオ録音盤。これが一般的には、お勧めの名盤ではないかと思う。

サンティ盤に出演している歌手達の中ではまず、老王アルキバルドを歌うチェーザレ・シエピ(B)が見事だ。声の点で言えば盛りをとっくに過ぎていて、第1幕のアリアなどではさすがに高音が細くなる。しかし、第2幕後半、フィオーラを締め殺して息子にそれを伝えるあたりの展開はもう、迫力と貫禄の名唱である。それともう一人、アヴィート役のプラシド・ドミンゴ(T)も素晴らしい。この当時がまさに、声の全盛期。ヴェリズモの轟然たる響きを引き継いだこのオペラのサウンドに、その暑苦しい(?)声がとてもよく似合う(笑)。指揮者のサンティも、見事な棒を披露。普段はオペラと疎遠なイギリスのコンサート・オーケストラから、実に豊麗なイタリア・オペラの音を引き出している。ちなみに、ここでのオーケストラはロンドン交響楽団である。録音も優秀。ただ、マンフレード役のパブロ・エルヴィーラ(Bar)とフィオーラ役のアンナ・モッフォ(S)の二人については、残念ながら、不満が感じられた。

―歌劇<三王の恋>という邦題について

最後に、このオペラの日本語タイトルに対するちょっとした引っ掛かりについて、一点だけ。1913年に初演されたというモンテメッツィの代表的歌劇 L’Amore dei Tre Re が、いつ頃日本に紹介され、そして<三王の恋>という邦題が付けられたのかは詳(つまび)らかでないのだが、当作品のタイトルはむしろ<三王の愛>と訳した方が、今の日本語の語感としてはもっと相応しいんじゃないかという気がしている。昔ならともかく、現代の日本語でいう「恋」というのは、ちょっとニュアンスが違ってきているように思えるからである。
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歌劇<イスの王様>(2)

2006年02月18日 | 作品を語る
皆様、再びこんにちは。イスの国の王女マルガレードです。臨時ニュースが入ってちょっと中断しちゃったけど、この間からの続きね。歌劇<イスの王様>のクライマックス、第3幕に入るわ。その第1場は、イスの王宮の回廊ってことで、よろしくっ。

開幕早々からいきなり賑々しい音楽が聞こえてくるのは第1幕と同じなんだけど、今度のは、あたしの妹ローゼンの結婚を祝う合唱なのよね。お相手?そりゃ、ミリオ様よ!あぁ、悔しいっ。(\ _ /;)ブルターニュ風の曲っていうことで、どこか軽妙な感じの、ピッポコ、ピッポコした音楽が聴けるわよ。初めて聴いたら、ちょっと笑っちゃう人が出て来るかも。でも、楽しい結婚祝いの歌。ミリオ様まですっかりその曲にハマっちゃって、おんなじノリで喜びを歌い出すんだけど、途中から魅惑的なメロディが出てきて、ローゼンと結ばれる心からの幸せを歌うのよね。はぁ~っ。(/ _ \)

その婚礼の行列が礼拝堂に向かった後が、ヒロインであるあたしの出番よ。お待たせしました。寂しい気持ちでいるあたしのところへ、あのおぞましいカルナックがやって来るの。で、「おい、約束を実行しろ!水門まで案内せい」って、あたしに迫るのよ。ホント、しつこい男!勿論、あたしは拒否したわ。守護聖人サン・コランタン様にも、ひどく叱られちゃったしね。だから、アイツに言ってやったの。「私、そんな大罪を犯したくありませんから」って。そしたらアイツ、「お前の好きな男は、今別の女の前で頭(こうべ)を垂れているぞ。幸せそのものって様子だぜ」なんて言って、あたしの心をかきむしるの。それも執拗に。でね、その悪魔の言葉に嫉妬心を煽られて、あたし、ついに一線を越えちゃったの。このおぞましい男に、水門の場所を教えちゃった・・。やっぱり、これってまずかったかしら・・・。(- _ -;)

続いて、何も知らずに幸せなミリオ様とローゼンの、「愛の二重唱」が始まるわ。美しい曲よ、くやしいけど。で、そのミリオ様と入れ替わりに、お父様がローゼンのところに来てつぶやくの。「わしのもう一人の娘が心配だ」って。ローゼンもそれに同調して歌い出すんだけど、ここで聴かれる木管と弦のメロディが、ちょっとビゼー風な感じで素敵。でもやがて、イスの町が大変なことになっているって騒ぎが伝わってくるの。あたし、いても立ってもいられなくなって、お父様たちの前に出て、「みんな、逃げて」って叫んだわ。するとそこへ、ミリオ様が駆けつけて来て言うの。「あのカルナックめが、水門を開けたんだ。しかし、あいつは今、私が殺してきた」って。音楽も緊迫感を煽るわよ、ここ。

第2場。イスの国で一番高い丘の上。お父様はじめ、生き残ったイスの人々が集まっているところ。「わしが治める町は無くなってしまった。民の半分が、海に呑まれて死んでしまった・・」なんて、お父様がつらそうに叫ぶの。やっぱり、あたし、いけないことしちゃったかしら・・。(- _ -)それからもどんどん水かさが増してきて、あたし達がいる丘にまで迫ってきたわ。そこであたし、決意したのよ。立ち上がって叫んだの。そこからのやり取りが、カッコいいんだから!まあ、読んでみてよ。

マルガレード : 神の意思によって、水が溢れているのです。生け贄が捧げられれば、海は鎮まります。
イスの王 : その生け贄になるべき者は、誰だ?
マルガレード : この私です。
イスの王 : 何と、お前が?一体、何の罪を犯したというのだ?
マルガレード : 私は、あの極悪人の共犯者なのです。この荒れ狂う海は、私がもたらしたのです。
イスの民衆 : 卑劣な女!この女に、死を!死を!

でね、「神様、汚れなき民をお救い下さい。この罪深い魂を、お許し下さい」って叫んで、あたしは海に身を投げるのよ。するとその場所から、聖人サン・コランタン様が再びお出ましになって、海を鎮めるの。そして、人々の「サン・コランタンに栄光を!全能の神に栄光を」という力強い合唱で、全曲の終了というわけ。

どう?このラストの展開。ベッリーニさんちのノルマみたいにカッコよく衝撃の告白をして、プッチーニさんとこのトスカみたいに大見得切って、身を投げる。やっぱり、あたしがこのオペラの主人公!でしょ?ホホホホホ。(^0^)

え?・・・はい・・はい。分かりました。今ブログ主さんがね、付け加えておけって言うから、最後にこのオペラの全曲CDのお話をちょっとだけね。ブログ主さんが聴いたのは、アンドレ・クリュイタンスの指揮による1957年のEMI盤。ローゼンの役を歌っているのは、ジャニーヌ・ミショー。当時のフランスの代表的なリリック・ソプラノだった人だけど、今の感覚で聴くと、声も歌もどこかもったりして古めかしい感じね。でも、ローゼンのトロくさいキャラにはよく合っているわ。(^w^)お相手となるミリオ様の役は、リリック・テナーのアンリ・ルゲー。同じクリュイタンスが指揮したビゼーの歌劇<真珠採り>全曲(EMI)でのナディールが、思いがけない名唱だったわね。あと、モントゥー先生が指揮したマスネの歌劇<マノン>全曲(EMI)でのデ・グリュウ役もこのルゲーさんだったけど、そちらもなかなかの出来だったわ。

で、このあたし、マルガレード役を歌っているのはリタ・ゴール。往年の名メゾよ。ここでも、立派。あたしがこのオペラの事実上の主役であることを、しっかりと実証して下さっているわ。この人の他の録音では、ジョルジュ・プレートルの指揮によるサン=サーンスの歌劇<サムソンとデリラ>全曲(EMI)でのデリラ役が多分、最高ね。指揮者も燃えているし。特に「バッカナール」が凄い演奏よね、あれ。あと、ブログ主さんはまだ聴けていないらしいんだけど、クナッパーツブッシュの《ニーベルングの指環》1958年バイロイト・ライヴに、このゴールさんも参加しているみたい。ヴォータンの妻フリッカの役ですって。う~ん、似合いそう!これを聴いた人の言葉によると、この録音で聴けるゴールさんの歌はとてもいいものだそうよ。(※ブログ主さんは、クナ先生の’56年と’57年の《指環》セットは持っているらしいんだけど、「’58年盤は、どうするかなあ」ですって。)

あら、もう枠がいっぱい。じゃ最後に、次回予告ね。歌劇<イスの王様>は、タイトル役の王様がむしろ脇役だったんだけど、次回は逆に、存在感ありまくりの王様が主役になっているシリアスなオペラのご紹介。でね、そのオペラには、あたしとはまた違った形で、意に沿わない政治的な結婚の犠牲になった女性が出て来るの。じゃ、あたしはこれで・・。

何よ、あたし忙しいのよ!これから神様のお裁きを受けに行かなきゃならないんだから。次回からまた、いつものブログ主さんがいつもの調子で書きますけど、よろしくね。では皆様、ごきげんよう!
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歌劇<イスの王様>(1)

2006年02月06日 | 作品を語る
皆様、こんにちは。今回の作品はいつものブログ主さんに代わりまして、私マルガレードがご案内致します。え?お前は誰だって? オペラのヒロインよ、ヒロイン。知らないの?エドゥアール・ラロ先生の代表作、歌劇<イスの王様>の主人公なのよ!まいったか。エッヘン。(-Λ-)タイトルになっている「イスの王様」は、私の父。つまり私は、国王の娘。それも長女。えらいでしょ。え?あたしがいつ、このオペラの主人公になったのかって?今よ、今。ここのブログ主さんがそうだと認めたんだから、それでいいの!

じゃ、始めるわね。演奏会などで独立して採り上げられることもある有名な序曲に続いて、まず第1幕。イスの国の人々が、開幕早々から賑々しい合唱を始めるわ。あたしの婚約を祝ってね。この合唱は聴き物なんだから。いかにも、あの<スペイン交響曲>でお馴染みのラロ先生らしい色彩感とリズムでね。楽器の使い方に特徴があるわよね、ラロ先生って。でもお話のポイントを先に言っとくけど、これは愛のない結婚。一種の政略結婚みたいなものね。国王である父が、敵国との宥和のためにあたしをダシにしたのよ。カルナックっていう身の毛もよだつような敵国の男と、あたしは結婚させられるところなわけ。だから今思いっ切り、気分が沈んでいるの。分かるでしょ? (;_;)

あたしが心の中で想っている相手は、イスの国の名戦士ミリオ様。リリコ・テノールの声で、優男(やさおとこ)って感じなんだけど、実はとっても強いのよ。でも彼は戦(いくさ)に出征してから消息が途絶えていて、みんなで心配しているところなの。で、あたしにはローゼンという妹がいるんだけど、この子があたしとは対照的に、とってもおしとやかでね。って言うか、鈍いのよ、はっきり言っちゃうけどさ。このローゼンときたら、よりにもよって、あたしのミリオ様と相思相愛!あたしが意に沿わぬ結婚で沈んでいるところへやって来て、何を言うかと思ったら、「お姉さまは、ミリオ様と一緒に行った男性のことを愛していらっしゃるのね」だって。違うって!あたしが好きなのは、ミリオ様その人です!トロいわねぇ。ーー;)

それでさ、あたしが結婚式場へ導かれたあとにミリオ様が登場して、ローゼンと愛のデュエットを始めるのよね。で、すっかり舞い上がったローゼンが式場へやって来て、「ミリオ様が無事にお帰りになったわ、キャッ」なんて言うの。あたし、もう悔しくて、悔しくて。だからイスの人々とお父様が見ている前で、カルナックに、「あたしは、アンタなんかと結婚しないわ」って、思いっきり拒絶してやったわ。勿論、大騒ぎ。カルナックは怒りまくるし、お父様は愕然とするし・・。「この屈辱は、お前たちとの戦争ではらしてやる」って叫ぶカルナックと、それを受けて立つあたしのミリオ様とのやり合いがあって、第1幕終了。どう?あたしがこのオペラの主人公だってこと、分かってきまして?フッフッフ。(-v-) 

続いて、第2幕ね。その第1場は、王宮の広間。ここっていきなり、あたしの聴かせどころ。戦争の開始を告げるトランペットを背景にして、立派なアリアを歌うわよ。内容?勿論、愛しいミリオ様への熱~い想い。でも、彼はローゼンを愛している。だから、歌がだんだんと嫉妬の表現に変わってくるの。あたしの声はメゾ・ソプラノなんだけど、その嫉妬心を歌う後半部分が特にいいわよ~。その後、お父様、つまりイスの王様とローゼン、それにミリオ様が登場してのアンサンブルになるの。三人の会話を隠れて聞いていたら、そこでお父様ったら、「お前が見事勝利を収めて帰って来たら、我が娘ローゼンはお前のものだ」なんて、ミリオ様に言うのよ。で、ローゼンもミリオ様も、「やったーっ」なんて。あたし、もう悔しくて、悔しくて。でね、ミリオ様が出発した後、ローゼンの前に出て、あたし言ってやったの。「ミリオがこのまま、戦いに負けて帰らなければいいのよ」ってね。ここでようやく、あのトロくさい妹が気付くのよ、あたしが心に想っていた相手がミリオ様だってことに。で、珍しく彼女ったら激昂してね、激しいアリアを歌い出すんだけど、やっぱり根っからリリックな子なのね。途中から、「私も、ミリオ様を愛するようになったのです」なんて、優しく哀願するような歌に変わるの。これが男に受けるカワイコ・キャラなのね、きっと。でも、そのカワイコぶりを見てあたし、さらに逆上しちゃってさ、「呪ってやる」って捨てゼリフを吐いて立ち去ったわけよ。どう、やっぱりあたしの方が素敵なキャラでしょ?フッフッフ。(-v-)

第2場も、あたしが主役。でも、ちょっと待って。けたたましく勇壮な前奏が平原に響くところから始まるんだけど、場面はもう戦争終了後。結果は勿論、われらがイスの戦士ミリオ様の勝利!(当然でしょ。)で、イスの国の守護聖人であるサン・コランタン様の礼拝堂へ皆で連れ立って行って、勝利の報告とお祈りをするところなのよ。でね、その一方で、あのカルナックが、しきりにうめいているわけ。「もうお終いだ。敗北だ。畜生」なんて。声ばっかり勇壮なバリトンで、情けない男!あたしさ、あいつのところへ行ったの。何のためにかって?決まってるじゃない。妹に向けた「呪ってやる」っていうあたし自身の言葉を、実行するためによ。

イスの国ってね、海抜よりも低いところにあるの。だから海の水から国土を守るために大きな水門を作ってあるんだけど、その秘密の場所をカルナックに教えてあげちゃおうって考えたのよ。後は分かるでしょ?ホホホホホ。(-w-)でも、その途中で信じられないことが起こるのよねぇ・・・。彫像が動き出すの!ちょっと、あたし、ドン・ジョヴァンニじゃないんですけど。そして、守護聖人サン・コランタン様が本当にお出ましになっちゃうのよ、これが。そんなの、アリ?(@_@;)で、オルガンのジュワァーッって音と、オーケストラ・トゥッティのドッコーンって音を背景にして、あたしたち二人の行動を厳しく諌(いさ)めるのね。さらに天の声なんて合唱が、「悔い改めなさい」なんて歌い出すものだから、あたし本当に怖くなっちゃって、「お許し下さい」って叫んだわ。で、この計画は急遽中止ってことになったわけ。

あら、もう、一回分のページ枠がいっぱいになりそう。これではとても、ラスト・シーンまでのお話は無理ね。じゃ、この続きの第3幕は次回ということで。勿論、あたしが引き続きご案内致しますわ。何よ、決まってるじゃない。あたしがヒロインなのよ、ヒロイン。そこんとこ、忘れないでね。つんっ!(-Λ-)
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歌劇<ハルカ>(2)

2006年02月02日 | 作品を語る
前回の続きである。モニューシュコの歌劇<ハルカ>の後半部分、第3&4幕のあらすじから。

〔第3幕〕

前奏曲に続いて、晩課を告げる教会の鐘の音。村人たちの合唱。「つらい日々が繰り返される。今日のこの日を、頑張って生きていこう」。その後、キビキビとした踊りの音楽が始まる。それがひとしきり盛り上がった後、ハルカとヨンテックが登場。ハルカはまるで、夢遊病者のようになっている。領主ヤヌシュの遊びの種にされた彼女のことを、ヨンテックは人々に語って聞かせる。怒れる農民たちの合唱。

(※第3幕は演奏時間としては短いものの、内容的には注目点が多い。まず、冒頭で聴かれる村人たちの合唱に続く舞曲。これは「山人の踊り」と呼ばれる活気に満ちた音楽だが、これも原典となるヴィルノ版にはなかったらしい。深刻な社会派ドラマの色彩が強かった初稿から、幾度かの改訂を経て、より普遍的な国民歌劇に変化していった当作品の、一つのチェック・ポイントになっているように思える。)

(※もう一つの注目点は、「殿様連中のお遊びは、こういう結果を招く」と、やり場のない怒りを歌う農民たちのコーラス。その最後の部分では、あのヴェルディほどには音楽が“鎧(よろい)武装”してはいないものの、かなり力強い盛り上がりと激しい畳み掛けのアクセントが聞かれる。この部分の響きをどう感じるかについてはそれぞれにあろうかと思うが、一つ、客観的に言えることがある。それは、《「国民歌劇」なるものが国際的にその存在をアピールするためには、西欧的な語法を用いることが非常に大事である》ということだ。ここで言う西欧とはイタリア、フランス、及びドイツを指しているのだが、この点についてはまた別の機会に話を補ってみたいと思う。とりあえず、今回採り上げているモニューシュコについて言えば、彼のもう一つの代表作である歌劇<幽霊屋敷>の、その第4幕第1場で聴かれるハンナのコロラトゥーラ・アリアが極めてイタリア的に書かれているということが指摘出来るだろう。もっと具体的に言うなら、その歌はロッシーニ的な書法で書かれているということである。)

〔第4幕〕

短い前奏曲に続いて、一人佇(たたず)むヨンテックのアリア。「かわいそうなハルカ。彼女はあの不実な主人のことばかり考えている。・・・私は彼女に、何もしてやれない」。その近くで辻音楽師が、領主ヤヌシュの婚礼を祝う明るい曲を奏で始める。やがてハルカが一人、丘を下りてやって来る。それに続いてゾフィアとヤヌシュ、ゾフィアの父ストルニク、ストルニク家の重臣ヂェンバが連れ立って村に現れる。ヂェンバは村人たちに、領主ヤヌシュの婚礼を祝って歌うように命じる。ゾフィアはハルカの存在に気付くが、ヤヌシュは、「いいから早く、教会へ入ろう」と婚約者をせかす。

(※村人たちの、「お二人に、長いお命とお幸せがありますように」という合唱の言葉に重ねて、ヨンテックが「ついでに、良心の呵責もな!」と叫ぶのが印象的だ。一介の農民に出来る精一杯のやり返しなのだ。さらに、それを聞きとがめたヂェンバが、「今、何か言ったのは誰だ」と言うのに対して、村人たちが「誰も、何も言っておりません」と控えめに、しらばっくれて答えるところが面白い。)

やがて、教会からオルガンの響きと、祈りの合唱が聞こえてくる。正気を失ったハルカは教会に火をつけようとするが、気を取り直す。そして、「愛しいヤヌシュ、美しい奥様とお幸せに。でも時々は、私のことを思い出して祈ってください」と歌い、川の激流まで歩を進める。ヨンテックが必死になってそこへ駆けつけるのだが、時すでに遅く、彼女は川に身を投げてしまった。その後教会から出てきた婚礼の一行も、ハルカが溺死したことを知る。しかし、重臣ヂェンバは人々に、「領主様の婚礼を祝って、皆で楽しく歌うのだ」と命令する。人々が歌う(と言うより、歌わされる)お祝いの合唱が始まるところで、全曲の終了。

(※この部分はやはり、ハルカのアリアが聴き物である。「私の子供は飢えで死んでしまう。母親はここにいるのに、父親はあの向こうに・・」と歌い始めて、やがて教会に火をつけようと奮い立つまでが、まず非常に劇的だ。しかし、それ以上に、「火をつけたりしたら、罪もない人たちまで巻き込んでしまう」と正気を取り戻し、「私は死にます。ヤヌシュ、あなたのことを許します」と歌うあたりが、さらに聴く者の胸を打つ。このアリアの後半部分ではハープの音と、教会のオルガンの音が重なって来るのだが、まるでハルカの魂の浄化を描いているかのように聞こえる。最後に全曲を締めくくる音楽では、特にティンパニの激しい連打が印象的だ。)

(※ところで、平岩氏の論文の48ページに、<ハルカ>の原型とも言えそうな詩が一つ、紹介されている。ポーランドの詩人ミツキェヴィチのバラード『金魚』(1820年)というものである。そちらのサイトで実物を御覧いただければ一目瞭然だが、その詩に登場する娘はハルカそのものである。その中で彼女が、「私も仲間に入れて」と呼び掛ける相手、シフィテジャンカというのが、どうもスラヴ伝承に登場するルサルカのことらしい。やはりハルカとルサルカには、浅からぬ因縁があったようだ。)


さて、主人公(または、それに準ずる人物)が最後に水死するというオペラ作品には、今回語ったモニューシュコの歌劇<ハルカ>の他にどんな物があっただろうか。ベルクの<ヴォツェック>、ブリテンの<ピーター・グライムズ>、ディーリアスの<村のロミオとジュリエット>、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>、ヤナーチェクの<カーチャ・カバノヴァー>といった有名作がとりあえず思い浮かぶが、あとワグナーの<さまよえるオランダ人>も一応加えておいていいかも知れない。その流れに乗って次回のトピックでは、上に挙げた有名なオペラ作品以外の物から、「主人公(または、それに準ずる人物)が最後に水死するオペラ」として普段あまり語られることのない、隠れた名作を一つ、ご紹介してみたいと思う。
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歌劇<ハルカ>(1)

2006年01月28日 | 作品を語る
先頃まで続いた《ウンディーネ・シリーズ》の最後に語った作品は、ドヴォルザークの歌劇<ルサルカ>だった。主人公は美しい娘の姿がイメージされるキャラクターだったが、スラヴ民族の伝承によれば、水死した娘の魂がルサルカという名の「水と木の精」になるのだそうである。その肌はいかにも水死体らしく青ざめており、目は緑色をしているという。そこからふと、「ひょっとすると、この主人公はこの後ルサルカに変身するのかな」と思わせるオペラ・キャラが一人、私の脳裏に思い浮かんだのだった。今回のタイトルに掲げた歌劇の主人公、ハルカである。実はつい先日、当オペラについて非常に詳しい調査研究を行なった人の成果発表をネット上で見つけたのだった。

それは平岩理恵さんという方の、《スタニスワフ・モニューシュコの歌劇<ハルカ>に於ける諸版比較研究》という論文である。これは、上っ面の情報ばかりが氾濫するインターネット上では普段見つけることが出来ない種類の、稀有の力作と絶賛されるべきものだ。ポーランド国内でもまだ十分に研究が行なわれているとは言い難い作曲家について、外国人としてのハンディもものかはで、大変な時間と労力、そして情熱をつぎ込んで書き上げておられる。私にはその内容のすべてを理解する能力はないものの、とても興味深く読ませていただいた。

この論文から私が学ばせてもらったことの一つを挙げるなら、歌劇<ハルカ>には、オペラ作品としての姿や意義に歴史的な変遷があったという事実である。そのbottom lineに当たる文章をいきなり書いてしまうなら、「封建制度下に起こった一つの悲劇を描いた社会派オペラから、より普遍的な国民歌劇に変貌を遂げた作品」という感じになろうか。一般に、ポーランドの代表的な国民歌劇の一つのように位置づけられている<ハルカ>だが、この作品は必ずしも、書かれた当初からそういう物ではなかったということなのだ。そのあたりをもう少し具体的に言えば、このオペラの楽譜には複数の版が存在するということ。そしてその過程で加えられた補筆修正によって、作品の意義自体が微妙に変化する結果になったということである。(※ただし、平岩氏が述べておられるように、物語の本質的な部分は初稿以来変わっておらず、「改訂によっていくつかの舞曲やアリアが書き加えられた結果、オペラ作品として普遍的なアピール力を獲得していった」と見るのが妥当なようである。)以下、このオペラの話の流れを追ってみたい。

―歌劇<ハルカ>のあらすじ

〔第1幕〕

序曲に続いて、ポロネーズのリズムに乗った力強い合唱が始まる。領主ヤヌシュと、名門ストルニク家の令嬢ゾフィアの婚約を皆で祝っている場面である。そこへ、主人公ハルカの悲しげな歌が聞こえてくる。あの声は誰かしらと、戸惑うゾフィア。ハルカは領主ヤヌシュに騙されて遊ばれ、男女の関係まで持った村娘である。しかし、ここでヤヌシュは、自分は何も知らないといった素振りを見せる。

やがて、ハルカと面会したヤヌシュは、「お前を捨てたりはしないよ。しかし、とりあえず、ここには来ないでくれ」と、体(てい)よく彼女を追い払う。純情なハルカは男の言葉を信じて、その場を去る。その後、マズルカの舞曲が始まって祝宴が大きく盛り上がったところで、第1幕の終了。

(※平岩氏の論文によれば、第1幕を締めくくる壮麗なマズルカ舞曲は、当オペラの初稿であるヴィルノ版【1848年】には元々無かったものだそうだ。後に改定を経て、現今最も多く使用される最終稿・ワルシャワ版【1858年】で普通に使われるようになった訳だが、このあたりが、社会派オペラから国民歌劇に変貌を遂げたこのオペラの、一つのチェックポイントになりそうである。参考までに、同じモニューシュコの作曲によるもう一つの代表的歌劇<幽霊屋敷>では終曲間際15分ぐらいのところから、やはり絢爛たるマズルカ舞曲が出て来て華やかに場を盛り上げる。しかもそちらは、合唱付きの豪華版。)

(※歌劇<ハルカ>は開幕早々からポロネーズのリズムに乗った合唱が聴かれるが、歌劇<幽霊屋敷>もまた、勢いの良い舞曲を背景にした音楽で始まる。やはりこのあたりは、ポーランドらしさを演出する上での“お約束”の展開なのだろう。さらに言えば、国民歌劇的な民族素材の利用法ということになろうか。)

〔第2幕〕

短い前奏曲に続いて、ハルカのアリア。「哀れな孤児(みなしご)の私にも、愛しいヤヌシュがまた戻ってくれば・・」と、けなげに希望を歌う。そこへ、村の青年ヨンテックが登場。あまりにナイーヴ(=世間知らず)な彼女を笑う。しかし、彼は心からハルカのことを思っており、彼女に早く現実に気付いてほしいと願っている。「あの男がまた、君のところに来ると思うのかい?あいつは今、名門のご令嬢と婚約祝いの踊りを楽しんでいる最中なんだぜ」。

いたたまれない気持ちになったハルカは再びストルニクの屋敷に戻り、「中に入れて!私の赤ちゃんの父親が中にいるのよ」と入り口で叫ぶ。何の騒ぎだ、とパーティの客人たちが騒然とする。ハルカを追って一緒に来たヨンテックに向かって、ヤヌシュが言う。「お前がこの娘をうまくおさめてくれたら、あとで褒美をつかわすぞ」。花嫁となる令嬢ゾフィアは、いったい何が起こっているのかと戸惑うばかり。一同の騒然たる合唱で、第2幕が終了。

(※平岩氏の論文には、歌劇<ハルカ>の初稿と最終稿の歌詞対訳が比べやすいように並べられている。ただ、私が今持っているロベルト・サタノフスキの指揮による1986年10月14日のライヴ盤では、その両者の台本を折衷的に使用しているか、またはそれらの間に書かれた別の原稿を使っているようである。ちなみに、このCDの出演者は、B・ザゴルザンカ、W・オフマン、A・ヒオルスキ、他といったメンバーである。それぞれに、声とキャラクターがよく似合った好演を聴かせている。なお、この3人については、当ブログで昨2005年1月5日にシマノフスキの歌劇<ロジェ王>を語った際に、ごく軽くではあるが、言及したことがあった。)

続く後半部分、第3&4幕の内容については次回・・。
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