カワセミ側溝から

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目をそむけたくても避けられない事実   刑吏の社会史

2013-05-11 | 読書

刑吏の社会史/安部謹也著(中公新書)

 副題は「中世ヨーロッパの庶民生活」。刑吏とは、いわゆる処刑人のことを指している。当時の法や宗教観、そうして処刑や拷問を通して国家と庶民の考え方をひも解いていく。読み進むうちにとにかく具合が悪くなってしまった。人間が人間を裁いて、さらに刑罰を用いて拷問したり殺したりする方法がいろいろと紹介されている。サディスティックな性分のある人なら、かなり楽しめる内容になっているだろう。自分の身に降りかかることが無いということを時々確認しながら読み進めなければ、とてもつらい読書体験になってしまいそうだ。
 そういう内容だけれど、もちろん僕らを苦しめるために書かれている訳ではない(だろう)。中世のヨーロッパ(特にドイツだろうな)のことを紹介されているのだが、そのことをもって人間の歴史や本質を知ろうということなのだと思う。人間と社会のつながりや、生活と都市の成り立ち、そうして国家というものが形成される理由のようなものが段々と理解されるという仕組みである。少なくともこの方面のことを知らないまま、現在のわれわれの考え方のもとになっている流れを理解するにはかえって難しいことになりそうだ。名著として名高い本書だが、改めて当然のことだと理解できた。
 ヨーロッパという都市は、戦災をくぐりぬけて古いものがたくさん残っている。さらに、文字としての記録も数多く残されているようだ。また習慣として苗字に先祖の職業の名残を残すものも多いようだ。そういうものの中に、刑吏の存在を細かく読みとることができる。ある意味で素晴らしく、そして残酷にも見える。もちろん人にはそれぞれルーツがあり、好むと好まざるにかかわらず、自分と血のつながりから逃れることはできない。そういう自分に流れている血のようなものに興味を持つ人があり、そして研究をするということが繰り返される。過去の記録はそうして体系化され、また将来に残ることにもなるのだろう。
 神と人との関係や自然観の中で、もともと処刑は偶然とも関係のあるものであったようだ。処刑が上手くいかない場合もあって、生き残るものはその罪からも逃れることができた。しかしながら段々と処刑の技術もあがってゆき、偶然で生きながらえるチャンスも無くなっていく。法の考え方も整備が進み、そうして法は国家の権力と密接に結びついていく。国家や民衆を統治する術として法と処刑の権力を残酷に行使していく。民衆は国家への不満を処刑執行人である刑吏に向けるようになる。人を殺す人間に対する憎悪から、穢れなどの差別意識も芽生えていく。民衆の中にも階級や仲間意識や身分の違いが公然化していく。そういう中で一貫して刑史という職業に就く人間は、忌み嫌われる存在として定着せざるを得ない訳だ。
 ところが拷問や処刑に長ける刑吏には、医療としての技術も持っていることになる。拷問で弱った体を治して、さらに拷問を繰り返すなどをやるのだから、特別な資格を持つ医者よりも、庶民には信頼できる医者という顔をもつものもいたようだ。さらに罪人から拷問費用や処刑費用も取ることができる。自殺者の処理や動物の皮剥ぎの技術でも金銭が手に入る。経費もかかるが金銭的には裕福な地位も獲得していく。知性の高い人間も当然いて、引退後にも普通の地位を獲得して尊敬のもとに亡くなるという道もあったようだ。そのようなエピソードもふんだんにあって、実に興味が尽きることが無い。
 ところが刑史の職業はあっけなく失業の憂き目にあうことになる。ギロチンの発明だ。処刑に特別な技術を要しなくなる処刑道具の発展によって、その地位というものの特殊性も薄れていくのである。その後社会も変化し、国家と民衆の対峙の仕方も変わることになる。現代社会というものが、あたかも刑史の失業と共に現れるかのようだ。
 読むべき本は世の中にたくさんあるのは間違いないが、本当に意味のある本ということで選ばれる本というものがある。新書で手軽であるが、その意味は非常に重いものがありそうだ。少なくとも人間社会がなんであるのか知りたい人にとって、避けることが難しい本と言えそうだ。
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