カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

トゥモロー・ワールド/アルフォンソ・キュアロン監督

2007-06-18 | 映画
国民性を覆すオタク作品

 この監督は芸術作品と娯楽作品を使い分けて演出するという評判の人である。僕は娯楽作は未見だけど、芸術作といわれているヤツは観たことがある。ずいぶん助平な作風だな、と思ったが、まあ、外国人には良くあることである。しかしながら今回はそういう作風を期待したわけでは断じて違う。町山さんのラジオを聞いていて、この作品の長回しに興味を持ったからである。
 いきなりネタばれで申し訳ないが、この長回しのオタク振りには本当に呆れて感心した。よくもまあこんなに凝った作品をつくったものだ。最近のハリウッド作品では考えられない気の遣い方である。撮影の準備のことを考えると、ものすごく大変だったことだろう。計画どおりに撮影されたものかどうかは知らないが、もし考えたとおりだとしたら、神がかり的である。DVDで観たので後で再度見直したが、なんど観てもすごいと感嘆してしまった。特にラスト前の戦闘に巻き込まれるシーンなどは、血糊のようなものが画面に付いたまま撮影が続行している。血糊のような影は階段を登るあたりで消えるが、ここの場面だってつないでいることがよく分からない。ひょっとすると画像処理をしたものだろうか。素人の僕にはとてもどうやって撮影したものか分からなかった。想像してもトリックが分からないという意味では、一種の手品のような技法なのであろう。
 もちろんこういう演出をするのには訳がある。多くの人が解説しているだろうことだけれど、こういう戦場を映画を観ている人に参加体験させたかったからである。ハリウッド的なリアリティで観客を戦場に連れ出したのは最近では「プライベート・ライアン」があるだろうが、いわゆるハリウッド的でない手法なら、この人の長回しということになるのだろう。スピルバーグは天才だが、この人も呆れたオタクである。戦争で人が死んでいく乾いたリアリティが、同じ時間を共有しながらじわじわしみこんでいくような緊張感であった。余分な説明が少ないので、いま自分がどのような状況におかれているものなのかよく分からなくはなるけれど、戦時中の人間に自分の置かれている状況が分かるはずが無い。実に緻密に計算され、神経質に行動したに違いない。いや、そうして思い切った大胆さも同時に発揮されているのだろう。撮影スタッフもさることながら、出演しているエキストラまですべて、ものすごい緊張に包まれたのではないだろうか。
 撮影ばかり褒めているが、まあお話としては僕には結局良く分からないのであった。子供が生まれなくなっても、世の中はそんなに暗くなるものなのか、さっぱり見当がつかない。未来は平和じゃなくなるということが、物語としてはあってもいいけれど、つまるところあんまり期待していないのだろう。僕の楽観主義は、本物らしいリアリティでは崩せないものだとよく分かった。
 それにしてもそういうことも抜きにして、よくこんな映画を撮ったものである。メキシコ人はいい加減な人ばかりだと思っていたので、認識を改めなければならない。国民性でみんながぐうたらだとか、みんなが生真面目にはならないということの証明であろう。ものすごくいい加減なお国柄のところからこういう几帳面な作品を作る人が生まれるということが、なにより地球の面白いところなのかもしれない。
 またこの作品が世に出たことで、世界のオタクが真似したくてたまらなくなるだろう。できるだけ退屈にならないようにお願いしたいものである。

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