昆虫はすごい/丸山宗利著(光文社新書)
書名が内容を示している。どのように凄いのかは読んでもらうのが早い。何しろ凄いわけで、目からうろこが何度も落ちる。世の中には知らないことがたくさんあるわけだが、こと昆虫に関しては、いろいろわかっていても、さらに不思議なことがたくさんある。昆虫が何かを考えてこのような不思議な世界を形成したという事では無くて、広く地球という環境にあって、そうして途方もない長い年月の中で、生命というのは実に不思議な世界を作り出したという事になる。僕は無信心だけれど、昆虫にまなざしを向けると、何かとてつもなく神秘的な何かを感じないではない。それは神の意志であるというより、単なる偶然だけでなされたものでは無いように思うからだろう。進化の歴史というものは、だから人々を魅了し、そうして混乱されながらも、様々なことを考えさせてくれるのだろうと思う。
昆虫を嫌いだという人はそれなりに居ることだろう。これを読んで好きになるという事ではなかろうが、むやみに嫌っても、いたるところに虫はいる。虫は人間の都合で存在しているわけではない。しかしながら、人間の環境下では生きられないものも少なくない。我々の身近に存在している虫は、実はあんがい少数派の虫の一部なのかもしれない。人間の生きている作られた環境は、虫の居心地の良さを壊す。この事に人間は大変に無頓着だ。「虫けら」という言葉があるが、たくさんいるだろう虫のことを、どこかバカにしているに違いない。虫自体は自分が偉いとも卑下することも無い訳だが、多くの種が絶滅させられているにもかかわらず、けなげに様々な環境下で多様に生きながらえている。自然があるから生きながらえて、そうして生命のバトンタッチをする。他の生命も同じようにその繰り返しのサイクルの中にいるが、最も多様にその生命をつなげているのは、ほかならぬ昆虫という事になるだろう。確かに人間と相性の悪い虫も多いが、そういうものも含めて、昆虫たちを知ることは、おそらく人間の生き方にも参考になるかもしれない。まさに人間ドラマのように、その生態そのものが、何かドラマめいている。さらにやはり人間には関係なく、人間に気づかれていないドラマがたくさん眠っていることだろう。実は人間に発見されていない虫というのはまだまだゴマンといるらしい。そう簡単にわかりえるものでは無いようだ。そうしてその不思議さは、今後も分かりえないまま埋もれているのかもしれない。
また、虫のことを考えると、日本人というものもちょっと考えてしまう。日本という国にも多様な虫がいる。結構虫を嫌っている人もいるんだろうけれど、しかし比較的虫に対して寛容な国でもあるらしい。虫は様々な環境や、局所で独自の進化を遂げている。何もかも虫のことを擬人化して考えることは危険だけれど、しかし日本という島国で、虫を追っている子供がいる原風景がふつうである国家というのは、やはり少し特殊なのかもしれない。そうして虫の声を楽しむという文化もある。もちろん虫と同様多様な人がいるので、そういうものをひっくるめて日本人論をぶつことは的外れなんだろうけれど、日本人というものが虫同様に多様性の一つとしたらどうなのだろう。我々の事は、虫たちが生きていくことと何が違うのだろうか。人間は必ずしも自然の意志で行動しているわけではないのだけれど、やはり共存しなければ豊かに生きることは出来ないのではないか。そんなことを虫を見ながら考えてみる。それはたぶん有意義な時間に違いないのではなかろうか。