ピザを食べる楽しさのひとつは、仲間とシェアしあうことかもしれない。少なくとも僕はそうだ。数人いれば出来るだけ違うピザを注文し、いろいろ分けて食べる。いろいろトッピングを増やして食うという方法もありだけど、基本的に一番の好みを多く食べたいというのはあるけれど、だいたいそういう感じで食べている人は多いのではないか。
ところでテレビを見ていたらイタリア人がピザのことを話していて、本場のイタリアでピザをシェアすることはありえないと紹介していた。何故かは無い、イタリアのピザとはそういうものだ、ということだった。そういう彼も日本だとシェアしあうのだそうで、これはこれでいいとも思うようだが、しかしイタリアに帰るとピザはシェアできないのだろう。
ちなみにイタリア人はピザをナイフとフォークで食うらしい。美味しいビザの伝来は歓迎するけれど、そういう風習や文化は根付きにくいものなのかもしれない。
日本が食べ物をシェアして食べるのは、鍋文化や大皿文化の転用だと思うが、居酒屋のようなところで小皿を取り合っても、いろいろ箸をつけていいというのは独特なようである。皆好きなものを注文して、しかし支払いは割り勘。こういうことに不公平を感じるのも諸外国人にはあるらしい。アジア系は共感があるだろうけど。
前にも書いたが、以前居酒屋に入って、さあ何を注文しようか、といったら、若い人がいきなりカツ丼を頼んでびっくりしたことがあるが、今やこれは普通らしい。もう僕もびっくりしないかもしれない。そうするとシェア文化というのは老人性のものがあるということも言えそうで、あるいは廃れる可能性があるかもしれない。日本の伝統といえば大げさだが、核家族問題が背景にあるのだろうし、こういうことでも習慣というのは簡単に変化するものなのだろう。