事実として明白なものでもあんまり理解されなかったり変化しないものは多い。まあ、世の中はそういうものの総体を指すわけだが…。
そういうものの代表的なものにバントがあると思う。
統計的にみて明らかな差異が認められる事象として、バントをしなければ得点力は格段に上がる。考えてみると当然のことで、一応野球は9回まで各チーム27回までアウトをしていい。区切りはあるものの、ひとつのアウトを減らすことが出来ればそれだけチャンスが多くなる。27個アウトを奪われなければ、試合に負けないばかりか終了もしない。バントは相手がエラーする場合もあるけれど、基本的にひとつアウトを相手に献上する戦法だ。結果的に攻撃がそれだけ不利になったという見方ができるし、相手を助けているという見方も出来るわけだ。
しかしながら当然だけれど、バントが戦術的に有利に思われる要素は多い。四つのベースを一周したら一点加点できるというルールだから、順番に塁を進めなければならない。そういうこともあって、セカンドベース以上に進塁することで、いわゆる得点圏に入るという感覚がある。一塁だと、長打や連打が生まれない限り得点につながらない。だからセカンドベース以上にランナーを進塁させていることで、得点力が上がっている状態という感覚が定着しているものと考えられる。
そういうわけでランナーを2塁以上に進める状態になって初めて得点のチャンスが到来している状態、と事実上定義しているものと考えられる。それはそれで確かに納得できるようにも思えはするが、しかしながら、やはりよく考えると少しおかしい。何故ならば、野球にはやはり長打というものがあるからだろうと思われる。つまりランナーが無くても、長打力のあるバッターが打席に立てば、これは既に得点のチャンスである。ランナーの無い気楽な状態ということもあって、十分に長打を狙っても良さそうだ。それでかえって大振りになってチャンスを失うというようなことはあろうが、要するにランナー2塁が得点チャンスであるという定義自体が、なんとなく怪しいのではないか。
イチローがマリナーズ時代に記録的に大勝したシーズンがあった。イチローの出塁が高いことと、ランナーが一塁にいる状態が多かったので、ピッチャーが打者に集中できないで大量失点につながったのだというデータが残った。要するにイチローが一塁にいるときに長打が生まれる確率があがったのだ。2塁や3塁でもランナーは気になるものだろうけれど、1塁ランナーの存在というのは、それなりにピッチャーには嫌なものなのではなかろうか。ましてや足の速いランナーがいつも2塁を狙っている。落ち着いて打者に投球するなんて至難の業だ。
さらにこれは野球好きなら誰でも知っていることだが、野球は2アウトから、ということわざめいた言葉がある。スリーアウトを取られなければ、まだ終わりではない、という解釈が一般的だが、よく考えると、絶対にバントをしない状態であることも分かるだろう。打つしかない状態に置かれているのが、結局は有利に働いて得点につながるケースが多くなっているとも考えられる。もちろん心理的にも開き直るということもあるし、守備側も後ひとつアウトをとりさえすれば良いという油断というか安堵というか、そういうことも絡むのであろうが。
野球は間合いの多いスポーツだし、ほぼ投手の力量でゲームの組み立てが決まるということもあるので、そのような心理的な影響を受けやすいとも言われている。そのために得点圏にランナーを置いてプレッシャーをかけることが有効だということは散々言われていることだ。それは確かに野球でプレーしている人間にも指導者にも実感の伴うことなのであろう。しかしだからこそバント重視の間違った選択を繰り返しているとも考えられる。さらにやはり打力の弱いチームにおいては、犠打を有効に使ってチャンスを生かす以外に活路を見出せない、という考えもあるのだろう。チームプレイや連携を重視するという考え方とも、バント戦法は相性がいいということもある。プロならともかく、野球という教育の場として指導している場合もあるので、バントをなくす戦略を捨てづらいということもありそうである。
まあ実際には複雑な要素があり、単純には得点は取れないという考えに落ち着く場合が多いのかもしれない。しかしそれでもバントの数が減ると得点力があがる相関関係には、揺るぎは無いという。実際に現場は反対するがデータを重視してバントを捨てるチームもそれなりにいる。多くの場合実力以上に上位進出を果たす結果になっているという。まさにそれこそ戦略的な実力が高いといえよう。メジャーのようにあんまりバントをしなくなったら比較しようがないが、小中高校くらいの力量であれば、バントをしないチームの方がデータ的に明らかに得点力に差が見られるらしい。要は知っている人間が実行に移すか否かの問題なのであろう。