カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

リスクの大きい方を選ぶのは

2013-12-29 | 境界線

 会議の好きな人なんて少数派だと思うが、中には好きそうな人というのが居そうな感じはある。なんだか会議で張り切っているというか、元気が良さそうに見える。他人の趣味にとやかく言うようなつもりもないのだけれど、これが何となく迷惑な感じもすることがある。もちろん会議になると苦虫をかみつぶしたような顔をしているような人だって十分嫌だけれど、まあ、そういう会だから仕方が無いという感じもあるので、それはそれでいい。それより前向きな意見を言おうとかまえているというか、おいらやれちゃうよ、というような空気が伝播してくることに気遅れを感じるのであろう。
 僕は基本的にネガティブなところがあるから、いちおう最悪はどんな感じかな、というようなことからスタートしてまあ、だいたい行けそうだなというラインを探ることが多いようなんだけど、あんまり前向きすぎる意見を聞くと、このラインが微妙に乱されるような感覚に襲われる。というか、良い方からマイナスに戻ることを悪の様にいう人がいて、それはちょっともう少し根拠を積み上げてからにして欲しい、と思うのかもしれない。具体例があるともっと分かりやすいとは思うが、ガンガンやりましょう、ここは勝負ですよ、頑張ればやれるはずです、などとオンパレードする人があって、非常に意見をいいづらくなるのである。
 だいたいポジティブな発言というのはちょっとカッコいいところがあって、言ってる本人もそれに酔うということがあるんじゃなかろうかと思う。また、そういうことを一度聞いてしまうと、そうだ!と賛同する方が、やはりカッコいい。いや、でも、なんて言うと、非難の目を向けられかねない。臆病者としてこそこそしなければならないような圧力を感じることもある。そうしてたいていの場合、けっこう危険なことがすんなり通ったりしてみんなも驚いてしまう。会議と言うのはあんがい恐ろしい。たぶん、日本の戦争はそんな感じで突き進んだんだろうね。
 実際に、多少能力の高い集団になると、リスクの高い決定をするようになるというデータもあるらしい。まったく何にも新しいものはやらないというような会議がある半面、リスクの面では大人数の方が危険度があがる場合もある訳だ。
 危険な物事を決める時は、出来るだけ少人数で屈託なく案を練ってから臨んだ方が良いというのは、一般の感覚からすると逆かもしれない。しかし事実はそんなものなのではなかろうか。多くの人が参加していたからこそ変な決議が容易になる。一人ではどうにもならないという言い訳するより、覚えておいた方がいいと思います。
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