カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

がんばれ、毎日新聞。それと沖縄も

2015-07-02 | 時事

 作家の百田尚樹が、沖縄の新聞二誌を「つぶれたらいい」と言った、というニュースが話題になった。まあ、けしからんという話もあるし、品のあるお話ではないが、この人がそのようなことを言いそうなことは普通に考えて当たり前であるし、何しろリップサービスで発言していることは明らかだから(そう言って欲しい人たちに向けたお話だから)、それを執拗に狙って記事にした毎日新聞という新聞社が、人間的には下劣に過ぎない話である。お年寄りにあと100年生きますよと言って、嘘をついてけしからん、と糾弾しているようなものである。しかし、これを受けて沖縄の新聞社が個人に圧力をかけて言論を封じようとする憲法違反までしてしまった。つける薬が無いという感じである。
 実は僕は沖縄に行くたびに、この現地の新聞を極力おみやげに買うようにしている。なぜそうするかというのは単純で、皆がこの新聞を見るとそれなりに驚いてくれるからである。こんな新聞が日本で発行されていることに、皆一様に驚く。もっとも一番面白いのは死亡欄で、この充実度に驚く人が一番多いのだが…。ほんとに面白いので皆さんも買ってみてください。
 僕は別につぶれていいとまでは思わないけれど、いい加減にしたらいいとは素直に思いはする。こんなものが売れる沖縄というのは、本当に複雑に悲しい場所である。沖縄に行って不快な思いをする人も少なからずいて、この新聞のせいかもしれないと嘆く声も聞くところである。もちろん、悲しい過去から目を背けるという意味では断じて別次元のものである。残された人間には、お互いに未来があるからである。
 実をいうと、同じように、このひどい展開の大本である毎日新聞を僕は購読している。この新聞社が危機に瀕しているのは知っているが、それを支援したいためではない。単なる惰性というのが一つと、万能川柳の読者だからである。あと書評も時々面白い。記事の方は、非常に思想的に偏っているし、文章も下手なのでとても読む気になれないが、もちろん全部がそうではない。これを読んだから同じように程度が低くなるということも考えられないではないけれど、これくらいひどいような人が世の中にはいるんだな、ということを時には思い出すことがあって、付き合っているということかもしれない。新聞が無くなっても、本当には困らないかもしれないが、川柳が読めなくなるのは、たぶんさびしいことだろう。いくら新聞社が苦しいからといって、売るために嘘に近いことを垂れ流さないで、現実を僕らに伝えるような努力をしてほしいものだな、と本当に素直に思うのであります。
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