カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

みんな貧乏が悪いんや   雨月物語

2015-09-02 | 映画

雨月物語/溝口健二監督

 昭和28年公開の古典的名作。国際賞も受けたということで、海外の人も面白く観たのだろう。
 舞台は戦国時代らしく、琵琶湖周辺で農業をやりながら焼き物を作っている家庭らしい。危険はあるが、長浜の方まで持っていくと焼き物が売れるのではないかということだ。必死になって焼き物を焼き、戦国の混乱のさなか、いろいろあって妻子は地元に残して、弟と二人長浜までたどり着く。思惑通り持って行った焼き物は飛ぶように売れて大儲けするが、義弟はこの機会に侍になると言いだし、儲けた金を持ち出し武具を買いそろえて、軍勢の中に飛び込んでゆく。義弟を追った妻は、探し疲れているところを武者集団に捕まり、犯されてしまう。地元に残っていた男の妻子も、どこかの軍勢に巻き込まれて殺されている。
 侍にまみれて戦地に繰り出した男は、ひょんなことから相手軍勢の大将の自決した首を手にすることが出来る。これで手柄を立てた義弟は、馬と伴をつれて凱旋して地元に帰ろうとする。途中家来たちが遊郭に寄りたいということで一緒に寄るが、そこで待たせていたはずの妻と再会する。強引に侍になると言っていなくなったために、このように落ちぶれてしまったのだということを知らされるわけである。
 商売を続けている男のところに不思議な侍女を伴った女から、焼き物を買うから家まで届けろと言われる。妙な歓待を受け、そのまま女の虜になり、まるで竜宮城に取り込まれたような感じになっていく。そのような生活をしていると、ある神社関係の人に死相が出ているので家に帰れと諭される。体に何やら呪文を書かされ、屋敷の女たちは男に手出しはできない。そのまま気絶してしまうと、目が覚めたら廃墟にいた。
 地元に帰ると家は朽ちて荒れ放題。そういう中、妻子は幽霊となって飯を作っていた。自分が浮かれている間に、このように変わり果ててしまったのだった。
 あらすじばかりで終わりそうになってしまったが、そのような人の無情が描かれている訳だが、まあしかし、現代的に解釈してみても、この男たちが本当に悪かったのかはよく分からないのではないかと考えてしまった。今までの生活も苦しく、戦国で荒れた世で、落ち武者たちが時折略奪に来るような不安定さである。そういう生活を何とか打破するためには、外に出て行商をするなり、チャンスを見て出世をするなり、要するに自分たちができることを必死になってやろうとしていたにすぎないではないか。幽霊に取りつかれるのは、まあ、出来心というか、それはそれなりにいけないことだろうとは思うが、改心して帰ると家族を失ってしまった後だったのだから、これは単に可哀そうなだけである。でもまあ、そんなひどい話なんだというだけの事なら、誰もこの映画に感心しない。そのような寓話でもって、世の無常を描き、考えようによっては、地に足をつけて歯を食いしばるより無いということなのかもしれない。はい、分かりましたですよ。
 でもまあ、幽霊に取りつかれるのも、面白い経験のようにも思えますね。身の破滅なので、いけませんけれども…。
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