読書会という幸福/向井和美著(岩波新書)
著者は翻訳家でもあり司書でもあるそうだ。最初は翻訳の師匠から誘われて読書会に参加したことから始まって、それから三十年を超える歳月、ほぼ毎月読書会を開いて集まっているという。「チボー家の人々」とか「失われた時を求めて」など箆棒に長いものは、数年にわたって読んだりしている。基本的にはそのような古典的な名作の海外文学(翻訳家が数人いるようで、そういう関係もあるのだろう)を読み込んで語るという、純粋な王道読書会のことが語られている。また、翻訳による本の読み方や、司書としての仕事の延長として、若い人の読書の手引きのような読書会の様子などもある。実際に読んだ本の書評のような読書会の様子や、当時の読書会そのものの記録もあるし、巻末にはこれまで読んだという課題本のリストが付いている。
読書会があったから読めたという作品も多いらしく、一人なら途中で投げ出してしまったかもしれないとっつきにくい文章とも格闘したのだろう。しかしそうやって読み終えて、皆と作品について語り合ったからこそ、本当に深い読書の喜びがあったという。またそのように深い読書体験が、自分の人生そのものを形作ってきたということらしい。
確かに深く読書をしたということで、さまざま事も同時に深く考えるよすがになっていることも見て取れる。時折自分語りがあって、親子関係や夫婦間など、著者は少しそのあたりの人間関係に悩んだ人生を送ってこられた様子であり、そういうことに対しても読書によって救われるような思いを抱いてきた様子である。特に文学作品というのは、単にストーリーを追って面白いということだけでなく、その中にある心のありようを読み取るということで名作として生き残っているものが多いのだろうと思う。そういう人間のこころというものと、自分の心のありようというものを、同時に読みながら考えていくことにつながっていったのだろう。ただ一人で読んでもいいのかもしれないが(読書というのは基本的には一人の体験であろうが)、読書会という場で本を語り合うことで、本当に自分だけでは読めていないものまで読み込めるということなのだろう。
これはいわゆる新書による読書会という紹介なのであるが、中身については、それそのものが文学作品のようなたたずまいが感じられる。ちょっとのめり込み方が尋常でないところも含めて、面白い作品なのではなかろうか。