満月 空に満月/海老沢泰久著(文春文庫)
井上陽水の半生を描いた作品。成功する前と、若いころまでの流れがざっくりと分かる。さらになんとなくだが、その不思議な歌詞の謎も少しくらいは解けるかもしれない。
陽水という名が漢字の上では本名だったとは、初めて知った。ただし、本名の読みはアキミ。お父さんが歯医者さんで、名前を若水(わかみ)というようで、妙な読み方にはあまり抵抗が無かったのかもしれない。陽水は歯医者を継ぐように期待されていたが、受験を失敗し、数年間にわたる浪人中に、出奔するが如く音楽の道の方へ逸れていき、結局大成功してしまうのだった。
僕の若いころから陽水は大ヒットしていて、いわゆる社会現象的に尊敬されていたように思う。少なくともなんだかすごい人という感じだった。小説にあるように、どういうわけだかテレビには出演しない。サングラス姿になんだかくせっ毛のような頭髪の、妙なアクセントのお兄ちゃんだった。歌詞が独特で意味不明だし、しかし美しいメロディと声で、多くの人を魅了していた。僕の知り合いの先生は、陽水を家族で崇拝して聞いているという話をいつもしていた(麻雀の時など)。僕も時々カラオケで歌ったりはしたが、ロックの人ではないと考えていて、そのころはあんまり熱心ではなかった。
ところが近年になって、何か吹っ切れたような陽水は、あんがいテレビで頻繁にみるようになった。相変わらずなんか変であるが、しかしやっぱり偉大な感じがする。そうして実際に素晴らしいのだった。だから実はずいぶん以前から海老沢作品なので持っていたこの本を読んでみたというわけだ。海老沢作品としてはカラッとしすぎているが、人物が面白いので読めてしまう。そういう作品だった。やっぱり陽水は、あんまり理屈じゃないのかもしれない。
しかしながら基本であるビートルズのことや、作詞においてのボブ・ディランのことはよく分かる。陽水はそれらに感化されながら、しかし陽水として成り立っているからこそ素晴らしいということだ。それに彼らから影響されるようなひとは、それこそ世界中にひどくたくさんいるはずで、でも陽水は簡単には生まれない。そういうことが分かる本かもしれない。これからも、もっともっと活躍して欲しいものである。