ガス燈/ジョージ・キューカー監督
何者かに一緒に暮らしていた叔母を殺され、悲しみの中ロンドンを後にするポーラ。その後著名なオベラ歌手だった叔母と同じく、歌のレッスンを積んで歌劇に挑戦しようとしていたが、レッスン中に知り合ったピアニスト(作曲家?)のグレゴリーと恋に落ち、そのまま結婚してしまう。グレゴリーは何故か新婚生活をロンドンで送ることを望んでおり、ポーラは叔母の記憶の残る家に帰る事に躊躇がありながら、愛の生活のためにロンドンのあの家に帰る事にする。みたところポーラは叔母の資産のためかたいへんに裕福らしく、夫のグレゴリーは女給を二人雇いポーラのサポートと称して、家のことを完全に管理しようとする。そういう中、何かポーラはもうろうとする癖があるらしく、いろいろとものを失くしては、思い悩んでいる。何か病気があるらしいということで、しつこく夫のグレゴリーからいじめられて生活を送ることになるのだった。
妙な話なのだが、心理サスペンスであるらしい。主演のバーグマンはこの作品でアカデミー賞をとったらしい。確かに悲しみに暮れながら、時には気丈に明るく振舞おうとしたり、そのまま沈み込んだり、怒りに震えたり、なかなかに忙しい演技である。その頃の映画らしく、女優の美しさを見て楽しむという趣向があるらしいことも分かる。まあ、現代でもそういう映画はあるが、以前の映画はそういうことに露骨というか素直というか、そういう作りなのである。
いろいろとおかしなことが起こる心理劇なのだが、考えてみると、自分不信に陥りながらも、周りを信用できなくなる過程で、一番疑いを持つだろう相手に対して無防備すぎるという印象は受ける。観ている方はそういうことでやきもきさせられるという演出なのだが、しかしながら、それはあんまりではないか。それは愛の盲目であるならば、相手は、実際にはそんなに愛がなかったことになる。結婚できた時点で、恐らく目的の多くは達成されており、そもそもこんな茶番はやる必要もなかったのではあるまいか。それとも若い女給と、将来は楽しくやるつもりだったのか。どう考えても尋常でない美しい妻を得て、そういうことを夢想するような男の方が、かなり病的である。いや、だいたい病的な映画なんだから、みんな病んでいるのかもしれない。