理不尽な進化/吉川浩満著(朝日出版社)
副題「遺伝子と運のあいだ」。基本的には進化論をめぐる随筆である。ひょっとしたらそれらを思索するためのブックガイドかもしれない。進化論というのは誰でも知っていることのように見えて、実際には多くの人が誤解している科学であり、学問であることが分かる。進化という言葉自体に、誤解を含みやすい語感があって、それに引っ張られて、進化を理解しているだろう人がたくさんいる。専門家であっても、時折間違ったりしているし、論争も多い。日本の進化論史はあえてここでは語られていないが、今西錦司という巨人がいながら、事実上敗北している(というか、ちょっとよく分からない)。進化論というのが厄介なのは、実験で実証しようが無いからである。それは壮大な歴史でもあるわけで、つまるところ科学としては一番遠いところにあるような不確定な運も含まれている結果でもある。結果だから目的があってそうなったようにも見えている事実がそこにあるが、しかしそれは目的があってそうなったのではない。狭い範囲で適応して残ったらそうなっていたわけで、進化そのものには、目的意識などは無い。しかし長い時間が経過すると、そうしてある時の大きな絶滅のトラブルなどがある中で、残ったものには、何か神の計画めいたものが感じられるのも確かだ。それは僕らが人間であるからで、そのような人間の思考の癖によって、考え方を揺さぶられるものが進化論なのである。
進化論と進化論周辺のことで、これだけ様々なことを語り続けることができる。そうしてそれらの議論は、まだまだ終わりはしないだろう。いくらでも再生産されて、そうしてそのことが、今人間が生きていることと、人間など関係が無いことと、合わせて語られ研究される。まるで皆が進化論に憑りつかれているかのようだ。進化論は、その論理によって援用され、そうして自らが補完される。それはなるようにしてなった淘汰の歴史があり、その説明が、進化論自体を巨大化させて生き永らえさせるのである。それは、世の中にあるすべてのセオリーさえ飲み込んでいくかのようだ。
そのようにして、時には人を困惑させ、そうして罠を仕掛ける進化論なのだが、まだまだ細分化されて、枝は広がっていっているように見える。誤解のことはさておいて、そのように先鋭化されたものは、さらにどんどん広がって、お互いの言葉が通じにくくもなっている。要するに面白いわけだが、もうそれらを網羅して俯瞰すること自体が、それなりに難しくなってしまった。そのようなことを、様々な思考を交えて考えていくと、このような本になる。そうしてこのような本を読むと、さらに自らも再生産された進化論を語りたくなるのである。この本のせいで、また関連本の数が増えてしまった。それは、沼にはまったということでもあるのだろう。