ロジャー・ウォーターズがまたウクライナ問題での発言で非難を浴びているようである。日本のニュースを見る限りでは分かりにくい感じだが、要するに戦争には反対だがウクライナに武器供与をすることは代理戦争を長引かせることでもあり、和平を進めるうえで本当に有効なのかということであるらしい。そういう考えがあることは意見としては一定の理解があるとは思うのだが、問題なのはロシヤ側の要請があって国連でスピーチした内容であることだろう。いわゆるロシヤ擁護の立場の発言であると、多くの人々は認識したはずである。だいたいにおいてロジャー・ウォーターズは、政治的には自由主義諸国に対して批判的な発言をこれまでにもしてきた変な人ではあるのだが、それは変ではあるが一般的な西側の正義というものについても疑問がある、という考えの持ち主だからでもある。うまく理解されないような発言の仕方をするので、多くの場合は誤解を生んでいると思われるが、僕の若いころからずっとそんな人として生きてきた人なので、困ったことだが、ある意味で一貫性がある。僕らファンとしては、それでも彼の音楽性は素晴らしいものがあって、変な部分がありながら受け入れてきたということかもしれない。政治的にも、人間性も感心しないし、デビット・ギルモアと喧嘩ばかりしていい加減にして欲しいが、おかげでピンク・フロイドの再結成なんてことは夢のまた夢の彼方になっていて残念である。まあ今更ではあるのだが……。
こういう変人だけど長い間音楽界の主流であり続けられるというのは凄いわけだが、しかしこういうことが繰り返されてうんざりする気分になるにつけ、著名人の政治発言というのは、やはり何か困ったものを含むものだと感じる。人として考えると、政治的な立場や発言をすることには本来問題など無いはずだが、要するに影響力がある人であることと、実直に音楽なら音楽分野で頑張って欲しい訳で、それ以外に余分なものが混ざるのが、残念な感じをもたらしてしまうのだろう。もちろん政治的な立場が同じなら賛同して素晴らしいということを思う人もいるのかもしれないが、たとえそうであっても、何か白々しさを感じないものだろうか。音楽家に限らず、ときどきジャーナリスティックな物言いをする著名人もいるのだが、まっとうなことを言ったとしても、ほとんどバカにしか僕には見えない。政治的発言がバカに見えるのは、本当は分かっていないのではないか、という疑いがもたげられるからだと思う。政治の世界で生きてきたとは限らない人であることは明快だし、無関係だからこそ安全なところで発言している風に見えると、いいことを言っているようでいて、その実、軽薄に見えるのである。いや、そのように感じる僕の方にも問題があるのだろうけれど……。
こういうことを言うと政治発言こそ立場を越えて大切なことだ、という人がいる。しかしこれは一般的に言って、要するに対立の構造があるのにあえて発言することに、気分の悪さを感じることを無視している。公的な場で政治や宗教・果ては野球のひいき話などがタブー視されるのは、争いを避ける心情が、いわばマナー化しているからだろう。狭い範囲での話なら構わないが(それでも場を壊すけど)、そもそも大きな声を出して話しているのと同じようなものを、著名人の影響力が持っているのである。何であれ大声というものは迷惑さがあるので、嫌な感じを拭えないのであろう。