カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

証言者が幽霊だったら   ステキな金縛り

2015-07-15 | 映画

ステキな金縛り/三谷幸喜監督

 殺人事件の被告人が、犯行時刻には金縛りにあっていて動けなかったというアリバイを主張した。普通ならもっとまともなアリバイを主張するはずだという根拠を信じて、金縛りにあったという旅館を訪ねると、そこで落ち武者の幽霊に遭遇してしまう。実は金縛りのアリバイというのは真実で、裁判でその証言を幽霊にしてもらおうとする。しかしながらどうもこの幽霊という存在は、見える人と見えない人がいるらしい。ほとんどの人は見えないというこの証言者の幽霊をどうやって証人として立てたらいいのだろうか? というようなドタバタ・コメディ。深津絵里が可愛らしく映える感じも良かったな、と思った。中井貴一の一人芝居も悲しく面白いのだった。
 ちょっと無茶な設定ではあるのだが、見えない幽霊も特技があって、息を吹きかけることができるという突破口があって、何とか難所を切り抜けることができるという仕掛けはある。さらに霊界のこともなんとなくわかる仕組みだ。見える理屈というのはちょっとアレだけど、まあ、そこのところはもともと非論理的なんで、見逃すことにしよう。
 法廷劇でもあり、舞台でも演出可能かな、という展開である。そこが演技合戦としてもかえって面白いわけで、皆それなりに舞台的な演技をしている。これに合う人と合わない人という感じもするわけだが、要するにこれは観ている側にも言えることだろう。お話はコメディに少し蛇足があるようにも感じられたが、それは欲を張った結果なのかもしれない。結果的にせっかく見えていたのに、主人公にとっては、そうして主人公の親にとっても、少し残念だったな、という気分が残ってしまった。
 三谷作品のこのようなお約束のような喜劇というのは、ツボにはまるタイミング次第という気もする。設定がある程度呑み込めて、そうして物語の進行のテンポのようなものにも乗れないと、途中で疲れてしまうかもしれない。実は僕にはそういうところがちょっとあったのだけど、今回はそうでもなかった。それというのも、深津や中井、西田、阿部という役者の使い方が、それなりにコメディに徹しているからではないだろうか。他の作品でもそうだったのかもしれないけれど、どこか映画的なところがどうしても出てしまう。彼らは映画的な演技もさることながら、普通でもあまり映画的ではなかったのかもしれない。そんなことも考えてしまった。
 それにしても、殺人事件なら、被害者に話を聞けるのが一番手っ取り早い話だ。そういう方法があるとすると、犯人は必死で死体を隠すようになるのではないか。殺人事件と認知されない殺人の方法が無い限り、殺人という手法は取られなくなるのかもしれない。もっともいつまでたっても、実際にはそんな方法などは見つからないであろうけれど…。
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