ほぼ毎日更新しているのでタイムリーに見せかけているけど、実は仕掛けを白状すると、書きためたものが自動更新されているというだけの話である。だから映画評とか、タイムリーじゃない記事が多いという訳。空いた時間とかにまとめていくつか書き飛ばして、日時だけ指定してあげておく。付いている写真もおおむね記事とは無関係だから、あんまり気にもしていない。まあ、白状するのは、いつ書いていると聞かれることがあるからだけど、そういう訳で何時書いているかはよく分かりません。あえて言えば貧乏症的な性格があって、ボーっとしたくない空いた時間ということになるかもしれない。書かなければ本を読んでいるような時間かな。
とはいえ、出張も多かったし会議も多かった。パソコンの前にいなければ(というかキーボードじゃなきゃ書く気にならない)書かないから、書きためたストックがほとんど底をつきそうだという状態に度々陥った。まあ絶対更新しなければならない義務も無いのだけど、なんとなくそういう状態は落ち着かないものである。目の前の仕事もなんだか手に付かないような、変な切迫した心持ちになるものである。更に白状すると今現在がそんなようなことで、ストックが尽きちゃった。
以前作家の森博嗣が、ストックをしないことによりアイデアは水が流れるように湧いてくるのだというような意味の事を書いておられた。まあ、そのような天才の人のいうことが参考になるわけがないのだけれど、単に羨ましがっても仕方がない。また、同じく脚本家(だけで無いが)の三谷幸喜が、自分を狭い制約の中に置くことで、さらに難しい状況だからアイデアが生まれるというような事を言っていた。ほとんどマゾだけど、閉め切り効果ということもあるわけだし、それはウソでは無いのだろう。
さて、そういう訳で何のアイデアも無いままでも確かに書き飛ばすことは可能だということは僕でも証明出来たわけであるが、それでいいのかどうかというのはよく分からない。特に商売で書いているわけでもない文章を、確かになんで僕は書いているんだろうとは時々思います。汚いけど、精神の排泄ということは言えて、たぶんそういうことに尽きるんだろうけど、でもまあ書けないことも当然あるわけで、そういうのはどうしようかな、とは思う訳で…。時間が経過すると書けるようになることはあるので、そういう将来に期待してください。もっとも時間が経つと、忘れたり、もうどうでもよくなったりすることもあるので、今の興味と傾向ということでは、やっぱり日々の更新はそれなりにタイムリーな記録でもあるんだよな、という事でございます。