カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

偉くなったから疎ましくなったのだろうか   愛の勝利を ムッソリーニを愛した女

2021-04-14 | 映画

愛の勝利を ムッソリーニを愛した女/マルコ・ベロッキオ監督

 イーダは、若き活動家だった頃のムッソリーニと知り合う。まだ党内権力も何もない情熱だけの男にすっかり心酔し、資産も何もかもなげうって支えようとする。ところがムッソリーニは他にも女がいる様子で、のちに家庭もあるのだった。イーダ本人は認知してもらったと言い張るものの、事実上私生児として息子をもうける。そうしてムッソリーニの最初の妻は自分だと言い張る。ムッソリーニはそのようなイーダにうんざりしている様子で、さらに権力の階段をどんどん上っている時期で、彼女と親子を疎ましく思ったのか遠ざけてしまう。それでその権力の周辺が動いたのかどうかはよくわからないが、奇矯な主張ばかりを繰り返すように周りからは見えてしまうイーダは、ついには精神病院に入れられてしまうのだった。
 イーダの存在は、この映画で改めて有名になったとググったら書いてあるが、なぞは多いものの確かに最初の妻だったようである。当時のイタリアの情勢はとても現代の感覚で推し量ることができないが、すでに絶大な権力を握っているムッソリーニには、国民にも知られる家族がちゃんといるわけで(愛人もいたようだが)、イーダの主張がとても受け入れられるものではなかっただろう。映画の中でも同情的な精神科医が、いったんそういうことは偽って、真実でないことを受け入れた生活をしたらどうかという話もするが、情熱的に過ぎるイーダには、とても受け入れることができないのである。
 伝記映画のはずなんだが、物語が正確な歴史的な人物の伝記か何かの記述をもとにしているのかどうかさえ怪しく、いわゆる芸術的で説明が足りない。肝心なところでよくわからないことが多く、監督の力量に問題があるのだろう。そんな感じのものを撮りたくなかったのかもしれないが。
 しかしながら実際のムッソリーニの映像も流れるし、息子も一緒に狂気に陥るさまというのは、それなりに迫力がある。悲しい狂気の物語なのである。それにやっぱりイーダという女性は、男からすると大変にめんどくさいが、かわいそうなのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする