カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

納豆の粘りを取れ

2015-08-28 | 

 納豆は嫌いではない。というか好きである。理由は単純に旨いから。しかし諸事情があって自宅で納豆を食べることはごく稀だ。いや、ほぼ無い。そういう訳で、以前は出張の朝に納豆を楽しみにしていたこともあったが、あまりに長い時間納豆との付き合いをしないという生活が続いて、かえってそのような欠乏感を覚えないまでになってしまった。今でももちろんいい味であると思うとは思うが、久しぶりに納豆を食うと、やっぱりあのネバネバが鬱陶しい。無理に食うことは無いという気分にもなろう。
 納豆の匂いが嫌いという話もあるが、それはそれで問題であるという話もあるが、基本的に納豆が嫌われる第一は、あのネバネバと糸を引く現象ではないか。それでこそ納豆だ。という人間も多いことだろうし、あれでなければ旨くない、という人もおられることだろう。そういう感覚は否定しないが、要するにしかし慣れである。納豆以外のものがほとんどネバネバになったとして、それが快適だというのは強弁過ぎるだろう。
 納豆の販売促進と販路拡大を兼ねて、特に海外でも販売していこうというメーカーの取り組みにより、粘りのほとんどない納豆が開発されたという。粘りだけは無くても、ちゃんと納豆の味がするばかりか、健康食品としての成分に変わりはないという。
 そうして外国での食品展示会で出品したところ(確かフランスだったような)、さっそく取り扱いたいという外国の商社などがあらわれたようだった。何と言っても味はいいので、面白い食材として期待されるということだった。試食もほとんど問題なく食べてもらえた成果である。
 研究開発できたということが一番偉いが、納豆の固定観念として、ネバネバであることのアイディンティティを重視するあまり、そもそも粘りをとる開発をしないところが多いのではあるまいか。このメーカーの柔軟さがあって初めて、納豆の販路拡大が可能になったのだし、無理にネバネバに慣れてもらうという努力よりも、数段に受け入れのハードルを下げたことが大きいと思われる。
 日本の納豆は確かにネバネバだが、実は諸外国の納豆は必ずしも最初からネバネバではない。そういうこというと驚く人が多いように思うが(実は僕も最初に知ったときは驚いた)、納豆文化は別に日本の専売特許ではない。アジアの多くの国で納豆は食べられているが、普通は納豆状になったのちに、干したりつぶしたりして加工の上に食べる。そうすると粘りは無くなるが、やはり普通に食べやすいということだろう。もちろん日本と同じようにネバネバで食べるところもある。日本を売り込むというのは、最初から少し違うお話であるのかもしれない。
 納豆を日本のようなローカルのみで考える方が特殊なのかもしれない。しかし納豆に日本ブランドという力もある。文化に優劣は無いが、結局コーラやハンバーガーが世界に広がるのは、経済格差と憧れである。そういう有利性が日本ブランドにあるとすると、ネバネバでない納豆には未来性がある。これは納豆だけのことではおそらく違って、基本的にオモテナシに関わる話になるような気がする。日本人が自分本位でないのであれば、このことをヒントに飛躍できるかもしれない。
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