カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

普通の人の話が恐ろしい

2015-08-14 | culture

 本当は僕にもよく分からない感覚に、真夏の怪談、というのがある。夏の夜を涼しげに過ごすという趣向らしいが、だいたい人が集まるだけで暑苦しい。子供の頃にキャンプなどで怪談話をするのはそれなりに楽しかったけれど、大人になって楽しいかは別である。怖いというのはその時の気分が大きくて、妙に怖く感じる場合もあるし、平気な夜だってある。自宅の裏が墓である関係もあるんだろうが、夜に墓を散歩しても平気であるくせに、薄暗い廃墟の影を覗くのが恐ろしく思える時もある。墓はなじみがあるのに対して、廃墟には得体がしれない感じがあるせいかもしれない。
 西洋の、特に北欧の人たちからすると、日本の真夏の怪談というのは、まったく理解不能であると聞いたことがある。意味が分からないだけでなく、ホラー話の時期が合ってない感じもするんだそうだ。彼らにしてみると、真冬の吹雪の夜などに怪談を聞かされて震えるというのはあるらしく、寒い時期にさらに怖がるのが一般的なのだという。シチュエーション的に良く理解できるが、夏の開放的な気分では、やはり怖くないという意味なのだろう。
 日本の場合肝を冷やすとか冷や汗をかくとか、恐らくそういう言葉のイメージが最初にあるのではないか。さらにお盆で人が集まるというのと、やはりその時期に死者のことを思うというのがあるのかもしれない。ホラーというのは死と密接に関わりがあるから、そういう時期に怖い感覚と連想がつながりやすい。涼しげであるのかはやはり僕には分からないけれど、時期的に都合がよいから怪談を聞くようなことになるんだろう。
 余談だが、基本的には怪談話はほぼ作り話である。それでまったく問題ないが、そういうときに本当にあった話というのが少しばかり混ざる。これはテレビの影響もあるのだろうけど、おそらく、やはり死者との生前への思いがよみがえるということも関係あるのではなかろうか。親しい人が幽霊になったところで何も怖いことは無いが(幽霊であっても時には会いたいという人は多いだろう)、この感覚との距離感で、怖く感じる人も居るだけのことだろう。またにわかに信じられない怪しさがあって、ふだんは普通に信用のおけるような人が、変なこと言うような不思議な感覚も生まれる。そういうところから恐ろしさのようなものが感じられるのではなかろうか。まあ、本当に不思議なことというのはあるわけで、何もかもすんなりと分かるようなことにならない方が、世の中というのは楽しいのかもしれないけれど。
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