カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

営みを続けるために生きる

2015-01-03 | 掲示板

 身近な人間が死んで感傷的になってるというのはあるのかもしれないけど、人間の一生なんて自分の身の丈で考えてみても、あんがい短いもんだね、という感じがするんですよね。まだ僕は生きているんだけれど、人生というスパンで考えてみると、いつの間にかどう考えても後半で、水泳とかマラソンとか、とにかくそういう感じで考えてみると、もうターンをしたというか、折り返してしまったというか、それももうそういう道のりを既に歩んでいる途中で、もう後は死を待つばかりというかね、そんな感じ…。
 自分がそういう感じになるなんて考えてもみなかったし、実感ということでいうと、まだ若い自分ということを思わないでもない。もちろん僕にも若いころはあって、若いころは何時死んでも構わないというか、太く短く、花火のような一生でも、それはそれでいいんじゃないかという感覚はあった。本当に正直にそう思っていたとは思うのだけれど、やはり自分の人生というものに対して、知らなかったからそう思えたということは、今になると思うわけだ。
 別に長生きしたいという意味では今でも違うんだけど、それなりに後の時間を考えると、今まで生きてきた時間より短い時間しか生きられないことは確実なわけだ。それを超えてしまうともはや人間ですらないわけで、別に変なことを言っているわけでなく、ものすごく常識的に判断しているということになる。でもそれでは悲しいというか、愕然としてしまうということにもなってしまう。
 先輩方には悪いとは思うのだけど、そういうことで僕はもう後はほんとに死ぬばっかりだ。そういう残された時間を楽しくしたいな、とは思うだけのことで、ぜんぜん不幸でもなんでもないのだけれど、死んでしまったら、みなさん僕の事は早々に忘れて生きて下さいね。それが人間の営みというものであります。
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