カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アトムの子として…   鉄腕アトム・地上最大のロボット

2015-01-28 | 読書

鉄腕アトム・地上最大のロボット/手塚治虫著(講談社)

 プルートゥを読んだので参考のために読んでみた。表題作のほか4編収録されている。実をいうと鉄腕アトムはちゃんと読んだことが無いような気がする。手塚作品はもちろん好きで様々な作品に親しんでいる。小中学生の頃にタイムリーにブラック・ジャックがチャンピオンに連載されていたようにも記憶している。テレビでは「ジェッター・マルス」が放映されていて、たぶん亜流のアトムなんだろうということくらいは子供でも知っていた。
 ところでお話は確かに面白いのだが、読む前の印象よりかなり子供向けに描かれているという感じだ。設定が単純で、展開もかなり強引なところがある。躍動感のある活劇は見どころだが、やはりこれもやや単調という感じ。後の手塚作品のようなドラマチックな書き込みが少ない。どういう事情があったのかは知らないが、後に手塚のインタビューでもやっつけ仕事だったと語っていたといわれる。それでも一定のレベルを保っているし、やや謙遜も交じっているものと思われるが、しかし手塚自身は作品には満足していなかったのかもしれない。
 しかしながらそうでありながら、後の浦沢作品の礎となる作品だったということでもあるわけで、やはり当時の子供たちの心をしっかりとつかんでいたに違いない。大人の目線で物事を判断するのは、作品の質に対しては失敗の元である。対象を書き分けているということが作家の凄さで、時代に合わない対象があれこれ言っても仕方あるまい。
 とはいえ、ロボットの苦悩という面で考えてみると、人間が愚かな事と対照的に、アトムらのロボットたちは、実に純粋に物事をとらえ行動していることに気づかされる。必要最小限の科白からそのことはちゃんと伝わってくるし、最初は凶悪な敵であったものがアトムに敗れる頃になると、必ずしも悪くないことがわかってくる。それでもアトムは敵をやっつけ壊していく。その後に悲しく肩を落とすのである。痛快に戦う楽しい漫画であるということだけでなく、おそらく多くの少年たちは、この戦いの悲しい原因を作った人間に思いをはせて、アトムに期待を寄せ続けたに違いないのである。
 実際にその子供たちの末裔である未来の僕らは、そのような漫画の中の愚かな人間とは違うように成長したのだろうか。批判的にみるとそのような反省なしに居られない。もちろん物事はそんなに単純ではないにせよ、やはり愚かだから人間だっただと気づくことは悲しい。アトムの子供として恥じるべきなのであろう。
コメント
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