カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

これは断固名作でしょう   スーパーバッド 童貞ウォーズ

2012-11-06 | 映画

スーパーバッド 童貞ウォーズ/グレッグ・モットーラ監督

 受験生のいる家庭で観るには最悪の映画。子供がいない隙に少しずつ見て、やっと見終わった。卑猥だし隠語だらけだし下品だしまったく酷い。しかしながら同時にもの凄くいい映画なので困るのである。はっきりいって名作すぎるが、その意味は微妙だ。仲のいい男同士でゲラゲラふざけて観るためのコメディで、それでもって最後にジーンと感動して映画館を後にするという見方がいちばん正当なものだろうけど、日本にはそんな文化は恐らく無い。女の人がこれを見て笑えるのかは疑問も多いが、寛容な人なら理解できる可能性が僅かばかりだがあるかもしれない。少なくともこの映画に出演してくれているような女優さんたち(ギャランティの問題はあるだろうけど)は、そこのところは理解してくれていると期待したいところだ。これだけの馬鹿を演じてくれて、もしくは付き合ってくれて、本当にありがとう、という気持ちだ。
 実はこのお話は自伝的なものを元にしているということらしい。映画の中でも警察官役で出ているセス・ローゲンというコメディアンが、自分の体験を元に脚本も書いているということだ。もちろんありえない話もあるのでデフォルメしていることは確かだが、この妄想や日常の出来事は、ありえないながらにもの凄くリアルだ。いや、少なくともこれくらいの馬鹿は、実はオタク系の男の子たちにとってはリアル過ぎて正視できないのではなかろうか。アメリカ社会は力関係がはっきりしているようだから、いじめの構造や男女関係も激しい階級があるようだ。そういう中にあって下の階級(あえてそういう)の男がどの様な境遇にあるのかというのは悲惨のひとことに尽きる。これくらい屈折してしまうのはある意味で仕方のないことかもしれない。その上で何か才能があるとか頭が良かったりするとビル・ゲイツとかザッカーバーグのような将来を夢見ることもできるかもしれないが、それも無いということになるといったいどうやって生きていけばいいのか。そういう切実な思いが結局馬鹿の源流になっていて、可笑しくて悲しくて、そして切ないのだ。
 前半の嫌な会話(僕は実は上品な人間なので、これに付き合うのは結構つらかった。けれどこれは伏線にもなっているので、我慢して見ていこう)を乗り越えると、どんどんお話はぶっ飛んでいきファンタジーの領域まで突き進んでいく。僕はドラえもんのポケットの中より、この話の方がずっと夢があるようにさえ思う。理由は観てもらうしかないが、馬鹿なこともこれくらい爽快にバカだと、つきぬけて本当に愉快なだけでなく、感動できるということだ。特に警察官との友情とカタルシスは、大人になった今でも持ち続けるべき心得ではなかろうか。いや、実践すると社会的には困ることになるだろうけど…。
 絶対にお勧めできないが、断固名作である。騙されて見ても後悔することになるので、絶対に観ないでもらいたい面白映画なのだった。
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