カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

あきらめの悪さ

2007-04-26 | 雑記

 なんとなく疲れの取れない疲れを抱えている感じだ。首を回しても肩をゴリゴリ回転させても、しこりのような感じがぬぐえない。散歩でもするか。
 新聞を読んでも本を読んでもブログを閲覧してもなんとなく気分は晴れない。風呂にでも入るか。鼻血が出るぐらい熱いお湯にジンワリつかるといいのかも、などと夢想する。しかしのぼせるのは結局つらい。体の張っている筋のようなものが、みんな伸びてしまわないものだろうか。ダラーンと伸びきった感じは、実際に気持ち良いのだろうか。

 留守電がたくさんあって、申し訳なかったなあと思う。電話を置いていたのである。続けて返事をしてだいぶ長話をする。つれあいに迎えに来てもらっても、そのまま車に乗り込んで話し続ける。もともと何の話をしていたのか忘れてしまった。
携帯電話で話していると、いつの間にかその場をうろうろ歩き回ってしまう。自然に散歩に出てしまうこともある。歩いているといろいろ考える場合とまったく考えていない場合がある。電話しながら歩くと方向性をあまり考えていないようだ。電話の話が済んで、なんでこんなところにいるのだ、と驚くことがある。そういう意味では、やはり運転中の電話は危険だともいえる。しかしその論を持ってくると、やはり恫喝に違いないとも思う。個人差もあろう。発展すると運転中の会話そのものも駄目だろうし、音楽を聴く行為も限りなく疑わしい。実際のところ運転中のラジオや音楽も危険なのだろうか。
 ピアニストは演奏しながら料理だってつくれるという。同時に別のことを考えることができる。つまり両手は別の動きを別の思考で行っている。ファインマン先生が書いていたが、数字を頭の中で数えながら別のことを考えることができるようだ。脳の部分で別の思考を同時に動かすことができるという証明であろう。実際に僕もできるようだ。スピーチの時など話しながら次に何を話したら良いか同時に考えていることもあるようだ。話している途中で急に自分なりのオチがひらめく時がある。ユーレカ!である。ひとつのことを集中して考えることも大切だが、同時にいろいろ考える利点もありそうな気もする。
 偏見だが、女の人の多くはどうもそういう視点で物事を普段から考えているような気がする。時々とんでもなく飛躍した発言が飛び出るが、発言者本人に矛盾はないようだ。誰からの発言から誘発されて、同時進行で思考展開したのではないか。
 あれこれ考えて結論が出なくても、それはそれでいいのかもしれない。それなりのストレスではあろうけれど、思考のレッスンになっているはずだろうからである。それにいつもいつも答えが出るとは限らない。多少しつこく忘れられなければ、何かの発見につながることもあるかもしれない。人間あきらめがよいばかりではよくないようだ。
コメント
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