カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

調味料と何故か黒田投手

2006-11-07 | 雑記
 ドラえもんで「味の素の素」という道具があったが、ああいうものがつくれないかとふと思う。うまみ調味料は確かに味をよくする。魔法とまではいかないまでも、合理的であるのはまちがいない。
 添加物の人体への影響など不安視する考え方もあるが、毒というのは成分も確かに重要ではあるがあくまで量の問題なので、実はそんなに深刻ではないと思われる。天然素材だから安全であるとか美味しいという考え方のほうが危険ではないか。
味の素のようなものでなくとも、「味塩コショウ」のような商品もある。これも合理的なだけなんだが、やはりうまいアイデアである。
 テレビの実験で見たことがあるが、天然のわさびより練りわさびの方がうまいと感じる人が多いというものがあった。それだけ調味料は考えてつくられているのであろうと思う。
 もちろん料理そのものは、いろんなコツがあるということでも分かるように、総合的なアイデアの集合であり、これだけあれば済むというような単純なものではない。しかしながら、調味料で調整するというという魅力も捨てがたい。
 マヨラーとか一味党という人たちがいることも考えると、商品化することができるとあんがいでかいんじゃないかと夢が膨らむ。
 甘いとか辛いとか酸っぱいというものは多いような気がするけれど、苦いというのは少ないんじゃないか。既になんとなく廃れてしまったようにも思われる「にがり」というものはあったにせよ、なんとなく思いつかない。しかしゴーヤなんかを食っていて思うが、ああいう苦いような癖のあるものは、なんとなく中毒性が無いだろうか。渋いお茶とかなんとなく欲しくなるものだし、ビールだって苦いと感じる人(僕は残念ながらビールが苦いという感覚は分からない)もあるようだが、それだから何杯もいけるという感じかもしれない。
 何の本で読んだか忘れたが、鳥の好きな学者か何かが、実際に鳥の好んで食べる木の実などを食べてみる話があった。大抵は渋かったり苦かったり酸っぱかったりしてちっともうまいとは思えない。鳥の味覚は人間とかなり違うものではないかと推察している。そのまじめさがとても好ましく可笑しかったのだが、そういうものをジャムにしてはどうかと読みながら思ったのであった。ジャムというのは甘いだけでなく、なんとなく特徴のある味のものが面白くもある。畑正憲も苦いジャムは旨いと書いていたような気がする。
 しかしながら僕はあんまりパンは食わない。ちなみに白いところより耳のところの方が旨いと思うが、子供はどうして耳を食わないのだろう。時々何かの間違いでパンも旨いと感じることもあるけれど、すぐに忘れてしまう。絶対にパンより米を食うべきだとかいうような主義は無いけれど、人生の中でなくなっても惜しくないものかもしれない。中沢新一は「愛していないものは研究してはならない」と言っていたそうで、なんとなくかっこいいので、ジャムは諦める。
 苦いといえば、アロエは苦い。胃の痛い時期があってアロエが効くと聞いて無理に食って「おえー」っと思ったことがある。胃によくても精神的に悪そうなので懲りてしまった。そういうわけで愛してはいないが、健康的な響きはなかなかいい感じかもしれない。アロエを乾燥させるとどうなるか分からないが、透明感自体はけっしてまずそうな感じではない。商品化するにはどのような方法があるだろうか。花壇なんかで放っておいてもけっこう栄えているようで、栽培が難しい植物でもなさそうである。
 ふとそう思ってほくそえんでいたら、健康食品としてアロエは既にかなり出回っているというではないか。食品や薬品ばかりでなく、ハンドクリームのようなものもあるらしい。うーむ、先を越された。というか、誰でも考えることらしいな。我ながら平凡でありがたい。あんまり特殊な人生でなく幸せである。
 しかしながら調味料でアロエというのはまだまだ少ないのではないか。アロエをふりかけでご飯がすすむという状況は想像しがたいことではあるが、そういう発想なら何とかならないものだろうか。僕としては振り掛けるような調味料というイメージが大切な気がする。
 さて、自分で商品化するのはだんだん煩わしくなってきたが、そういう感じで商品が出ると、なんとなく欲しいような気がしないか。

 なんか最近は仕事の将来が暗いので変な想像をしてしまうようだ。やっぱり本業を何とかしないとな。明日からも出張なので、もう少しがんばって将来を考えようっと。

 ぜんぜん関係はないが、広島の黒田投手ってかっこいいなあ。出身は大阪なのに就職したチームでがんばる姿勢というのが、なによりかっこいい。日本一弱くて金の無いチームで日本一のピッチャーがいるという皮肉にいつも辛い思いで見ていたけど、自分自身で何とかしようという根性も座っていて迫力のある投球ができていたのであろう。
 人生の選択の問題なので、必ずしもこれがいいのかということは分からないけれど、人間はかっこいい生き方をしたほうが、少なくとも人の心を動かすのではないか。
 僕は黒田投手を一生覚えて生きていくと思う。僕はこの記事で泣きました。俺もがんばるぞ。
コメント
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