カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

無思想を論理化する危険

2006-05-12 | 時事
 二日連続でシルクハット。辛いイカゲソ、ニンニクの効いた肝など。海老マヨは無視できず、だって旨いんだもん。ビールの後に、焼酎は宮崎の芋。
サッカーの練習後だったのでごくごく呑む。ビールジョッキにそのまま焼酎の水割りをつくるスタイル。当然ガンガン酔っ払う。
 T明ちゃんから業界の厳しき裏話を聞く。え、あの人のところもいっちゃったの、とか、あそこも危ないのか、など、暗澹たる状況に暗くなる。合掌。
 しかし、明日は我が身、というご時世である。僕の業界も危なくなってきた。一般人がエンドユーザーでない業界は危ないという話に、なんとなく納得する。確かにそうかもしれない。僕らの業界は絶対に必要なものだという自負はあったが、利用する人にそっぽを向かれるようでは、結局はおしまいなのだろう。現在は制度が疲労骨折しているようなもので、財政問題だけをとると国が悪いということでもあるけれど、それでも何とかして欲しいという要望がある限り、活路はあるのだと思う。それまで生き残れるか。不安はぬぐいきれないが…。

 三役会終了後のみんなとも合流。既にへべれけ状態なので自分でも勝手にどんどん話してしまったようにも感じる。Tきちゃんごめんなさい。
 祭は意味のわからなくなった儀式が大切じゃないか、なんて話していた。厳密にいうと意味はあったのだろうが、いつもいつもその意味だけを考えてやってきたわけでもあるまい。よくわかんないけど祭ってそんなもんなんだよ、というような型がたくさんできると、祭としては一流になるのではないか。そういうことに疑問を持つのは、現代病だと思う。いや、西洋思想や儒教かもしれない。
 中央公論を読んでいると、養老さんと王さんという人の対談があった。まさにそういうことが書いてある。よくわからないことをやるのが日本人というものなのだろう。ケンタッキーフライドチキンの日本支社は毎年鶏供養をするという。カーネルサンダースが聞いたら、墓の中でひっくり返るだろう、と言っている。そんなことをするなら食わなければいいのに、と考えるのが彼らの思想である。ましてや人間でもないものを敬うとはけしからんと考えるかもしれない。悲劇だが面白い。
靖国の問題も同じだといっている。まさに僕もそう思う。いや、中国的思想も理解しているので彼らの立場を考えると靖国は煩わしいとは思う。しかし、日本人の行動を国際理解にてらして論理化することは、却って危険なことになるのかもしれない。日本はそれに懲りてしまった。日本思想を論理化すると、八紘一宇になってしまったではないか。
日本人はうしろめたくて、歴史を忘れないために参拝してしまう。靖国を無くすと、過去のこともなかったことにしかねない。中国などは日本を理解できないばかりに、却って危険な道に踏み込ませようとしているに過ぎない。日本も論理化できないことは説明できない。別に右翼だから(の人が実際は大多数だろうが)参拝しているのではあるまい。僕は自発的に靖国にいくつもりはないが、なんかの間違いで立ち寄ってしまったら、手を合わせるに違いない。それが自然だからである。それは確かに不条理で、そうであるからこそ尊いのである。
コメント
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